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【595球目】明石市と明石郡

三陽工業の本社は明石市にあります。
この明石市の東隣は神戸市です。明石市と神戸市は非常に密接な関係を持っていて、それがなかなか面白いので今日はそんなお話です。


1つの疑問

明石市の中心は文字通り明石駅であり、その周辺に明石市役所や主要な施設があったりします。その中心である明石駅、実は明石市の東の端に位置しています。普通で考えると真ん中ですよね。

神戸市の中心である三宮駅は真ん中にあるイメージです。大阪や京都も真ん中にあります。明石の中心はとても東に寄っており、東にも北にも車で数分走るだけで神戸市に入ります。なぜ、中心地がこんなに東に寄っているのか、昔からとても疑問に思っていました。

古代の明石

歴史を遡っていくと、日本書紀(720年)に赤石という表記で出てきます。
畿内の四境=東は名懇(伊賀国)の横河、南は紀伊の兄山、北は近江の狭々波の合坂山、西は赤石の櫛渕まで、畿内というと今でいう所の首都圏の様なものですので、当時の赤石はギリギリ都会認定されていたことが分かります。

江戸時代の明石

明石城主を見ていくと、小笠原忠真から始まり、松平直致まで17人の城主がいます。その中に、松平直之という人を見つけて勝手に親近感を覚えています。明石城の持つ性格は、海上交通の監視、西国大名への押さえの拠点城郭の一つとなったと言われています。

明石郡から明石市へ

1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域になります。

  • 神戸市垂水区、西区の全域

  • 神戸市須磨区の一部(菅の台・西落合・神の谷・弥栄台・緑台および竜が台・友が丘・北落合の各一部)

  • 明石市の大部分(二見町各町を除く)

この上記が明石郡だった訳です。上記のエリアで考えると、現在の明石駅や明石市役所のある場所は中心と言っても良い場所になります。

そして、この明石郡からまずは1919年に明石市が発足し、1931年には垂水が神戸市に合併、1947年には西区が神戸市に合併することになります。細かい所は省いていますので、興味のある方はこちらから⇩


生まれは神戸で仕事は明石

私は神戸市垂水区で生まれ育ちました。
厳密に生まれた瞬間は春日野道という場所で垂水ではないのですが、ほんの一瞬だったそうなので、垂水生まれの垂水育ちという事にしておきます。

高校3年生までは垂水にいたのですが、神戸市という場所にとても誇りの様な変なプライドの様なものを感じていました。生まれた場所に愛着を持つことは良いことですが、それとは少し違い、変なプライドを持っていたのです。今となっては恥ずかしい限りです。神戸が好きで一生神戸にいるくらいの気持ちでしたが、簡単に佐賀へ行ってしまいます。

明石という場所はほとんど興味がなかったです。祖父母の家がある場所というくらいの認識でした。結果として神戸市垂水区は元々、明石郡だった訳で、明石だったのです。神戸生まれと言っていますが、時代が少し違えば明石生まれです。そして、今は明石で仕事をしています。

明石という場所との縁。この場所で仕事をしながら全国各地に広がっていったこのご縁、実はほぼ明石生まれであるというこのご縁を大切にしていきながらこれからも、地域を意識して全国各地で奮闘していきます。

自身が生まれた場所や拠点がある地域の事を学ぶと面白いですよ。ぜひやってみてください。そして、面白い話があれば教えてください。明石と神戸、とても密接な関係であることを改めて感じました。

本日もありがとうございました。
明日もよろしくお願いします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!