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弱者こそが強者の世界

先日、The Breakthrough Company GO
という広告会社の代表、
三浦さんとサウナに行きました。

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写真は、令和版のトトロではなく、
サウナを楽しむ三浦さんです。

三浦さんと色々なお話をしましたが、
僕が特に印象に残ったのは、

「今の時代、強い人はSNSで応援されない」

と何気なく言った三浦さんの一言でした。

三浦さんと別れた後も、
なんとなくその一言が頭に残っていました。

昨今、強者(に見える人)が
叩かれやすい風潮にあることは
誰もが感じていることだと思います。

その風潮のおかげで、
救われた人や生きやすくなった人たちも
たくさんいると思うので、
決して全てが悪いとは思いません。

だけど、僕はその風潮に
どこかモヤモヤしていることがあります。

僕は「実家が全焼したサノ」という
ハンドルネームのせいか、
ドッグフードを食べたことがあるほどの
貧乏な幼少期のせいか、
毎日Twitterで切ないことをつぶやくせいか、
弱そうな見た目のせいか、
これまで僕は世間や友人から
強者だと認定されたことはほとんどなく、
どちらかというと、
弱者だと見られることが多かったです。

そんな風に弱者認定されるからなのか、
これまでSNSで炎上したことや、
アンチに執拗に攻撃されたことはありません。

自分自身が過激な攻撃をされないから、
どこか他人事だったこともあり、
そんなモヤモヤを解消しようとも
思わなかったのですが、
なんとなくそれを今日は
言葉にしてみたいと思いました。

僕が、「強者が叩かれる風潮」に
モヤモヤする点を端的に説明すると、

「強者=悪人」「弱者=善人」

と、強さと善悪が混同される点です。

本来、強さと善悪は全く関係がありません。

だけど僕らの日常には、
強さと善悪が
紐付けられた価値観で溢れています。

例えば、「お金持ちは悪い人が多い」とか。

お金持ちは、お金を稼ぐのが得意という
スキルを持っているだけで、
そこに善悪などないはずです。

だけど、そんな価値観は
少なくとも僕が子供の頃からありました。

僕が小学生の時、
障がい者の方々と交流する機会がありました。

具体的に何をするのかと言うと、
一緒に給食を食べるのですが、
僕はあまり良い思い出がありませんでした。

僕が一緒に食事した方は、
手足が不自由で、
自分で食事をすることができないので、
僕たち学生がスプーンなどを使って、
食事をサポートしていました。

きっと僕たちのサポートは
プロの方々と比べて随分と
拙かったのだと思います。

そのせいもあり、その方は僕たちに冷たく

「牛乳」「スープ」

などと単語で指示してきて、それにすぐに
対応しなければ、舌打ちだったり、
あからさまに嫌な顔をしてきました。

これが健常者だったら、きっと先生も
注意したんじゃないかと思います。

ただ、赤の他人が障がい者に
注意するのは良くないという
なんとなく存在する大人のルールにより、
叱られるのは僕たち子供だけでした。

ちなみに僕の父も、
片足と片目が不自由な障がい者でしたが、
やはり知らない人はかなり
父に甘かったように思います。
(身内は別です。
身内にとってはただの家族なので、
しっかりと叱られている父を何度も見ました)

そんな風に暗黙的にあるルールに
幼少期の頃から違和感がありました。

大人になってから、
どうしてそんなルールが
あるのかなんとなく形が
見えてきました。

どうやら弱者(に見える人)を攻撃すると、
攻撃した方が悪者に見えるようです。

逆に強者(に見える人)を攻撃すると、
ヒーローのように称えられることがあります。

特にSNSでは、その特性を利用して
手軽にヒーロー気分を味わうことができるので
その流れはますます
加速しているのかも知れません。

ただ、僕は「強者」と「弱者」を
判断することは本当はとっても
難しいことなんじゃないかと思うのです。

なぜなら、僕たちはほとんどのことを
「知らない」からです。

例えば障がい者になったことのない人、
障がい者が身近にいない人は、
それらを想像で補完するしかありません。
貧乏とか、お金持ちとかも同じです。

きっと想像を絶する苦労を
しているのだろうとか、
きっとずるいことをしているに違いないとか、
想像で補完するから、
必要以上に気を使ったり、
必要以上に貶めたりするのでしょう。

実際、僕の家が全焼した時、
同じく貧乏だった僕の同級生は
僕に優しくするどころか、

「お前の家の燃えカスが
俺の家の洗濯物についててんけど!100円」

と100円請求されました。
それはさすがにイカれてると思いました。

そして、そんなイメージを
利用する人も世の中にはたくさんいます。

強者に見える人たちを叩く時、
多くの人が「庶民」「普通の人」などと、
自分を弱者側に置いた上で語ります。

先程のルールの通り、
弱者を叩くと悪者になるので、
SNSでは弱者こそが、真の強者です。

だけど、そんな弱者こそが真の強者となる
社会は幸せなのでしょうか。

僕の父は、
生活保護なのか障がい者年金なのか、
当時の僕にはよくわかりませんが、
国から定期的にお金を受け取っていました。

ただ制度上、収入を得ると、
その分支給額が減額されるらしく、
当時の父は弱者でい続けることに
ある種努力している状態でした。

それは子供ながらに健全には
思えませんでした。

結果的に僕の父は、お酒に溺れ、
僕が中学生の頃に自殺しました。

もちろん、本当に支援が必要な人に
必要なだけ支援することは大切で、
そんな国であって欲しいと
心から願っています。

ただし弱者のふりをしたり、
弱者として強者を叩く人を強者とするのでなく、
弱者を支える人こそが、
本当の強者であってほしいなとも願っています。

6/13が父の誕生日だったことを
ふと思い出して、書いてみました。


いただいたお金は、切ないことに使います。