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会社にモヤるのは他に評価される場所が無いから

サラリーマン、モヤってます

社会人のみなさま、会社からの扱いや評価にモヤっとしてませんか?
私はしてます。

「クソ上司ふざけんな!」と拳を上げたり、「こんな会社もう辞めてやる!」と強く決意したとかではないけど、「なんだかな~」と遠くを見る感じ。きっと働いていれば誰しもあるんじゃないでしょうか。

先日上司との月に1度の評価面談をしたんですけど、仕事のなかで見てほしい部分に目を向けられなかったり、かけてほしい言葉をかけてもらえなかったりという思いがあまりにも多くて、自分の存在価値がゆらーりゆらーりと気持ちの悪い揺れが続く感じが起きています。
いわゆる承認欲求的な面もあると思いますが、会社の評価はそのまま収入や今後のライフプランに関わってくるので、もっと総合的な不安感とでもいいましょうか。

モヤるのは必ずしも会社や上司の問題ではない

はじめは会社や上司の問題点を心の中であげつらって自分を納得させようとしました。しかし、何か違う。
このモヤモヤは必ずしも会社や上司の問題ではなく(正確にいうとどんな会社や上司でも一定の問題はあるので、特段劣悪な環境ではないという意味)、自分という人間の評価が会社にしかないことが問題という結論に至りました。

かつては2つの評価軸を持っていた

私は30後半になるまでライスワークの仕事と平行して、演劇やテレビドラマの世界に挑戦していました。演劇では自分で作・演出した舞台を上演するたびに観客のアンケートやネットでの劇評、そして関わってくれた役者やスタッフからの評価に一喜一憂し、さらなる挑戦への糧としていました。
20代の終わりからは、各テレビ局が開催している脚本コンクールに挑戦するようになり、仕事終わりにファミレスに寄ってはドリンクバーでひたすらコンクール用のドラマ脚本を書く日々(お店にとっては迷惑な客だったなと今さらながら反省…)。審査通過者の発表が行われるたび、胸が破裂しそうになりながら掲載されている名前をゆっくりと確認し、名前が無ければその日は思いきり落ち込んで翌日からまた新しい脚本に取り掛かり、名前を見つければ心の底から「認められた」気持ちになりました。
コンクールで数回賞を取ってからはテレビ局に出入りするようになり、今度はドラマの企画書をひたすら作ってはプロのディレクターから手厳しい評価を受ける日々。そして、わずかばかりですがNHKとTBSで自分のオリジナル作品を全国にオンエアしていただきました。

このように、いわゆるオフィスワークの成果とは全く違う視点での評価があり、それが私にとって大きな心の支えとなっていた、と今にして思うのです。2つの異なる評価軸によって心の余裕を与えられ、1つの場での評価に振り回されることなく、自分の価値を保つことができていたのだと思います。

自分の価値を多面的に評価できる環境を自ら作る

つくづく思うのは、自分の価値を多面的に評価できる環境を自ら作り出すことの重要性です。趣味であれ、副業であれ、SNSであれ、会社とは異なるコミュニティで会社とは別軸の「評価される場所」を持つことが、所属している会社固有の評価だけで生きる辛さから身を守る鍵となるんじゃないでしょうか。それによって、今の会社からの評価に一喜一憂して小さくまとまることなく、もっと大胆に提案したり発言したりできる気がします。

ひたすら物語を書く時期があったので、それなりに人間を考察してきたという思いがあるのですが、人の魅力は本当に多面的です。あるコミュニティでは嫌われたり非難される性質が、別のコミュニティではとてもポジティブに受け取られることなんてザラです。いや、本当は肌感覚でそんなの誰でもわかってるはずです。でも、1つのコミュニティだけで評価を受け続けているとついついそれを忘れてしまうんですよね。

とりあえず私はさっそくサーバーを借りて自身のブログを更新していくことにしました。例えば会社で却下された提案を自身のメディアで実践して評価(アクセスやコンバージョン)を受けることで、もしうまくいけば会社の考えだけが正解でないと分かるし、うまくいかなければ会社の判断は正しかったと納得できるし、結果的にSEO力が鍛えられることに繋がります。そうなれば絶対に会社の仕事にも良い影響を与えますし。

そんなことをつらつらと考えた年度末のある祝日でした。明日からもがんばろう!!

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