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どうか欲張りであれ、人生

カテゴリ:自分語り、回顧録、惚気話、2年間と10年間


誰かのために生きるというのは
楽しいことや明るいことばかりではなかった
悩んだり落ち込んだりすることも多かったと思う

HERO『あことバンビ』8巻より

きっとそういうものだろう。たとえどれだけ幸せだとしても。それが誰かと一緒に生きていくということだろう。それはわかる。それは覚悟のうえで。それは理解のうえで。それでも希望の方がたくさんあって。そんな気持ちで新生活はスタートした。
それから2年。

たぶん、僕は思っていた以上に、幸福に生きている。



お疲れ様です。三都日曜です。
はやいもので、個人的な節目となるあれやこれやがあってからもう2年が経ちました。そして、自分でも驚くことに、平穏無事に生きています。
その間にもいろんな発見があったり、試行錯誤があったり、楽しさがあったりしました。そして世の中は相変わらず混迷を極めています。それはそう。
以下、この2年間の簡単な回想と、生きるということと、創作に対する欲について、少しばかり綴ろうかと思います。惚気話かと言われればそうだし、それだけじゃないといえばそう。

いつものショートストーリー1本分くらいは書くので、ついてきて頂けると幸いです。


■フルパワーシンステと一旦の幕

2022年3月。
シンステにコラボ込み計3冊の新刊本+2冊の既刊本を持って乗り込み、2スペース確保での参加という大暴れをもって、あの瞬間の自分の中にあるものをすべて出し切るくらいのお祭り騒ぎができた。
しげゆきさん(@ssiiggeeyyuuki)のタッチによるイラスト・漫画作品とのコラボ、今振り返っても感慨深いし、文字書き冥利に尽きる。


■結婚、フォト、はじまる日常

同年5月、結婚。
経緯は以前のnoteのページにも記したけれど、ほとんど誰にも話していなかったので、どうにも唐突な流れのようになってしまった。
幸せなことであると同時に、シンステ後のツイキャス雑談の中でも「今後の動きは一旦白紙」と語っていたのは、この先の自分の日常がどうなっていくかが本当に読めなかったからである。

この時点で既に、地球が疫病の災禍に包まれて2年が経過していた。ゆるやかに世間のイベントが再開をみてはいるものの、決してひどい時期を脱しているとは言えず、ウェディング関連の催事は特に、まだ判断が微妙な時期でもあった。僕らも議論の末、結婚式も披露宴もやらないと決めた。新婚旅行も「行ける時期が来たら、いずれ」と。それでもウェディングドレスは着せてあげたい。記念は残してほしい。そんな気持ちもあったし、奥さんもその気持ちはあったので、フォトウェディングだけは行うことにした。

「どうせなら結婚記念日のその日を、めいっぱい思い出したくなる大切な日にしたい」という奥さんの提案により、入籍日にフォトウェディングも撮影してしまうというあまり例をみない一日詰め込み型ハードプロジェクトが計画された。当日はバタバタしたけど、あとになって思うと、写真を見返して「この日が結婚記念日なんだよな」となるのは、なんだかとてもいい。すべてがギュッと詰まった思い出の日になっている。

フォトの予約を取り、書面を準備し、事前に役所で不備がないか一度確認してもらい、そして当日。早朝に時間外窓口で書類を提出し受理され、その足でフォトウェディングの撮影スタジオへ。メイクや着付けをして、フォトスポットへ。撮っては動き、撮っては動き。いろんなポーズをし、笑顔をし、向きを変え、仕草を変え。京都の名所となるフォトスポットは人が多い。人混みが止むタイミングを見計らっては撮る、を繰り返す。なかなか大変だったけど、おおむねスムーズにいったと思う。「旦那さん、めちゃくちゃ指示の理解が早くて助かります。撮影慣れしてます?」と言われて笑った。そんなわけない。

後日もらったアルバムとデータは、今も大切にしている宝物だ。式や披露宴がなかったからこそ尚更。幸運なことに、本当に幸運なことに、当日は信じられないくらいの快晴だった。おかげで思い出の写真たちは文字通り晴れやかで、今見返してもきらめいている。

前日まで雨だったのにこの日だけ快晴だった

で、始まった日常生活。
冒頭でも述べたことではあるけど、個人的な想像をはるかに、はるかに上回る穏やかで平和な生活をしている。
日々はもちろん忙しくて、仕事は大変で残業も多くて、共働きなので家事は助け合いで成り立つ毎日。それでも深刻になりすぎるほどの激務やトラブルはこの2年ないし、決して楽ではないけど、まだ幸いといえる仕事現場なのかなと。
ぐうぜんにも僕が、結婚の少し前あたりから早出出勤が増えて、そのぶん少し早くあがるみたいな日が増えたのだけど、これが本当に幸運だった。朝型人間なので早朝起床には強いし、はやくあがれるのは嬉しいし、なによりこれで家事を担える時間が圧倒的に増えた。僕の方が先に帰れる日が増えたからだ。
実家では親に頼っていたし、一人暮らしの時にも最低限のサイクルを回し続けてきた僕にとって、家事を改めてちゃんと深め直す機会はここだ! と思っていた。基本的な知識の再確認から、料理のアイデア、掃除のコツ、備蓄のハウツーなどひとつひとつ調べたり、奥さんに相談したり、なんだったら実家の親にも訊いてみたりした。検索してみるだけでもいろいろ出てくるのはありがたい時代だと思う。そういう「試行錯誤する時間があったこと」が本当に本当に運がよかった。
これで新卒の頃みたいに朝から夜遅くまで働いて、寝に帰ってるだけのような生活だったとしたら、そもそもこういう時間すら取れないわけで。ライフワークバランスとはこういうことでもある。

ときどき実家の両親にも会うが、僕の変化にとにかく母が驚いていたし、喜んでくれた。もちろん奥さんも喜んでくれるし、彼女自身もいろんなアイデアをくれたり、とにかく一緒に楽しむことを提案してくれる。

彼女は本当に魅力的だ。
いつも笑顔だし、おいしそうに食べる。健康的だし、早く寝る。おおらかで寛容。整理整頓がうまい。お笑いを見るのが好きで、そしてあまり物事に執着がない。いろいろなことに興味は示しつつも、全部集めるとか、シリーズ全部観るとか、検索して全部調べて理解するとか、あまりそういう「徹底思考」みたいなものがないのだ。いい意味で、オタク思考の対極にいるタイプだ。
あれが好きならこれもぜひ、みたいに作品を次から次にブックマークにぶちこみ続けて、時間がないのを理由になかなか消化できずに溜め込んでいる僕とは真逆である。
でもここ行ってみたい、これ食べてみたい、これおもしろいよ、これオススメ、といつもいろいろ楽しそうに語ってくれるし、僕の提案にもいつだって満面の笑みを見せてくれるし、楽しんでくれる。


■得意と苦手と才と運

価値観の相違、みたいな表現がある。
これまでの話だとまるで真逆のように思える僕と彼女ではあるのだけど、たとえば僕はグッズ欲も収集癖もないので意外に物を集めないし、そもそもあまり部屋に物を並べたがらない。散らかっている状態が苦手だし、機能的で整頓された空間が好きだ。年末大掃除みたいな、半日や一日をかけてやるアクションにはなかなか腰が重いが、綺麗を維持しておくことは好きなので、日々の掃除にはかなり積極的だ。汚れは気づいたその瞬間に落とす。広げたものはすぐ片付ける。そういう意味では、はからずも彼女も僕もお互い、積極的に整頓された綺麗な空間をつくることに成功している。

彼女は収納がうまい。片付けそのものも手際がいいのだが、たとえば収納ボックスを買ってきたとして、これは上段に、これはこっちに、といった割り当てがうまい。これは本当にセンスもあるのだと思う。僕は新生活すぐの頃、半日以上かけて同じものを入れたり戻したり繰り返していたものだ。そのへん、最近では場所の割り当ては一度彼女に相談することにした。なにごとも助け合いだ。

生きていくうえで、才能も努力も運もどれも大切なのは間違いない。
20代半ばに仕事を投げ出したことがある。あの頃の仕事なんて僕には続けられないし、当時の僕なら必然、結婚はないだろう。恋愛は心意気とか意思の話だが、結婚は現実の話だ。そのへん、労働時間的にもメンタル的にも仕事が多少なりとも安定しているのは大切なことだ。昨今自分がそうあるのは運がいいともいえる。
だとしたらこの今を僕なりに大切に守りたい。グダグダと仕事でヘマをやらかしているわけにはいかないし、生返事でタスクを背負いすぎて潰れないようにもしていきたい。これは工夫の話であり、努力の話だ。
生きるうえでの才能なんか別にないし、不器用を絵に描いたようにもがき続けてここまできた人間である。でも、激務を続けて過労死する選択肢には至らなかったし、イベリア半島放浪旅でも幸い野垂れ死なずに済んだ。右往左往しながら、それでも今こうして生きているのは、生き抜く力が多少なりともあるのかもしれないし、まだ死なないでいるくらいの才覚はあると言っていいのかもしれない。
それが紙一重なのかどうかはわからないけど、それで良いと言ってくれる友達やフォロワーや家族が少なからずいるのなら、そんな環境もそんな自分も大切にしていきたいな、と思う。

家事はきちんと向き合ってみるとけっこう楽しい。でも今でも、自分ひとりの為ならここまで頑張ることはできない。何か試すたびに奥さんは反応をくれるし、料理も喜んで食べてくれる。それが嬉しいし、甲斐があるとはこういうことだろう。もちろん彼女もいつもいろいろ頑張ってくれるし、お互い支え合っているから成り立つことでもある。とはいえ僕は彼女のために頑張っているところがあるし、その根幹にあるのは「ちゃんとした自分」を彼女に見せたいという見栄のようなものかもしれない。それはある意味ずっとそうだ。

身も蓋もないことを言ってしまえば、
僕はこれからもずっと、彼女にモテたいのだ。


■バカンスと隔絶されない世界

2023年5月。
会社の都合がいろいろ重なり、ぐうぜんGWに連休をもらえることになった。はからずも結婚1周年である。奥さんとガッツリ連休が重なることは本当に稀だ。ここしかない。我々は日数の迫ったドタバタの中で、数日間のバカンス旅行を計画するに至った。幾つかの選択肢の中から選んだ行き先は、モルディブ共和国。インド洋に浮かぶ “ザ・南の島” という感じのリゾート。

本当によかった。ふりかえると僕は、旅行先に「休みに行く」という経験が人生において極めて少ない。海外にせよ国内にせよ、行った先ではいろいろ巡り、食べたり歩いたり遊んだり、あれこれやって宿で休む。そんな経験がほとんどだ。今回は本当に「海を眺めながらコテージでくつろいで過ごす」「ときどき泳いだりおいしいものを食べたりする」「マッサージを受けたりヨガを体験したりする」という、これでもかというほどリゾート感に浸ってきた。本当に貴重な経験だったと思う。

思えば時代は変わったものだ。海外はもう長らく行っておらず、常識もずいぶんと変わっていた。
Wi-fiは観光地各所で使えるようになって久しい。保養地に行ったとて、情報が隔絶されることはない。日本から7,000km以上離れたインド洋上でも、スマホをつなげばいつもの自分としてSNSもできるし、ネットのニュース記事にも触れられるし、動画だって視聴可能だ。
現地のスタッフさんは基本英語だったが、時々Google翻訳で日本語説明を出してきた。こういう使い方もある。僕は使ってこそいないが、やれGoogle翻訳だポケトークだと会話の最低限の壁は越えるツールが生まれつつある。
ドルはほぼ使わなかった。行く先々でクレジットカードが使えた。むろん遠隔地に行けばその限りではないだろうが、今回は乗り継ぎのシンガポール含め、観光地 to 観光地という感じだったから、さもありなん。
ひと昔前の海外体験定番の「とにかく不便」「何かしらうまくいかない」「日本での現実から隔絶される」といったことにほとんど遭遇しなかったのは僥倖であり、時代の進化も感じたところ。
もうちょっと理不尽なことがあっても旅っぽくていいんだけど、と心のどこかで思わなくもないけれど、それがないというのは素敵なことなので、素直に喜んでおきたい。

一生の思い出になったし、同じように楽しそうに語っていた奥さんの笑顔が印象的だった。来てよかったと思った。

1年が経った。
日常がまた続いていく。春夏秋冬をひとまわりした、というのは少し嬉しいことでもあった。いろんな季節の姿をまず一周、二人で乗り越えたんだなと思えたから。夏の暑い日も冬の寒い日も。ともに働いて、生活して、生きてお金を回していく。そのサイクルを一周した。そんな実感が少しだけ、生きていけるんだという自信になった。


■衰退するな、都市よ、人よ

僕は社会人2年目くらいに激務とそのストレスで、仕事以外の自分が「なくなってしまった」ことがある。いや、もちろん現実にはあるんだけど、何も残らず、何も記憶に刻まれず、みたいな状態になった。毎日ただ帰宅して、半死半生みたいな姿で部屋に倒れて夜を越していたように思う。あの時は本当に「自分」が失われていくボロボロ感がすごかった。何も楽しまない。何も挑戦しない。そうして、人としてどんどんつまらなくなっていく。
そして段々と肉体的にも死んでいくのだ。脳が、筋力が、あらゆる可動範囲の己が「退化」を始めるんだと思った。止める術はない。そう感じた。

それでも、愚かにもその現場から逃げ去り、少しずつ回復して、帰ってきた。戻ってこられたと思った。
今僕は生きている。その実感は、たまらなく嬉しい。

だがいま、30代後半にして今度こそ、間違いなく「衰え」は来ているだろうし、実際もう10代のようにはいかないことだってある。それでも充実してこれからを生きるためには、むしろ10代の時よりも意識的に動かなくてはならないのではないか。そう感じる日々だ。いろんなことを楽しんで、積極的に取り込んで、ちょっとした変化に興味を示して。些細なことでも構わない。そうでないと、なにも変わらないまま時はあっという間に過ぎていく。

いつかやりたいなと思っていることは、どんどんやっていった方がいい。そういう思いが強くなったのは夏も終わる頃だったか。

9月。
ずっと歩いてみたいと考えていた熊野古道・中辺路に挑戦、無事踏破した。身体はものの見事にズタボロになった。信じられないくらいズタボロになった。でも、たまらなく気分はよかった。

以前のnoteページでも語っていることだけど、自身の過去の経歴もあり、これで日本とスペインの間で姉妹提携のある二つの巡礼路、その両方を踏破したと認定された。

同じく、2023年秋。
地域の知識をもう少し深めていくのは大切なことかもしれないと思い、学びの意味も込めて「京都・観光文化検定」に向き合ってみることに決める。
同年12月。
まずは3級に挑戦。無事合格を果たす。
試験をキッカケにして知り得たことも少なくないし、一方で、理解が及んでいないこともまだまだたくさんあると痛感する。なかなか楽しい。ここはまだまだスタート地点だ。

弊自治体、歴史や文化に関していえば国内有数の見所を有し、日々とてつもない数の観光客を国内外から迎え入れ続けている文化観光都市である。第三次産業がそうして活況な一方で、農・工さまざまな分野での地域振興にも積極的といえばそう。
……にも関わらず財政は依然逼迫しているし、伝統産業の後継者問題は深刻、好況を謳う企業は決して多くないし、オーバーツーリズム問題もあれば、その影響で居住者が生活しづらい街になったとの声も聞こえて久しい。現実は厳しいままだ。
街も人も様々な面がある。元気であり続けるというのは容易いことではない。でも、だからこそ、いろんな形で見えてくる小さな良さひとつひとつを大切にしていく必要があるのかもしれない。

閑話休題。
運動にせよ勉強にせよ、「長らく本気で向き合ってこなかったな」ということを今回の挑戦をしていてかなり実感した。その是非というよりは、それを理解し、そこ含めて楽しんでいくスタイルを作るのが、これからを生きる上で大切なことなのかもしれない。もっと勉強したいし、もっと地域のことにも触れていきたいし、もっと文字を綴っていきたい。


■節約、把握、使う、語る

また2023年、奥さんのアドバイスももらいながら、自身のお金の動きを見つめ直す時間を設けることも何度かあった。保険や積立の話からサブスクの話まで。いらないものを節約したり意識的に減らしたりする一方で、いくつかのコンテンツへ新たに課金を始めたり、気になるものを積極的に購入してみたりもした。
奥さんは意外にこうした趣味への消費に肯定的だ。無茶な課金や際限ない購入とかでなければ、いいなと思ったものはむしろ買っていくべき、楽しんでいくべきと語る。
実際、そうした支えがなければ維持されないコンテンツも少なくない昨今。自身をきちんと律したうえで、好きなものや好きな人を、可能な範囲で自発的に応援していくこと。発信されるものを楽しむこと。正当な対価を払うこと。その形がいろいろあると感じる。

そういえば、偉大なアーティストの観戦のため現地に行ったり、好きなバンドのライブをオンライン配信で視聴したり。いろんな楽しみ方をしたのも2023年である。

いいなと思うものを買うのはもちろん、買ったうえでちゃんと「これいいぞ!」と発信していくのも忘れないようにしよう。その意識も年々高まっている。些細なことでも、それが応援の声になるといえばそうだし、それをキッカケにまた知り得ることもある。意外にも公式とつながったり……みたいなビックリする事例も何度かあった。

書籍や音楽の感想にしたってそう。何気ない投稿にすぎないけど、「これよかった!」と語り残しておくことは決して無駄ではない。応援の意味でももちろんだし、自分がその時期・その瞬間に感じたことの記録として言語化はかなり意味がある。これは最近特に感じていること。

2024年。
今年に入って大きめのお笑いのライブに2つ行った。福岡と、大阪。
どちらもかなり人気だったものの、幸いにもチケットを確保できた。旅行も兼ねて泊まりがけで遊ぶ計画を立て、現地を満喫した。
お笑いライブに毎年数回程度行くようになったのは、もちろん奥さんの影響だ。でも彼女も、以前はそんなに頻繁に現地に行く人ではなかったそうで。「行ってみたらおもしろかったし、旅行も兼ねてならまたアリかなと思って」とのこと。それはひとつ、彼女の中での変化のようだ。
毎年こうした計画を考えるときの彼女はウキウキを隠しきれない様子で、それを傍目に眺めているのはなんだか微笑ましい。

結婚をして2年になる。ありがたいことに現状は幸せで、お互いの忙しい仕事を工夫しつつ家事を支え合う日々。アイデアを共有したり、時短のコツを教えあったり。気がついたことはなんでも相談する、ということが功を奏しているように思う。上述のお笑いライブの話に限らず、休みが合えば二人でよく出かけるし、連休が重なるなら少し遠出も計画する。奥さんも僕も旅は好きだ。実際に巡って浸って観光地を満喫するのも好きだし、そうした計画自体を立てるのも楽しい。
いい循環、なのだと思う。
とはいえ全ては健康ありきのこと、かつ懐具合に無理のない範囲のことなのが前提だ。不規則な生活はなるべくしない。栄養をしっかりとる。疲れに敏感でいる。なるべく無理はしない。潰れないように気をつけながら、頑張って働く。二人でしばしばこういう話をするようにしている。
楽しい時間は、これからも続いてほしいから。

それと、ここまで好き勝手綴ってきたことはすべて、僕目線によるものだ。少なくとも僕に嘘はないけれど、奥さんにもそう映っているとは限らない。実は気にしていること、我慢していること、話せてなかったことなど、内心はあるかもしれない。きっとあると思う。そこは人間、100%の相互理解なんてできようもないわけだから。
だからこそできる限りのことを頑張って。たくさん言葉を交わして。いろんな自分を語って。いろんな彼女の姿に気づいて。楽しい瞬間を試行錯誤して。そういう意識はこれからも欠かせないようにしたい。

精一杯生きる。
安っぽいかもしれないけど、とても大切な言葉だ。


■ペンを走らせ十年、文字を愛して数十年

そういえば、インターネットの片隅に僕がアイマスのSSを初めて投稿したのは2014年の暮れのことだった。

Twitter(X)にアカウントを開設したのもこの頃だったはず。すなわち、大仰な物言いをしてしまえば、文字書きという意味での僕、インターネット上におけるハンドルネームつきの自分、それが存在するようになって、この冬で10年になるということだ。

文字を綴って、小説本を作って。喋って、騒いで、もう10年。
はやいものだ。

書いたショートストーリーは累計で60〜70作くらい。Webに投稿したもの、合同誌等に寄稿したもの、そして自ら文庫本の形にしたものまで様々。会話形式のSSらしいものに始まり、近年は小説形式にきちんと則ったものまで手を広げて。装丁にこだわったり、フォントにこだわったり。
シンステにはこれまで5度のサークル参加。頒布したA6サイズの小説本は7冊ほど。

イベントでは他にもコピー本などもいろいろ頒布記録はあるが、今回は省略


本当に、周囲の仲間とフォロワーに支えられてきた10年だったと思っている。そして今、僕はメモをしたため、再び小説を書き始めている。目標は来年のシンステ。
それ以降のことはまだわからない。書きたいことはもちろんあるけど、それはシンステを終えてから考えたらいいかなと思う。まずはそこまでにひとつの作品をきちんとつくりあげることが大切だ。
思えばずっとそうだった。毎回次のイベントを目指して全力疾走をする。出し尽くす。そしてまた周りを眺めて、自分を探して。そこは案外、今も昔も変わってはいないのだ。

とはいえ、かつてのような無茶はもうできない。
徹夜で字を書くのはどう考えてももう無理だ。日常との兼ね合いもあるし、もともと深夜型ではない僕にとって、徹夜はシンプルに疲労が大きすぎる。だからこそ、計画的に進めることが求められる。今から走ってちょうどいいのだ。そう思っている。

すべてをかなぐり捨てて趣味に没頭するような人間ではなくなったけど、日常生活も、自分らしさも、どれも捨てないで突っ走る欲張りな自分になったのだとしたら、きっとそれもまた、おもしろい。

書くたびに文章がおもしろくなる、そんな自分は今も更新中だ。その自負で僕は今日も進む。この原動力はいろんな刺激をくれる友人たちのおかげだし、今もコンテンツと向き合ってる仲間たちのおかげだし、たぶん、日常を幸せに感じさせてくれる奥さんのおかげでもある。

続けることありきでやってきた文字書きではないけれど、走り続けるうちに10年もの月日が経った。結婚生活も、人生そのものも、そんな感じで走り続けていけたらいいなと思うが。はたしてどうなる。


■おわりに

いつだったか、ふいに奥さんが「長生きはしたいな。二人とも健康で」と言ったことがある。何気ない一言だったんだけど、とても印象的だった。

彼女は決して壮大な野望も野心もないし、むしろ穏やかで少しのんびり屋な一市民だ。世の中の理不尽にも鬱屈さにも、可能な範囲のことをして、それ以上のことには諦観的で。そんな彼女から長生きを意識した言葉が出たのは、少し意外で。でもそれが今の日々の延長として導き出されたのだとしたらそれは嬉しいことだし、楽しくて穏やかな毎日を好む彼女らしいといえば、そうなのかもしれない。
そう聞かされると僕もしっかり生きなきゃな、なんて気持ちになる。ちゃんと日々に向き合って、ちゃんと物事に挑んで、そしてちゃんと楽しんで。せっかくだからね。

みんなみんな、日々を楽しくあれ。
どうか欲張りであれ、人生。


2024.05 三都日曜(浪漫街道石畳)

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