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ミソフォニア とりあえず音は「暴力」

他人の出す特定の音に対し尋常ではない嫌悪感を示す「心的病態」をミソフォニアという。いっけん「ただのワガママ神経質」と思われがちなこの種の恐怖症がそれらしい診断名を得、各メディアでも「紹介」されるなかで僅かでも認知されつつあることを、私は素直に喜ぶことにしている。

私自身、他人の出す音のことではつねに苦しんできたし、今も苦しんでいる。「ミソフォニア」とグーグル検索してみると、強烈な嫌悪感を引き起こす音(トリガー音)として必ず上位に並ぶのは、「あくび」や「くしゃみ」や「咀嚼音」や「咳払い」、つまり人間の体わけても口から発せられる音である。なかには嫌いな音を出している動作を見るだけで嫌悪感に駆られる人もいるようだ。ひとくちにミソフォニアといっても、その症状の現れ方は各人各様で、当事者にしか分からないことも多い。だからミソフォニアで今まさに苦しんでいる人は自分のその嫌悪感を仔細に語る努力を忘れるべきではない。そんな執念深い言語化作業を通じてしか人は「分かりあうこと」が出来ない。

高校卒業後、私はほとんど共同住宅に住んでいるのだけど、壁を通して聞こえてくる他人の喋り声や「あくび」等の生理現象音には、なかなか慣れることが出来ない。むしろそれらへの嫌悪感は年々増大している。そこには「こっちは静かにしてるのになんでお前はそう配慮できないんだカス」という「理不尽に対する義憤」もあるし、「空気を振動させて俺の中に侵入してくるな気持ち悪い」という生理的拒否感情もあるし、「俺のことが嫌いで迫害しようとしているな」という過度な被害妄想感情もある。瞬時に生起するこのひとかたまりの不快感の因って来るところをこうして「言語化」することに一体どれくらいの分析価値があるのかは分からないが、少なくともその拒絶感情の根底に「反復への倦厭的恐怖心」があるらしいことは強く自覚している。私は何度も何度も何度も何度も繰り返される「人間由来の音」を生理上聞き流すことができない。咳払いやくしゃみなどが毎日同一人物によって繰り返されると「もうやめろ、うんざりだ」と耳をふさぎ、その音の主の脳天をかち割りたくなるのだ。

あくまで私見だが、生きているなかで何かと鬱屈感を溜めやすい人ほどこの症状に見舞われやすい気がする。潜在的な人間恐怖、劣等意識、自己嫌悪、どこに向けていいか分からない諸々の慢性的な苛立ちが混ざり混ざって、ミソフォニアという特異な症状に結果するのではないか。脳神経学などの用語法による唯物的説明も多分に可能だろうが、それに並行して、当人の履歴やパーソナリティや生活習慣などによる「説明」も可能だろう。いずれにしても単一の論理や人間観ごときで分析できるような対象ではない。

五年前、チック症と思われる隣人の頻繁な「咳払い」で気が狂いそうになったことを思いだす。一分に一度くらいの頻度で「んっ」「ヴヴっ」と喉を鳴らす音を聞かされると「もういい加減にしろ」と壁ドンしたくなる(残念ながら何度もしてしまった)。トリガー音に接したときの気持ちについて、ミソフォニアの人は判で押したように「殺意が湧く」と口にするが、たしかにあの瞬間の忌避感情はそうとしか言い得ない類のものだ。隣人には何度も「配慮するよう」硬軟織り交ぜて伝えたし、乱暴なことに引っ越しの要求までしたこともあったが、一向に咳払いの癖は止まず、関係は日に日に険悪化し、最後まで一触即発の冷戦的緊張感が続いた。壁越しに聞こえるそやつの咳払いは今も脳裏に焼き付いて離れない。あの時期のことを考えるだけでめちゃくちゃ不快になる。

現在住んでいるワンルームでは、隣のジジイの「あくび」に苦しめられている。ただでさえ私はジジイというか年寄りが嫌いなのでもう堪らない。古今東西、人は年を重ねるだけ無神経つまり配慮を蔑ろにする傾向があるようで、そのジジイは毎度あくびをする際、音も一緒に出さずにはいられないらしい。そうでなければ、アクビ特有のあの爽快感が得られないのだろう(同じことは「くしゃみ」にも当てはまる)。このジジイの場合、とくに起床後と就寝前、「ふわーーーあああ」とか「ふわああーあっあっあっ」と傍若無人にリズムまでつけて繰り返しやがる。もうそのたびに「早く死ねボケ」「うっせー糞ジジイ」「ぶち殺すぞこの死にぞこない」などとシャウトします。ほとんど反射的にそんな罵倒語が口から洩れ、もし同じ室内にいたらバールのようなもので撲殺するんじゃないかと思うくらいの攻撃衝動に駆られます。

ほかに「天井からの足音」や「ドアを激しく締める音」などにも「殺意」を誘発されますね。賃貸住宅で天井の壁紙が破れていることがしばしばあるが、ことによるとそれは、二階の足音に堪えかねた過去の入居者が長い棒で激しく突っついた跡なのかも知れない。

ともあれ音を出す存在としてのおのれの暴力性に無自覚な人々よ、いまよりわずかでも配慮の心を示し、周りの人々に殺意を抱かせないような生活を送ってください。そんな気などさっぱりないと言うのなら、私はあなたを憎む。きっと呪い殺してやる。藁人形でも人を殺すことが出来るのですよ。だからどうか老若男女みんな平和に共存しましょう。

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