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現代に生きる仏教「君へ」

今日4/8はお釈迦様の誕生日(仏生会ぶっしょうえ降誕会ごうたんえ)です。

最低最悪のいい加減野郎だった私が、あるきっかけで立ち直り、仏教を学びはじめ(少しずつ)変わっていきました。

抹香臭い、古ぼけた宗教だと決めつけていた私が、何なんだコレは。すげーじゃないか?ブッダさんよ。

盲目的な崇拝ではなくして、たしかな道理でグイグイと引き寄せてく圧に、それこそ圧倒された内容を、完膚なきまでに打ちのめされた偉大な教えのごくごく一部を、ここに公開いたします。

私よりずっと心のきれいな皆さんには全く必要ありません。

でも、本当に自分をキライになっている方に、本当は一番大好きな自分を忘れようとしている人には、ぜひ聴いていただきたい話です。


仏教をまるっと客観的にまとめてみました。

✅仏教は紀元前5世紀にインドで誕生した宗教で、釈迦(シッダールタ・ゴータマ)と呼ばれる人物によって創始されました。

✅釈迦は王族の生まれながら、人生の苦しみや老い、病、死についての答えを求めて修行を重ね、最終的に「悟り」を開きました。彼が得たこの悟りが、仏教の教えの核心とされています。

✅仏教の中心的な教えに「四諦」があります。これには苦諦くたい集諦じったい滅諦めったい道諦どうたいが含まれます。(四つの真理)

✅苦諦は人生が苦であるという認識、集諦は苦の原因が「渇望」にあるとする考え、滅諦は渇望を絶つことによって苦を滅することができるという見解、そして道諦はその苦を滅するための具体的な方法を示す「八正道はっしょうどう」と呼ばれる道筋です。

✅八正道には正見しょうけん正思惟しょうしい正語しょうご正業しょうごう正命しょうみょう正精進しょうしょうじん正念しょうねん正定しょうじょうが含まれます。

✅これらは倫理的な行動、精神の集中、そして智慧を培うための指針とされ、仏教徒はこれに従うことで心を浄化し、最終的にはすべての苦しみから解放される「涅槃ねはん」に到達するとされます。

✅仏教は多岐にわたる宗派や流派に分かれていますが、大きく「上座部仏教」と「大乗仏教」にカテゴライズされます。

✅上座部仏教はより初期の教えに忠実であり、主にスリランカやタイ、ミャンマーなどの国で信じられています。

✅大乗仏教は、より普遍的な救済を目指し、「菩薩」と呼ばれる存在が積極的に人々を救うことを重視しており、中国や日本、韓国などで広まりました。

✅さらに、日本では特に「浄土宗」「禅宗」などの独自の流派が発展しました。浄土宗は阿弥陀仏を信じ、念仏を唱えることで極楽浄土へと導かれると教え、禅宗は坐禅を通じて自らの心を見つめ、悟りを開くことを重視します。

✅仏教はただの宗教以上のものであり、その教えは心の修養や倫理的生活を促す哲学としても受け入れられています。

✅その普遍的なメッセージは、様々な文化や時代を超えて多くの人々に影響を与え続けています。

✅仏教が提唱する「中道ちゅうどう」の精神は、極端な欲求を避け、均衡を保つことの大切さを我々に教えてくれます。


もう少しだけ「中道」の意味を解説いたします。
この基本的概念をもつことで自己の中心軸が定まります。

✅仏教における「中道」は、釈迦によって説かれた重要な概念の一つで、極端な生き方を避け、バランスを取ることの重要性を強調しています。

✅この教えは、釈迦が悟りを開いた後に説かれたものであり、彼の修行時代における経験から生まれました。

✅若いころの釈迦は、まずは贅沢な王子としての生活を捨て、その後は極端な苦行を行うなど、人生の極端な形態を経験しました。しかし、これらのどちらも真の悟りには至らず、その経験から「中道」の概念が生まれたのです。

✅「中道」とは、享楽的な生活と自己を抑えつける苦行のどちらにも偏らない生き方を指します。

✅これは、「八正道」という形で具体的な行動指針とされています。八正道は、正しい見解(正見)、正しい思想(正思惟)、正しい言葉(正語)、正しい行動(正業)、正しい生活(正命)、正しい努力(正精進)、正しい注意(正念)、そして正しい集中(正定)から成り立っており、これらを実践することで心を浄化し、最終的に苦しみから解放されるとされています。

✅中道は、一般的な倫理的な生活を送る上でも非常に役立つ考え方です。たとえば、過度の仕事に追われる生活や逆に過度の怠惰も避け、適度な労働と休息を取ることが推奨されます。

✅また、物質的な欲望を完全に抑えることなく、しかし過度に陥ることなく、必要十分な消費を心がけることも中道の考え方に沿います。

✅この中道の教えは、仏教の多くの宗派や流派で基本的な考え方とされています。特に、日本の浄土真宗では、日常生活の中で中道を実践することが強調されます。また、禅宗においても、坐禅を通じて心の中道を保つ訓練(プラクティス)が行われます。

✅中道の哲学は、単に宗教的な修行だけでなく、現代人の生活にも応用できる普遍的な価値を持っています。極端なストレス社会において、中道は心の平穏を保つための指針となり得るのです。

✅過度な競争や消費を控え、心の健康と身体の健康を守るバランスをとることが、現代社会における中道の実践と言えるでしょう。

✅仏教の中道は、極端を避け、穏やかで均衡の取れた生活を目指すことにあります。これは、単に物理的な行動に限らず、心の持ち方においても適用される考え方であり、日々の生活の中で心を如何に平穏に保つか、という点においても役立つ教えです。

中道を中心軸と読み替えても良いと思います。
生活に中心軸があれば、それこそブレません。


わたしは(根はまじめなんですが)若い頃はがむしゃらに働いたかと思えば、疲れて何もやる気が起こらず、会社をさぼり日中は寝てばかり。夜は飲み歩くなど怠惰きわまる日々を過ごし、結局は会社をクビになりました。

そうした日々の中で、ブッダの言葉に出会いました。

仏教書を読みましたが全てキレイゴトと片付けて、忘れかけてたときに、ブッダの家出(出家)の話がさらに強く刺さりました。

家族を捨て、山の中で仲間と修行しだすのですが、その修行にも疲れ果て死ぬ直前まで衰弱したとき、村娘の捧げた乳粥で元気を取り戻します。

乳粥を食べたことで修行仲間にも見放され、ただひとり修行を再開します。
悟りを得なければここで朽ち果てても悔いはないと坐禅に打ち込みます。

以下はブッダが悟りを開いた瞬間の物語です。


かつてのインド、ガヤの地に程近い一本の菩提樹の下、夜が静まり返ったあるときのことでした。シッダールタ・ゴータマは、苦行と放蕩の両極を経て見出した「中道」の道を歩むことを決意していました。彼の探求は、人間存在の苦悩からの解放という究極の真理へと彼を導くものであったのです。

その夜、ゴータマは深い瞑想に入ります。周囲は完全なる静寂に包まれ、時折、遠くの動物たちの声が静けさを破るだけでした。菩提樹の大きな葉が月明かりを浴び、ほのかに光り輝いている様子が、彼の集中を助けます。

時間が経つにつれ、ゴータマの心と体は一体となり、彼の内面の旅が始まりました。過去の生涯が彼の心の目前に次々と展開し、苦悩の原因とその克服方法が明らかになっていきます。彼の心は次第に全ての渇望から解き放たれ、悟りへの道が見え始めました。

この重要な時に、マーラという誘惑の魔物が現れます。マーラはゴータマを試すため、美しい幻覚や恐ろしい脅威を使って彼の集中を乱そうとしました。しかし、ゴータマは動じることなく、静かにそのすべてを観察し、受け入れていきました。彼の心は揺るぎなく、マーラの試みは次第に力を失っていったのです。

ついに、夜明け前の静寂の中で、ゴータマは究極の真理への扉が開くのを感じました。彼の心は完全に透明となり、すべての苦悩から自由となった状態に至りました。これが、後に「ブッダ」すなわち「目覚めた者」と呼ばれるようになるゴータマの悟りの瞬間でした。(成道じょうどう

朝日が地平線に現れると、新たなブッダは穏やかな笑顔をたたえ、すべての生きとし生けるものへの深い慈悲の心を抱いていました。彼はその後、人々に悟りの道を教えるために歩き出します。それが、仏教として知られるようになる教えの始まりでした。

菩提樹の下で悟りを開くブッダ釈尊(成道)

時間と空間をこえて、ブッダの真理の言葉が、かならず心に突き刺さることでしょう。どの言葉かは人それぞれに違うでしょうが、ブッダ成道後の45年間に残された「仏縁」は時をこえて今につながっています。

ブッダが悟りを開かれたことを成道じょうどうと申します。
わたしたちは、それぞれ自分の道を成すこと。
それが恩に報いることであると念じております。

この功徳をもってあまねく一切に及ぼし、
われらと衆生と皆ともに仏道を成ぜんことを。

成道(水)

今日もご覧下さり有難うございます。
念水庵 正道

テーマ:仏教をわかりやすく伝える。
#仏教の本質


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