産鉄族

身近な自然と歴史を楽しむ日々。神社・寺院・城郭・古墳・地形・河川。下総・常陸・武蔵を中…

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身近な自然と歴史を楽しむ日々。神社・寺院・城郭・古墳・地形・河川。下総・常陸・武蔵を中心に探訪。特に古代・中世が好み。凸凹がよい感じの中世城郭遺構を見つけると立体視画像(平行法)で眺める癖あり。https://mobile.twitter.com/santetsuzoku

最近の記事

小金城(千葉県松戸市) 2024年2月

歴史と立地小金城は東葛地域を戦国末期に支配した高城氏が拠った東葛最大規模の中世城郭。「東葛の中世城郭」によると、古河公方配下の千葉・原・高城氏と小弓公方足利義明との戦いが1520年代に勃発。根木内城を中心として存在した行人台・小金・名都借・前ヶ崎城の周辺で複数の戦いが起こった。小弓公方と結ぶ扇谷上杉朝興への備えも必要となり、小金城の拡張へとつながっていくと「東葛の中世城郭」では考察。1537年に高城氏の本拠は根木内城から小金城へと移る。その際には本佐倉城の千葉昌胤が祝いに訪

    • 藤沢城(茨城県土浦市) 2024年1月

      立地と歴史藤沢城は桜川の低地を北から望む台地上に立地。「図説茨城の城郭」によると南北朝期に藤原藤房の配流先になったことから、小田氏が築いた城館が当時、存在したと推定。戦国期、小田城を佐竹氏に奪われた氏治の反抗の拠点として軍記物に登場。佐竹氏に降伏後、出家した氏治に与えられたのも藤沢城。 藤沢城も小田城も段丘面の上に立地するが、小田城付近の段丘面は氾濫平野との比高が小さく、守りが弱そうな一方、藤沢城付近では比高がある。氏治が藤沢城で反抗したのも地形から納得。 open-h

      • 竜崖城(千葉県印西市)

        立地千葉一族大菅氏が拠った城との伝承が残る浦部の竜崖城(千葉県印西市)は西から東へと入る谷津の奥の台地上に立地。大六天神社から西方に向かった先にある。 カシミール地形図で眺めると、島のように独立しかけた台地の一角で、南側の台地と連結している狭窄部ににらみを利かせる立地だろうか。あるいは谷津の最奥部のやや高い場所に集落があり、その集落の詰めの城という立地だろうか? 大六天神社からの道の途中の台地の斜面林。森が濃い。 撮影地点竜崖城中核部の撮影地点。 城域を巡る城の南東

        • 幸谷城(千葉県松戸市)

          新松戸駅前の幸谷赤城神社。坂川の低地に飛び出した舌状台地に存在した幸谷城の本丸と推定されると「東葛の中世城郭」。「東葛の中世城郭」では、小金城に拠った高城氏の家臣の居城との推定をしている。 現在は住宅に囲まれ、真横を武蔵野線が走り、都市開発にのまれてしまった感があるが、スダジイの巨木は見事。幸谷城があった頃から生きている巨木だろうか? 新松戸駅から眺める幸谷赤城神社。社殿のすぐ裏を武蔵野線が通る。神社が鎮座するかつての幸谷城だった台地の一部は武蔵野線開通によって削平。

        小金城(千葉県松戸市) 2024年2月

          根木内城(千葉県松戸市)

          立地と歴史根木内城は二つの川に挟まれた細長い舌状台地の先端に立地。周辺には高城氏関連の中世城郭が多数存在。「東葛の中世城郭」によると、1520年代には古河公方配下の千葉・原・高城氏と小弓公方足利義明との戦いが勃発。根木内城を中心として存在した行人台・小金・名都借・前ヶ崎城の周辺で複数の戦いが起こった。小弓公方と結ぶ扇谷上杉朝興への備えも必要となり、小金城の拡張へとつながっていくと「東葛の中世城郭」では考察。1537年に高城氏の本城は根木内城から小金城へと移る。 根木内城を

          根木内城(千葉県松戸市)

          布施城(千葉県柏市)

          歴史と立地布施城は利根川東遷以前に存在した常陸川(広川)を望む地に築かれた、下総相馬氏が拠った城。 「東葛の中世城郭」によると、中世の下総相馬氏は本拠を守谷城とし、筒戸城・高井城・高野城・布施城を支城として、常陸川(現在の利根川)や鬼怒川(現在の小貝川)流域一帯を支配。16世紀初頭、相馬胤徳の子の胤保が布施城に拠っていたと推定。カシミール地形図で味わう。 「東葛の中世城郭」では、下総相馬氏は布施城によって常陸川(現在の利根川)の水運を掌握したと推定。当時の下総相馬氏は古

          布施城(千葉県柏市)

          久寺家城(千葉県我孫子市)

          歴史と立地「東葛の中世城郭」では、低地を挟んだ台地の上にあり、戦国期には高城氏家臣(あるいは一族)の我孫子氏が拠ったと説がある我孫子城の支城として久寺家城が存在したのではないかと説を挙げる。ただ規模は久寺家城の方が大きく、両者の関係は要検討とある。 周辺が開発される前の地図や空撮を見ると、久寺家集落は、周りを低地に囲まれた狭く細長い舌状台地上に立地し孤立性・防御性の高さが感じられる。台地先端には久寺家城があるが歴史は不明。「我孫子の地名と歴史」では、武士ではなく、村人の城

          久寺家城(千葉県我孫子市)

          幸谷城(千葉県柏市) 2019年1月

          増尾城と大津川の支流を挟んだ対岸の台地上に幸谷城は立地。「東葛の中世城郭」によると、幸谷城は要害性に欠けることから戦国時代以前の居館跡と推定。本土寺過去帳には1485年に増尾のコウ城での討死者の記録。1479年の境根原合戦の少し後。 最寄りの増尾駅からしばらく歩いて、まずは幸谷城の東の低地から台地を眺める。木漏れ日が見えて、森の木立よりもグッと低い比高の台地上にあることを実感。 城址への入り口は表札もある個人宅の門構え。ちょっと入るのに躊躇したが、中に入ると市民に開放され

          幸谷城(千葉県柏市) 2019年1月

          助崎城(千葉県成田市)

          歴史助崎城は千葉氏庶流の大須賀氏の城。「南北朝の動乱と千葉氏」によると大須賀氏は大須賀川周辺に拓かれた大須賀郷を領し、松子城と助崎城を本拠とした。元弘の乱の際には憲宗が当主で本拠は助崎城。千葉貞胤から預けられた藤原師賢を助崎城に近い場所に住まわせたと推定されている。 撮影地点助崎城は大きかった。撮影したくなった地点をプロット。 V郭助崎城へは、いくつもの郭が広がる台地を狭窄する地点Aから入る。 地点B。一見分かれ道だが、左は城の中核部への道で、右は乗願寺の参道。 地

          助崎城(千葉県成田市)

          布川城(茨城県利根町)

          布川城の立地と歴史 布川(茨城県利根町)の台地は孤立台地のように見えるが、龍ケ崎市のページによると現在の利根川の流れは1630年の開削の結果だという。開削前を想像すると、我孫子から連なる台地の先っちょ。中世城郭をその先っちょに構えたのが豊島氏。 新四国相馬霊場88ヶ所を巡る会のページにあった地図を参考に古代の常総の河川・内海と東海道を考える。布川(茨城県利根町)は手賀の海と広川(常陸川)の合流点であり、我孫子から台地上をたどる東海道が向きを変え龍ケ崎へと行く地点(渡船場

          布川城(茨城県利根町)

          馬坂城(常陸太田市) 2023年3月

          中世の常陸を支配した佐竹氏の本貫地は現在の常陸太田市にある佐竹郷。名乗りを上げた佐竹郷でまず居城としたのは馬坂城。馬坂城は佐竹氏の築城と思いきや、藤原秀郷流天神林氏が築城した城を初代の佐竹昌義が奪い取ったと「図説茨城の城郭」。その後、藤原秀郷流小野崎氏から太田城を奪い、中世の長い期間、佐竹氏の本拠とした。佐竹氏宗家が太田城に移った後、馬坂城は佐竹氏庶流の一族の城となったようだ。 城址までの道 馬坂城は間坂の集落の奥。車で来た場合には集落内に停める場所は無いが、集落の端に駐

          馬坂城(常陸太田市) 2023年3月

          常陸太田城(常陸太田市) 2023年3月

          常陸太田の歴史ある市街がある鯨ヶ丘と呼ばれる台地。中世には台地全体が舞鶴城(太田城)で佐竹氏の居城。主郭部の南北にも城下町が広がり、北は馬場八幡から南は梅照院まで数kmに及ぶ巨大な城だったと「図説茨城の城郭」。 太田城の歴史 佐竹氏の本貫地は太田城の南西にある佐竹郷。そこで名乗りを上げた佐竹氏は当初、馬坂城に拠る。太田城を築城したのは藤原秀郷流小野崎氏。佐竹氏は小野崎氏を圧迫し、太田城を手に入れたと「図説茨城の城郭」。佐竹隆義の頃なので平安末期の出来事か。佐竹氏が太田城に

          常陸太田城(常陸太田市) 2023年3月

          瓜連城(茨城県那珂市) 2023年3月

          常陸国の南北朝動乱の舞台として有名な瓜連城。南北朝期の城であり、現在は常福寺の境内ということで、遺構はあまり残ってないと思い込んでいた。実際訪ねてみると、その思い込みが吹き飛ぶ、迫力ある遺構が残る城郭だった。 瓜連城の歴史 「図説 常陸武士の戦いと信仰」をもとに、瓜連城の歴史を要約。南北朝動乱の背景となる歴史は後醍醐天皇による建武政権樹立から始まる。政権樹立に貢献した楠木正成に、鎌倉北条氏が支配していた瓜連一帯が恩賞として与えられ、一族の楠木正家が配置。久慈川の低地を望む

          瓜連城(茨城県那珂市) 2023年3月

          延喜式内社への探訪ツイートへのリンク

          常陸国稲田神社(茨城県笠間市) 阿彌神社(茨城県阿見町) 阿彌神社(茨城県阿見町) 染谷佐志能神社(茨城県石岡市) 筑波山神社(茨城県つくば市) 静神社(茨城県那珂市) 稲村神社(茨城県常陸太田市) 薩都神社(茨城県常陸太田市) 天之志良波神社(茨城県常陸太田市) 長幡部神社(茨城県常陸太田市) 上野国甲波宿禰神社跡(群馬県渋川市) 伊香保神社(群馬県渋川市) 三夜沢赤城神社(群馬県前橋市) 下総国蛟蝄神社(茨城県利根町) 麻賀多神社(千葉県成田市

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          大鹿城(茨城県取手市)

          大鹿城があったとされる取手競輪場を訪ねる。大鹿城が取手(とりで)という地名の由来という説もあるようで、競輪場の看板にはまさに砦との表記。 大鹿城の伝承 日本歴史地名体系では、大鹿城に拠った大鹿氏が登場する雁金山の戦いの伝承が述べられている。1561年、小文間城一色氏が敵対していた大鹿城大鹿氏を攻撃。大鹿氏は稲城高井氏に助けを求める。また柴崎城荒木氏は城主不在の小文間城を攻撃。その報を聞いた一色氏は小文間城に引き返す途中、雁金山で高井氏と荒木氏に挟撃され敗北。史実かどうかは

          大鹿城(茨城県取手市)

          中根城(千葉県松戸市) 2023年3月

          千葉県の東葛地域には中世城郭が存在するものの、東京に近づけば近づくほど、遺構はほとんど残っていない状況。松戸市の城郭には特に開発が及んでいる。とはいえ、松戸市域は鎌倉時代から千葉氏が拠り、戦国期には東葛を広く支配した高城氏が拠った地であり、中世も繁栄。宅地化された風景の中の中世の残像を探しに訪ねてみた。今回訪ねたのは中根城。 中根城の歴史 中根城は中世の太日川(現在の江戸川)がつくる低地を望む台地上に立地。小金城の南方に位置し、中世に繁栄した萬満寺も近い。歴史は明確なわけ

          中根城(千葉県松戸市) 2023年3月