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中根城(千葉県松戸市) 2023年3月

千葉県の東葛地域には中世城郭が存在するものの、東京に近づけば近づくほど、遺構はほとんど残っていない状況。松戸市の城郭には特に開発が及んでいる。とはいえ、松戸市域は鎌倉時代から千葉氏が拠り、戦国期には東葛を広く支配した高城氏が拠った地であり、中世も繁栄。宅地化された風景の中の中世の残像を探しに訪ねてみた。今回訪ねたのは中根城。

中根城の歴史

中根城は中世の太日川(現在の江戸川)がつくる低地を望む台地上に立地。小金城の南方に位置し、中世に繁栄した萬満寺も近い。歴史は明確なわけでもなさそうだ。「東葛の中世城郭」によると、萬満寺の前身となる大日寺が開かれた鎌倉時代に千葉頼胤が小金に居住という文書が残る。その居住地を中根城とする説があるらしいが、馬橋城や小金城など他の説もあり。

撮影地点

中根城域とその周辺を巡って出会ったいくつかの撮影ポイントをカシミールスーパー地形に記す。

中根城域を巡る

中根の地名が残る「中根立体入口」交差点から探訪開始。国道6号線にある交差点。

地点Aには妙見神社。一帯は要替という城郭的な字名であったと「東葛の中世城郭」。千葉氏とかかわりが深い妙見神社の存在は、中根城に千葉氏・原氏が関わることを示唆。

地点Bには殿ノ山公園。「東葛の中世城郭」では館があった可能性を地名から指摘。公園の前の道は西方向にゆるく下る。

今昔マップで殿之山公園のあたりを眺めると、昭和期に台地が削平されているようだ。色別標高図を眺めると、削平だけでなく、小さな谷が埋められて、高台へと変わるような造成が行われたように見える。

地点Cには龍善寺。松戸市観光協会のページによると、昭和11年に新潟から当地に移転してきたとある。中根城とのかかわりはなさそうだが、高台にあり、中根城域を見渡すことができた。手前に谷を挟んで、その向こうは台地となっている。

地点Dは、地点Cからの眺めた谷の源頭部にあたり、西と東から谷が迫る台地の狭窄部となっている。「東葛の中世城郭」ではこの位置に中根城の大手口を想定している。

地点Eには安房須神社が鎮座。由緒書きによると創建は1606年で中世には遡らないが、当地が中根城であったことがしっかり記されている。小金城主高城氏は支城として中根城をつくり、南の守りを固めた。中根城域に武士を住まわせ、日常は農耕を、有事には参陣できる体制を整えたと書いてある。小田原北条氏滅亡、高城氏没落後に中根城の武士たちは帰農。新作村の農民となったかつての武士の子孫たちが江戸時代に入って、創建した神社のようだ。

地点Eには安房須神社は創建は江戸時代であるものの中根城の城郭遺構らしき微地形が残ると「東葛の中世城郭」。神社社殿の裏手には急な崖に囲まれる平坦地。「東葛の中世城郭」では谷を見下ろせる平坦地と特記。

立体写真

地点Eの安房須神社の北側はただの崖ではなく、途中でいったん平坦になる。「東葛の中で中世城郭」では腰曲輪と指摘。

立体写真

安房須神社鎮座する台地から低地に下り、神社の北に回り込んだ地点F。柵の向こうに土塁のような構造も。

立体写真

安房須神社の東の谷の風景(地点G)。川は暗渠となっている。

谷から安房須神社の台地を見上げる。

谷を挟んだ対岸の台地に登った地点Hから安房須神社の台地を遠望する。

地点Hには中和倉熊野神社が鎮座。由緒書きによると江戸時代の創建だが、中和倉村の歴史は中世に遡るとある。鳥居が金属製なのは2011年の震災で倒壊し、その後再建されたためだそうだ。

江戸時代に奉納された鳥居を再現するように震災後の鳥居の再建が行われたようだ。倒壊してしまった鳥居は現在、社殿の横に置かれている。

中和倉村の中心に向かうと道端に標柱が建つ。一帯は内畑遺跡と呼ばれる古墳時代の遺跡だという。古墳時代から一帯の谷津では水田が営まれていたとの推定が記されている。

台地上の地点Jあたりまで歩くと広大な畑が広がる。

地点Kの高台からは、馬橋方向を望む。馬橋の台地の上にあった馬橋城とは大きな谷を挟んでいる。

探訪の最後に、常磐線を越える跨線橋から中根城の台地を望む。安房須神社の森がランドマーク。

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