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なぜ僕が事業再生をしているか

僕が事業再生をしている理由。
それには明確なきっかけがあります。

2017/5/31
この日、僕は、10年以上勤務した実家である不動産屋を退職しました。
個人的には、不動産の知識は多いと思います。その後の仕事でも不動産のノウハウはすごく役立ってます。
当時、月初には次の勤務先として、とある大手不動産会社の後継者候補として誘われており、その企業の重役と何回か懇親や業務内容の説明を受けていました。

2017/5/31の出来事

2017年5月は、たまたまですが、仲間と四人で、skypeモーニングセミナーみたいなことをやってました。
情報交換に近いんですが、たまたま月の半ばから毎朝6時にやってました。
31日、「今日で退職だー」と思って開始したら、その中の一人が「今日は関東に来てる」と。
「何しに?」と聞くと、「元請けの企業に呼ばれた」「お前のところにはもう仕事を出さないって言われた」と。
「今日、僕の記念日なんすけど、、、」とも言えず、
「帰ったらすぐ来い!」
と言い、僕は荷物を引き上げに出社して持ち帰りました。
夕方になって、近くのファミレスで四人で集合して、「お前大丈夫か!?」なんて言っていると、その時広島県は豪雨。
話初めて1時間程度で、停電になりました。
人生で初めてです。ファミレスで停電。
とはいえ、そのまま非常用の小さな薄暗い灯りはあるので話していたら、「回復の見込みがないので閉店させてください」とアナウンス。
会計を済ませ、停電してないマクドナルドに移動して、話すことにしました。

翌日、不動産屋で話していると、メールが。内容は、
「恩師が昨日永眠」
僕の能力を一番買ってくれていた恩師がその日、豪雨の中、死亡していました。心臓が弱かったのですが、あまりにピンポイント。

三つの出来事

  1. 同級生の会社が元請けから切られる

  2. 豪雨でファミレスが停電

  3. 恩師の死亡

しかもその恩師が生前僕に言っていたのが、
「同友会をもっと盛り上げてくれ」
「息子を頼む」
これがかなりきつい。今でもきついです。

亡くなったメールが来て、その後悔やみに行き、一息ついていたら電話が鳴りました。
その人と同様に長く付き合ってくださっている先輩。「いまどこおるん?」と

「恩師のことをよく知ってる人と話したかった」と。
会いに来ていただいて、二人でわんわん泣いた後で、「ところで僕昨日で仕事やめたんよ」と。

で、「次は関西なんよ」と伝えたけど、上記の昨日の出来事を伝えたら
「そら、そのまま関西行くのはどうかって思うでー」と。
「そうなんよ。僕もそう思うんよ。」
と。
よりによって、恩師はなんでそんなピンポイントな日に亡くなったんだろう。

不動産から再生屋へ

内定先に、「少し修行してから行くので、猶予を」とお願いし、3ヶ月間、仲間のコンサルを始めました。
そうこうしている中で、「あ、これなら僕でも再生出来るわ」と思い、家具の道に入っていきます。

お金では解決できないこと

いつも思います。
後継者とはいえ、あのままついでたらただのサラリーマンでゆっくり出来たなあ。と。
不動産のままであれば、過去に蓄積された知識を掘り続ければ、新しいことなんてあまり無くても、ストックで生きていける。
でもコンサルは、実に30業種以上やっているので、業務フローだけでもバラバラ。
イバラの道です。
「2-300万円払ったら忘れられるなら」
恩師の死がその日だった意味は何か?は、僕が勝手に考えて受け止めるしかありません。
しかし、再生の道に入って5年。おかげで今は、「こっちで良かった」と思えるようになりました。不動産の頃も、「大学なんで経済か法学部行かなかったんだろう」と思ってました。
人生、どこでなにがどうなるかわからないもんです。

フィクションかノンフィクションか

人間面白いもんで、そんな「事件」があったあったとわかってはいても、記憶が薄れて「あれ僕の作り話だっけ?」って思う事が結構あります。
同じ日に三つも事件。これがたまたまなのか実話なのか、自分でもよくわからなくなります。
ただ今回、12月中旬に、所属している中小企業家同友会にて、その時に同席した四人が出席する場で僕が1時間ほど発表させていただくことになりました。

「その時」からの5年間の棚卸しです。

昨日、少し発表内容の確認をしたんですが、やはりどうやら実話のようです。

5年で4度の転職。3度の引っ越し。2度の創業。
総額200億円の売上のコンサルテーション。

事業再生の道。
なぜこうなったかはわかりませんが、降ってくる運命を受け止めて、自分にできることをやり続けたいと思います。

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