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7月の楽しみ(フジロック)

最近考えていることを書いておこうと思ったので、6月30日から書きはじめて7月1日にUPすればいいかと思いました。すなわち6月に私は主に何について考えていたか?

というと、自分のことなので自分で振り返るわけですが、主に自分のゆく末とか未来とかこの先の楽しい予定とかこの先にあるであろうちょっと憂鬱な予定(確定)とか考えていました。
わかる範囲で、もう過去をくよくよしても全く無意味なので、先のことを考えているわけです。のこりすくない人生を、なにしろどこまで生きるかは分からないので、のこり少ないと仮定して、ならばお金は地獄までもっていけるわけではなく、使うことを考え、楽しく使うことを考え、死ぬまでにやりたいことリストから、なるべく可能な部分を実現していく方針です。

7月末には有名なフジロックがあり、今年ははじめて行ってみることにしました。行ってみればその先にまた行きたくなるかどうかは分かるでしょう。行ってみないとわかりません。カネコアヤノさんという方が好きなのでそれを聴くために行くわけですが、かつてはYOUTUBEでフジロック中継をみていたものの、今年はYOUTUBEでは配信なく、有料チャンネルでの配信オンリーともきいて、ならば現地で見るしかないということであります。
音楽ライブは本当に「その場所」で「その日その時間」にしか実現していないものを目撃して聴くことができる貴重なもので、それを価値として受け取るしかありません。映画とは違うのです。LIVEなのです。それにお金を払うことは望むところであります。

一方で映画は映画で大好きですが、だいたい私の要素(楽しいこと)は映画・音楽LIVE・マンガ・小説・その他の本・図書館・旅行でできあがっているので、それらは今後も死ぬまで(あるいはできなくなるまで)は楽しんでいきたいと思います。

上記のリストはすべて一人でできるものです。

あと私の日記(はてなBLOG)には私のやりたいことリストがのっているのですが、そこには「聖岳に登山」とか「セルフビルドで家を建てる」とか
「海外に1年住む」とか書いてあると思います。ときどき内容がかわります。ちがいました「長い1年にもおよぶ旅」って書いてありました。あと著作で収入を得て税を払うとか書いてあります。いい目標です。

聖岳というのは南アルプスでもいちばん南にある3000m級の山です。登山技術が必要なこともありますが、このエリアは、アプローチが大変に面倒くさいことで知られています。長野県側から登るほうが短いルートなのですが、登山口までの道が落石などでコンディションが非常にわるく、車で行けなくなり、タクシーも時間などが限定されるようになり、川を渡る橋が落ちたり、とにかくバッドなコンディションです。かつて、まだそこまででもない時期に私は途中まで登山したことがあるのですが、その時は遭難しかけて、山の怖さと美しさと同時に味わったことがあります。ここで気まぐれに書くような内容ではないので割愛しますが。
一方で静岡県側から上ろうとすると、このエリアは「特種東海製紙」という会社が山そのものというか土地を所有しており、つまり他人の土地を勝手に入ってくるなということになります。しょうがないです。山小屋はありますが、事前予約が原則であり、登山口までたどりついてもそこから山小屋までが丸一日コースであり、つまり遠く、険しく、山頂までいくには3日かかる計算です(二日で往復するには1日目に山頂にたどり着かないといけませんが、遠くてとても辿りつけないということです。バケモノクラスの健脚の人はそうするらしいですけども)。

まあ、なかなかそれをすることが難しいという場合にはそれなりの理由や事情があるということですね。

セルフビルドの家だって、土地を得ること、資材を買うこと、人を雇う(工賃等)ことなどの資金と手続きと、さらにいえば固定資産税を今後ずっと払う能力とか要求されます。土地持ちになることは簡単なことではありません。いまでも「印鑑証明」とか使ってるのかしら?

それにくらべたらフジロックにいくことはそんなに困難ではありません。休み(暇)があり、金があり(チケットを買える)、意欲があればいいのです。あとは歩く体力と塗れても我慢する根性、立ってみている長いライブの時間をすごす覚悟があればいいと思います。一人焼肉にくらべたら一人フジロックのほうが簡単ではないでしょうか>?

雨は、ふるものと覚悟しましょう。夏の新潟(苗場)でずっと晴れということはあまり期待できないと思います。確率的に雨はふるでしょう。

というか、では、なぜ、これまでフジロックに行かない人生だったのでしょうか?

おそらく(推定)、どこかで無根拠にも「フジロックに一人ではなく誰かと共にいくようなLIFE」があるものだと思いこみがあったのではないでしょうか。
しかしそういうものはなく、ないままに、フジロックにいかないままに老物となってしまうのは悔いがのこりますので、まあついに無根拠な考えを棄てて、行動するに踏み切ったともいえるでしょう。ちなみに老物というのは、こないだ私が考えた言葉で、人間として老いてきているがまだ老人ではない、しかし若者でもない、中年というには老い過ぎている、それをなんと呼びたいか考えたときに「老廃物」から廃をとって老物ではどうだろうかと思ったわけです。まだ「廃人」にもなっていないつもりなので。

といいますか、このふんぎり、踏み切った、このような行動の変容はどのあたりで起こるものでしょうか。
たぶん、「のこりの人生はこのくらいだろう」という推測からだと思います。まあ50を越えれば、人間の健康寿命なんてせいぜい60代までだと覚悟も決まってくるでしょう。なんといいますか、健康で、関節疾患がなくて歩いて好きなところにいける度合いの限度という意味です。クレイジー健康老人ならば70代でもそのように歩いて行動できるとは思いますが、私のような平凡な能力の市民は無理ですね。幸い、いま、50代で、歩くこと自体には抵抗がなく、仕事で毎日12,000歩くらいは歩いており、毎日そうだというのはなかなか好都合なので、まあいいでしょう。

ふんぎり。お金をつかって遊びをすることも、気力あってのことです。出かけることそれ自体が億劫になる日がやってきます。私も休みのたびに新幹線に乗っているとさすがにこれは新幹線乗りすぎではないだろうかと考えてしまいます。6月の家計簿をまとめたら、交通費に70000以上使っていました。飛行機にのらず新幹線だけでこの価格です。いかにも東京に大阪にあそびにいって美術をみて映画をみて、さらに鳥取にいって映画をみて、山をハイキングして、岡山で美術館にいって、楽しく過ごしてたら交通費がえらいことになっている始末です。しかしこれは最大でも2連休しかない現実でこうなので、もし3連休以上のものがあれば飛行機にのっているでしょう。

しかしその遊びはすべてが楽しく、楽しくない新幹線の旅は6月に一つも無かったと自信をもって胸を張って言えます。

だからこれらの交通費コミのお金はたいへん有用に使われたということです。有効消費で遊興消費です。たのしく過ごすことが最大の復讐です。

フジロックが雨に濡れてさんざんな思い出になるかもしれませんが、その場合はそのさんざんの有様をここにnoteに記すことで記念にしたいと思います。これで8月の更新の予定ができました。目出度いことです。ではまた。



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