語学について

 下手の横好きなりに言語を学ぶのが好きで、触れただけの言語なら10近くになる。実際にある程度使える言語となるとそれほど多くなくて日本語、英語、中国語、トルコ語くらいのもので、どれも中級より上にはいかないのだ。最近はペルシャ語を勉強しようとニューエクスプレスのペルシャ語を買ってきて毎日少しずつ取り組んでいる。この度の中国留学以降、言語を勉強する勘みたいなものができてきて、焦らずに出来ているのは嬉しい限りだ。どうもこれも武術の練習よろしく、毎日触るにしくはなさそうだ。

 言語を学んでいると当然ながら文化圏のくくりというか古典という共通認識について考えざるを得ないところがあるが、自分の場合は幸いにして東アジア世界に生まれてトルコ語を学ぶ機会があったのでユーラシアについては幾分横断的に文化圏を眺められたと思う。少しではあるけど、日本語英語トルコ語と大まかな核があるとざっとほかの言葉を眺めた時に、共通項が浮き上がってきてそれがまた面白いのだ。

 ただ、こういう知識と語学力の向上は必ずしもイコールでないのでたゆまぬ努力のみがそれに報いてくれるのだ。''堅持就勝利''まさにこの言葉こそふさわしい。私はけして才能豊かな学習者ではないけれど、割としつこくちょこちょこ勉強する習慣を武術を通じて身に着けてきているので実感するところだ。今の私の興味は幾つの言語を同時に勉強できるかという事で、もう少ししたら別言語で文章を書いてみたいなぁと思っている。英語が全然かけないのが不思議なので英語もまた勉強しなきゃなぁ。書く喋るというのは全然簡単じゃないけど、それも習慣なのだろう。中国にいた時、最後のほうは多少喋れたがあれも遅かったし、文法が苦手で作文もなかなか自信が持てなかったのだ。HSKの練習もそろそろしなければいけないので、とりあえず中国語で何か書こうと思う。

 語学は頭に新しい回路を作ってくれるから、辛いことから逃げやすくなるのも魅力の一つといえる。言語外の世界というのもそういう側面があるけれど、言語を切り替えるというのも価値判断や認識を超越できるものだ。そのうち好みの世界が見つかるかもしれないので、手あたり次第一年くらい勉強してみるのをお勧めする。自分にとってはトルコ語がそういった発見のきっかけであったわけだが後から思えば大学でドイツ語を習っている時にも近い感触はあったといえる。トルコ語はなんというかテンションが高くて楽しい上に表現に母語に近い感覚があるためか、少し特別な思い入れがある。トルコ語と中国語は非常に楽しいのだ。もちろんこの二つにも違いがあるので気分に応じて使い分けられるようになりたいのだけど、まだまだ練習が必要だ。

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