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武蔵野線

 武蔵野線で大回り乗車せんとする者は、時間をムダにすることを苦にしてはならぬ。首都圏主要路線のうち、中央線、埼京線、京浜東北線、常磐線、総武線、京葉線いずれかに乗っていれば、いつか必ず武蔵野線に乗り換えられる駅にたどりつく。また、東海道線や横須賀線であっても、川崎駅ないし武蔵小杉駅で南武線に乗り換え、府中本町駅までゆきゆけば、武蔵野線に乗り換えることができる。

 武蔵野線の非生産性は、ただその、東京の郊外を中途半端に四分の三周する円弧の大部分を車中で佇みながら、無為に車窓を眺めることによって始めて獲られる。春、夏、秋、冬、朝、昼、晩、調子が優れているときも、はたまた、気分が憂鬱なときも、ただこの路線を、時間をつぶすためだけに、いたずらに大回り乗車すればこそ、効率性という名の軍門に降った、われら現代人の心をゆさぶるのである。

 これが実にまた、武蔵野線第一の特色だろうと自分はしみじみ感じている。武蔵野線を除いて日本のどこに、このような大回り乗車に適した路線があるか。JRの旅客営業規則上、大回り乗車が許されていないローカル線は横に置くとして、大回り乗車が公式に許されている大阪近郊区間や福岡近郊区間を尋ねてみても、武蔵野線のような、無為にぐるりと大回り乗車できる路線を見つけるのは、ディズニーランドで隠れミッキーを見つけるより難しい(※武蔵野線はなんと舞浜駅に停車するのだ!)。

 されば君もし、府中本町駅より武蔵野線に乗り、西国分寺駅に出たなら困るに及ばない。君のその日の気分と持て余している暇の度合に応じて、乗り換えるか、乗り換えずにそのまま無為な時を過ごし続けるか、決めたまえ。あるいは、八王子駅まで行って八高線に乗り換え、そのまま群馬県に足を踏み入れようとする、超絶暇人ならば、ぜひとも西国分寺駅で降りて乗り換えたまえ。有り余る時間を思う存分浪費して、近代的時間概念を超克したところへ君を導くだろう。

 とかく時間がかかるほう時間がかかるほうへと乗り換えたくなるのは、とかく暇を持て余しているからで、現代人にとってこのような暇の過ごし方は容易ではない。一日中、スマホも見ずに、車窓をぼうっと眺めるなんて、ホモ・サケルへと堕してしまった現代人にとって、埼玉人が大海原に思いを馳せるくらい、想像を絶する離れ業である。特に、外資系コンサルファームに勤めるエリートサラリーマンやら霞が関の高級官僚など「ハイクラス(笑)人材」には決して真似できない芸当だろう。だから、彼らはリニア中央新幹線をつくりたがるのだ。彼らに大回り乗車の魅力を説こうたって、ヤンキーだらけの底辺高の生徒に英語の仮定法過去を教えるようなものである。そんなのハナからあきらめた方がいい。

 もし君、長時間にわたる過酷な大回り乗車の途上で用を足したくなったら、武蔵浦和駅で埼京線に乗り換えたまえ。そして、埼京線で大宮駅まで行きたまえ。大宮駅には、きれいで清潔なトイレが有り余るほどある。そこで、気持ちよく用を足せばいいのだ。事を済ませたあとは、駅ナカをぶらりと巡るのも一興である。お腹が空いたら、ニューデイズでお菓子やドリンクを買えばいいし、あまりにも退屈だったら、改札内の書店で立ち読みするのもよい。駅構内には、その他にも多種多様の誘惑がある。大宮駅はまさに、武蔵野線で大回り乗車する無為徒食の東京砂漠遊牧民にとってオアシスなのだ。

 大宮駅から武蔵野線に戻るには、ルートが3つある。ひとつは京浜東北線で南浦和駅まで行き、武蔵野線に戻る方法である。これはすぐ武蔵野線に戻れるので、あまりおもしろくない。2つ目は、宇都宮線で小山駅、水戸線で友部駅、常磐線で新松戸駅と乗り継いでいって戻る方法である。これは、時間のムダさ加減と体力消耗のバランスがちょうどよい。最後のひとつは高崎線で新前橋駅まで行き、両毛線で小山駅へ、小山駅以降は同前というルートである。これは、体力消耗が非常に激しい。東京駅で山手線から京葉線に乗り換えるくらいで弱音を吐くような高貴なお方には、命を失う恐れもあるので、このルートはオススメできない。しかし、君がもし金銭や社会的地位といった世俗的価値を唾棄したくなったら、私はこの最後のルートを断然オススメする。君をさとりへと導いてくれるだろう。

 そろそろお気付きだろうが、武蔵野線と主要路線との間の乗換駅は、速達列車が停まるメインのターミナル駅と若干ずれていて、乗客をムダに手間取らせる。換言すれば、武蔵野線は、上野東京ラインやら湘南新宿ラインやら、はたまた、中央線快速、総武線快速、常磐線快速といった優等生から見放された劣等生なのである。武蔵野線が実に退廃的だといわざるをえないのは、このゆえである。武蔵野線が止まるのは、国分寺駅ではなく「西」国分寺駅、浦和駅ではなく「南」浦和駅、松戸駅ではなく「新」松戸駅、船橋駅ではなく「西」船橋駅なのである。おしなべて脱中心化されている。まるでカットボールでついつい詰まらされてしまう凡庸な打者のようだ(武蔵野線は千葉マリンスタジアムや西武ドームへ行くのにも結構便利なのだ!)。

 ただし、ここで気を付けねばならないのは、大回り乗車で同じ駅を2度通ってはならない、ということである。それは、大回り乗車のルール的にも決して認められたことではないし、何より、大回り乗車の非生産性に最高の価値を置く、我ら高等暇人の尊厳を傷つける。一言でいえば、愚かな行いであり、もう一言付け足せば、あさましき所業といわざるをえない。さりとて、この規則を破るメリットが、そもそも我ら尊厳ある高等暇人に存するだろうか?我ら高等暇人は、そもそもメリットやデメリット、損か得かという、つまらぬ概念をとうの昔に放棄してしまったのだ。急ぐとて急ぐべき場所もない。帰るとて帰るべき家もない。我ら高等暇人は、失われた時間をいつくしむとともに、孤独をも一人、電車にゆられながら噛みしめているのだ。

 日が落ちる、お腹がすく、かといって金はない、寒さが身に沁みる。夜が更けるにつれて、ホームでは到着したり出発したりする電車の本数も減っていく。君はそのとき、

時は金なり

という名句を恨むことだろう。

参考文献


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