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根木内城(千葉県松戸市)


立地と歴史

根木内城は二つの川に挟まれた細長い舌状台地の先端に立地。周辺には高城氏関連の中世城郭が多数存在。「東葛の中世城郭」によると、1520年代には古河公方配下の千葉・原・高城氏と小弓公方足利義明との戦いが勃発。根木内城を中心として存在した行人台・小金・名都借・前ヶ崎城の周辺で複数の戦いが起こった。小弓公方と結ぶ扇谷上杉朝興への備えも必要となり、小金城の拡張へとつながっていくと「東葛の中世城郭」では考察。1537年に高城氏の本城は根木内城から小金城へと移る。

根木内城を巡る

根木内歴史公園として整備されていて、城の南東にある低地には駐車場やトイレもあり。

撮影地点

城域を巡る

低地の地点Aから城を望む。城の下は現在も湿地帯になっていて、当時の天然の水堀を再現しているのではないだろうか。ただし水の濁りがひどい。終戦後の空撮画像では田んぼだったように見える。

低地の地点Bから台地の崖を立体視。戦国時代に切られた急崖だろうか?

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南の大手口に向かって、空堀を登る。その途中の地点Cから土塁と土橋を立体視。空堀の下からだと、土塁はかなりの高さに見える。「東葛の中世城郭」では、土橋は後世に造られたもので、戦国時代は引橋があったと推定。

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土橋を正面に地点Dに立ち、虎口を立体視。

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地点Dから南を向くと、台地との間に旧水戸街道が通る低地(切通しか?)。戦国時代にも、南側には中世の街道(後の水戸街道の原形)があり、それを抑える城だったのだろうか? 今昔マップの明治迅速測図で眺める。

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土橋を渡り郭内の地点Eから振り返って、土塁を立体視。土塁の手前にあるへこみは、何か意味があるだろうか?

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土塁の上に上がり、地点Fから土橋を見下ろして立体視。

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土塁の上の地点Fから南西方向に振り返ると土塁が続く。「東葛の中世城郭」によると、このあたりの土塁に横矢掛かりがあるとされているのだが、よくわからず。

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城址公園に残っている郭はそこそこ広い。郭の中には解説板もある。郭の北に行くと、国道6号線が城跡を寸断している。

城址公園として残る郭の北側に掘られている空堀を通って城を下りる。地点Gから振り返って立体視。

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城址公園として残る郭の北側の空堀は発掘調査によって薬研堀であったことが確認されているとのこと。

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