”お金について考える”その経験が人の未来を創っていく。#お金について考えていること

娘が6歳になり、子供へのお金教育について考えるようになった。お金教育についての本やSNSを多く目にする中で考えるようになった。お金について、子供にどんなことをどんな風に伝えていけば良いのだろうか。自分はどんなお金教育を受けて育ったのだろうか。お正月、実家に帰ったついでにお金教育について両親に聞いてみた。

その結果、私が今お金について考えること。

「”お金について考える”その経験が人の未来を創っていく」


母に聞いた「子供の頃、お金について考えていたことはある?」

母方の家業は農家だった。父母がお金について喧嘩しているのを見たことがあり、その経験から、自分の子供達にはお金について心配させたくないなと思っていたそうだ。子供ながら選択を行う機会には、できるだけお金のかからない方を選んでいたそうだ。そんな母は、国立の看護学校へ進んだ。進路選択の際には、資格を身につけて自分で食べていける道に進みたいと考えたそうだ。

お金に困らないとは言えない家庭環境が、子供に”お金について考えさせる”機会を与えてくれた。この時期、母がお金について考えたことが、その後の人生の選択に影響を与えている。

私が物心ついた時の母は、看護師としてバリバリ働いていた。田舎街で農家を営む本家に嫁いだが、母だけは看護師として働き続けていた。子供が生まれる前、父はトラックの運転手だった。祖父が亡くなってからは、父は実家の農業を継いだがうまくいかず、兼業農家となり、やがて農業を辞めた。そこからは職を転々として今では15社目で働いている。家計を支える柱となっていたのは、看護師として働く母だった。母は、私が高校から大学に進学する期間にかけて、離島へ3年間赴任した。その単身赴任があったから、子供3人の学費を賄うことができたと母は振り返る。離島の病院では、看護師も少ないため夜勤が多く、赴任手当もあり大きな収入源となったそうだ。母が家にいないのは寂しかったが、母が転勤しないという選択肢について考えたことがなかった。幼い頃から、家のお金事情を肌身に感じていたのだと思う。月に3回ほど帰ってくる母を船着場に迎えにいくのが楽しみだった。大学に進学してからは、離島から届く小包に入った"ウニ飯の素"が楽しみだった。母が家族と離れて働いてくれたおかげで大学に行けた。妹もいる、まだこれからお金がかかる。できるだけお金の苦労をかけぬよう、自立したい、稼ぎたい、そう考えるようになっていた。お金は家族の生活を支えるためにあり、”お金について考えること”が、私が未来を選択する際の一つの軸にもなった。

母が見せてくれた背中は、お金の大切さよりも、”お金について考えること”の大切さを教えてくれた。

私が子供にお金について伝えられることはなんだろう。ああしなさい、こうしなさいと言葉にするよりも、私にできることは、子供がお金について考える機会を創っていくことだ。

この記事が参加している募集

最近の学び

お金について考える

読んでいただきありがとうございます。 noteで出会えた奇跡に感謝します✨ サポートいただけましたら楽しい寄り道に使います。