春輔師匠の独演会にはじめて突撃したら、己の鼻息で月まで跳んでいきそうになった

どういうタイトルやねんとセルフつっこみをしつつ、初めての春輔師匠の独演会に参加した夜、ほんとうにこんな心もちになったのであった。

春輔師匠の落語に出会って、約三ヶ月後。寄席も二、三人会も寂光四景も飛び越えて、赤坂会館の師匠の独演会にいきなり突撃してみたのである。

▼ はじめて春輔師匠の高座を拝見したときのnote

八光亭春輔 独演会

金原亭駒介 高砂や
八光亭春輔 蔵前駕籠

春輔 品川心中 / 〈夕暮れ〉

20230620
赤坂会館

TwitterがXになってから鍵アカウントのポストを引用すると表示がおかしくなってしまったので画像にて。イーロンめゆるさん。(https://twitter.com/akari__sano/status/1671133039857119233)

生意気な言い方かもしれないのだけど、春輔師匠の語り口を聴いて、「"古風"ってこういうことかしら?」と感じていて。
もし「現代的な表現」の要素のひとつが、人物設定や感情の表出をリアリズムに寄せたものだとすれば、師匠は淡々と形式に則って言葉を紡がれる。それが心底気持ちいいなと思っているのだけど、最初に出会った二席がいわゆる珍品だったこともあり、自分がすでに知っている落語だとどう感じるのか、最初の独演会はとても不安だった。

けれど。この日の「品川心中」。
とても、とっても、楽しかった。
二回聴いただけでなんとなく勝手に、「枯れた芸」(世阿弥が老木に残る花について記したように、私はこの芸境に達した方を観るのがとても好きです。ほめ言葉だよ)のような印象を持っていたのですが。
春輔師匠の力強い語りで、溌剌と場面が転がっていく、この「品川心中」はわたしにはとてもしっくりきました。余計なことをなにも考えず、音に乗った言葉にふれているだけで、ただ、楽しい。

どうしようもない連中、けれどこんなに楽しい「品川心中」があったんだ。

誰もが持つさまざまなお顔のなかから、知らない面──自分の見つめる角度からは光が当たらなかった部分──を新しく見出すことは、芸にふれるうえでも、普段の人間関係でも、とても幸福なこと。この日はたくさんの嬉しい「うらぎり」に出会えたのに感激して、自分の鼻息で月まで飛んでいけそうな気分だった。

わたしを月まで連れて行ってくれるのは、ジェフ・ベゾス氏でも前澤友作氏でもなく、春輔師匠そのひとです。いや、そもそも連れてってあげるよとか誰にも言われてないけどな!!

で。サッサと更新しないから、すでに二回目も行ってきた。

八光亭春輔 独演会
柳亭市助 のめる
八光亭春輔 鼻ほしい

春輔 ねずみ /〈初出見よとて〉

20230925
赤坂会館

(https://twitter.com/akari__sano/status/1706296432221913543)

感情移入することを期待して来ているわけではないのに、人物の姿がガツンと頭にぶつかってきたこの日。リアルに寄せないことがかえってリアル、みたいな、よくわからない思考の沼に嵌っていましたね。現代演劇論か。そしていまだによくわからないままだな。

語る口調には卑屈や陰気の色は一切存在していないのに、「鼻ほしい」の男の後ろ姿の虚しさ(哀愁とかでなく、ただぽっかりと虚しい)に、ガーンと頭を殴られました。ガーンとくることって、本当にあるのね。

春輔師匠のことをもっと知りたくなって、徐々に彦六御一門周辺を遠巻きにうろつきはじめたのだけれど、余計にわからなくなっている今日この頃。
今年最後の会には残念ながら伺えないのだけど、来年も必ずやお邪魔したいと思います。

音楽に詳しくないので月といえばまずコレです


今年も年の瀬が迫ってきたので、書きのこしているもの色々、更新していきたいな。いけるかな。どうかな……。

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