話によると、原始社会にはもうお酒があったそうだ。私の考えでは、人類に欲望と悩みが現れた時にお酒は同時に現れたのじゃないかと思う。 もし人生を私とあなたが競い合う球技の試合だったとしたら、酒はまさにそのチアリーダーといったところだろう。彼女たちは美しく熱心にひたむきな愛を注いでくれる。あなたの代わりに相手チームの四角いゴールにボールを入れることはできないが、あなたが大敗した時も変わらぬ愛であなたを強く抱きしめてくれる。情け容赦のない敵や、厳しいルール、そして薄情な観衆を少し
羊双腸は開封では有名な小吃だ。羊の腸にその血を注いで作る腸詰だ。 その作り方は以下のような手順になる。 まず、放血したばかりの新鮮な羊の血を濾して固形物を取り去る。そして、それに少量の塩とデンプンを加え、きれいに洗った羊の腸に注ぎ込んでいく。それらすべての作業を終えたら、その腸を茹でる。 これで羊双腸の完成だ。 羊双腸を食べる時は最初にまず輪切りにする。 一つ一つ丸いかたまりになった羊の腸詰は、外は白い皮に包まれて中は羊の血の深紅だ。それが一つ一つ椀の底に積み重な
第一章 炒凉粉 ~開封~ 炒凉粉は古典的な開封名物だ。開封の大小の通りを歩けば、いたるところでその屋台を見ることができる。 開封に来て炒凉粉を食べないのは北京で豆汁(北京の名物の緑豆の発酵食品で酸味があり癖が強い。最近はあまり見かけないという話。)を飲まないようなものだ。とは言ったものの、炒凉粉は豆汁がかなりの“クセモノ”なのに比べると、その味は万人向けで多くの人に素直に受け入れられるものだ。 炒凉粉の材料はまずご当地産の红薯凉粉だ。红薯凉粉は見た目は全く地味
中国語を勉強するうえで、いろいろ考えたので、一冊の本を翻訳してみようと思います。 『舌染红尘 人生就是由味道组成的日子』荆方 著/绘 という本です。ジャンルとしてはエッセイで著者の食べ物と思い出を絵とともに書きあらわしたものです。私はこれを南開大学の中にある書店で買いました。留学生なんだけど中国語の勉強に数冊購入したいとお願いするとこれなんかは比較的読みやすいと思うよと持ってきてくれたうちの一つでした。今回のタイトルはこの本のタイトルの日本語訳ですが、正直ちょ
そこは地中海に浮ぶ小さな島のひとつで、場所としてはエーゲ海と地中海の境、アナトリア半島に寄り添うような小さな島だった。古くは文明揺籃の地として、また、文化の中心として、さらに下っては牙を持ったキリスト者の牙城、宗教騎士団の寄る辺として連綿と歴史を積み重ねていたのだった。私はトルコのマルマリスから出ているシャトル船に乗ってこの島に向かっている。同じ船の人々は意外にも多種多様でトルコ人はそれほど多くはない。 あのトルコの海岸の町は十年ちょっとの間にかなり国際的な観光地へと様
帰国してまだ講義が続いていて、勉強に終われていた半年が終わり、仕事を探しながらブラブラもできずにいる。色々落ち込むことも多かったけど、中国での生活でそれなりに変化があったのだろうという事は自分でも感じ取れる程度になった。ここにいるとがんじがらめになるのは否めないが、別の生活というのがどこかに立ち上がりつつあるし、まあこの疫病が去って以降だろうが、出ていく宛も全くなくはなくなった。人生は辛抱強さに鍛えられるかというとそうでもないなとも思ったが卑怯者が相手でないなら辛抱強さも美
途中でタイトルを少し変更して前回から“天津武術学習記”となりました。 さて、鉞を習えるようになったので、まず淘寶で鉞を購入しましたが、そこで一つ問題がありました。それは刃こそついていないけれど、こいつを持って電車(地鉄)に乗れないんじゃないかという事でした。私は公共汽車つまりバスと地鐵を乗り継いで南開大學に通っていたのですが、なぜってバスに慣れてなかったのと地下鉄は時間通り来るので安心だったからで、すっかり地下鉄依存していたわけでした。 さて、この鉞を持って地下鉄に
下手の横好きなりに言語を学ぶのが好きで、触れただけの言語なら10近くになる。実際にある程度使える言語となるとそれほど多くなくて日本語、英語、中国語、トルコ語くらいのもので、どれも中級より上にはいかないのだ。最近はペルシャ語を勉強しようとニューエクスプレスのペルシャ語を買ってきて毎日少しずつ取り組んでいる。この度の中国留学以降、言語を勉強する勘みたいなものができてきて、焦らずに出来ているのは嬉しい限りだ。どうもこれも武術の練習よろしく、毎日触るにしくはなさそうだ。 言語を
最近動画配信をはじめました。
南開大学にて週末武術を習えることになった私であった。何の知らぬまま与えられたものをこなした訳だが実際のところ中国語がわからなかったのでどこまでできたのかもわからない良い悪い位は判別できたので言われたことをずっとやっていた。後天八卦を習ったのもその時はよくわかっていなかったのである。隣では孫家拳の方々が練習していた。紹介してくれた王さんは以降も一緒に行くか?訊いてきてそれがよかろうと返事をしたが結局その後は行く時は別々だった。なぜなら私の方が早起きだったのと置いていかれたと思
さて、そんなこんなで先生を紹介してもらえることになり、朝六時半からバスに乗って南開大学へと出掛けたのは九月の事だったから、そう考えると恐ろしい早さで先生が見つかったわけである。個人的には結構たってた気がしたのだがそうではなかった。戈老師は想像していたよりずっと小柄な方だった。そして想像よりずっと謙虚であり庶民的な雰囲気の方だった。ただ名刺を見ると武術八段で天津髙式八卦掌掌門人となっていて、どうしてあえたのか今でもわからない。 そしてこれもあらかじめ言っておくと、もし私のよ
最近レンガを使ったトレーニングに凝ってます。中国で習ったものを中心に1日20分から30分くらいレンガをもってフンフンやっているんですが、結構きついです。毎日やると姿勢がよくなるので楽になるかと思いきや逆に姿勢がよくなった分負荷が増してきた印象です。最初の一週間はこうではなかったので中々考えさせられる結果です。 これ正確には摔跤の基本練習の一貫なんですが蹴りなんかもやると時間がかかるのではしょってます。毎日一緒にやる人でもいれば違うのかもしれません。基礎体力の増強に絶対効果
結論から言えば私は程派高式八卦掌に出会った。他の選択肢はないと言って良いくらいのタイミングと出会えなさだった。九月に入って色々回りに聞いてみたのだけどほぼ誰も武術を知らなかったので、聞き込みは難航した。まあ私の言葉も問題もあったのだが…… 転機は学校のクラブ活動の広報に武術クラブがあったのが始まりだった。そこに会ったのは戈国良の名前であった。つまり一見とてもイージーだったのだ。だけれども実際はそこでも少しハードルがあった。どうも盛大に活動しているかはずいぶん怪しかったのだ
この話を書くかどうかはちょっと考えたのだけど、せっかくだから覚えている範囲で書いた方がよいかなと思って書く。 まず、昨年八月より天津中医薬大学に留学していて今一時帰国中である。留学に至る経緯はこの際煩雑なので記さないことにする。ともかく私は天津に語学留学してできれば中医と武術も学ぼうと思っていたのだ。武術に関しては全く宛もなく、しかも八月中は正直銀行やらビザやらスマホやらと生活のための準備に忙殺されていた。それでもそれなりに期待感が高まっていたのは、回族の人の話を聞けたり
昔コンビニで長く働いていた。アルバイトである。シフトの時間も大体すべてこなしたように思う。ただ主に入っていたのは五時から十時と夜勤が多かった。 何年も働いたものだからお客さんにしろ同僚にしろ沢山の人を長く見続ける事になった。そんな人たちの事は、会話の有無にかかわらず結構記憶しているもので、横から人を眺める事はとても勉強になった。割りと主観的であったり感情移入したりというのは薄かったように思うが感銘を受けなかったわけではないのだ。 特に人の状況の変化と言うものが思うよりダ
写真のものがそれです。 柑橘と魚介類の組み合わせは結構好きで、鰹節も入っているのですが、問題はそこと言うより全然文章を更新していないことで、有り体に言えばまったく余裕がないのです。 来月より天津に行くのでその準備に追われています。会えば会うほど混迷を極める人や、残りの人生への冷ややかな眼差しのギャップは確実に感覚の乖離を助長しています。 現実ではあれだけ色々言って遠ざけたくせに夢の中では怒ると言うのはどう言うことか? あなたの薦めた金環○なんとかは開く度に悪