サンジョルジョマジョーレ

ブチャラティはなぜ生き返ったのか?

これから起こる辛い展開を想像しすぎて、アバッキオが死ぬ回から、しばらくジョジョ5部を観ることができませんでした。しかし家事をしながら観ることでなんとか受け入れることができると分かったので、キッチンでサラダを作りながら、セッコとチョコラータの回まで観たのです。途中、あっけなく殺されてしまうアバッキオの姿やブチャラティの「もうあまり時間がなくなってきたな...」の言葉に「ウゥッ(´;ω;`)」となりながら。

今までマンガで読んでいたものがアニメになって、頭の中でストーリーが立体化されたように思います。特に私は平面であるマンガで読んでいたときに、あまり気にしていなかった、この物語の中にある上下の動きの大切さを強く感じました。「お前は何を言っているんだ」という声が聞こえてくるようですが、例えばこういうことです。

・セッコはブチャラティチームを地下に引きずり込もうとする。
・チョコラータの殺人カビは上から下に広がる。
・チョコラータの殺人カビは生きているものに付く。しかし、その人が上に向かって動けば広がらない。
・殺人カビが付いたら下に向かって動くと死ぬ。

5部のなかには「正義は下から上に、悪は上から下に」という動きが要所要所に取り入れられているように感じます。そして、チョコラータとセッコの攻撃を逃れるためには、上に向かって走らなければなりません。ーー生きている限りは上に向かって走る。まるで人生のようではありませんか。

もう一か所、この上下の動きが効果的に使われているところがあります。それはサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂でのボスとブチャラティの対決。

・ブチャラティはトリッシュを連れてエレベーターを上がる。
・ボスはトリッシュを奪い地下の納骨堂へ下がる。
・納骨堂で致命傷を負うもブチャラティは教会の1階まで上がる。

ここでも正義は生きるために上を目指します。

ブチャラティはなぜ生き返ったのか?

教会の1階にある祭壇まで逃れたブチャラティは、キング・クリムゾンの攻撃を受けながらも生き続けます。正確には死にながらも生きるのです。ゴールド・エクスペリエンスの助けがあったとはいえ、アバッキオの命をいとも簡単に奪ったのと同じ攻撃を受け、さらにトリッシュを守るために戦い続けても生き続けるというのは、いささか都合がよすぎるでしょう。

しかし、ボスとの対決の場所サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂の屋根の形をご覧ください(トップ画像)。この教会は救い主の死と復活の象徴である十字架の形をしています。そしてブチャラティが横たわっていた部屋はちょうど十字架の中心部分にあったはず。少年漫画に宗教の話を持ち込むのは禁じ手かもしれませんが、究極に天上に近い場所で「天がほんのちょっぴりだけ動く事を許してくれたようだ」という奇跡が起こっても不思議ではないのです。

「オレの負傷を治してくれた時 おまえがくれた『生命エネルギー』は、もう少しだけ『動く事』を許してくれたようだ」思えば、ゴールド・エクスペリエンスの能力はジーザスのようです。そしてジョルノの一番の理解者であるブチャラティは元漁師。ジーザスの一番弟子だった使徒ヨハネを思わせます。(使途ヨハネはジーザスの弟子の中で一番年下で、そこはジョルノとブチャラティの設定が逆になっているような気がします。)

Googleマップのなかにサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂の360度画像がありました。祭壇の右に、裏切りを象徴する「最後の晩餐」、そして左には、目的を達成するまで神から支援を受けることを示す「マナの収集」が見えます。 ブチャラティが倒れていたのは、祭壇の奥でしょうか? 行ってみたくなりますね。

「気にするなジョルノ...そうなるべきだったところに...戻るだけなんだ...元に戻るだけ...ただ元に...」あまりにも有名なブチャラティの最期の言葉。アニメでこの言葉を聞くのは悲しいですが、そこまでしっかり見届けようと思います。

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