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6月の終わりにコリスを連れて実家に帰った。
佐賀県の田舎町、近所は田んぼだらけだ。

家に着くと父が、母さんの“面白い話”があるから聞いてくれと、ニヤニヤと嬉しそうに話しを始めた。

その日の昼、斜向かいのとっちゃん(私の同級生)のお母さんが、家でキュウリがたくさん採れたからと、うちの実家まで、キュウリのおすそ分けを持ってきてくれた。

それを、うちの母が断った…

「うちでも大量のキュウリが採れて、食べきれないから要りません」

とっちゃんのお母さんは、「あらそうね〜ごめんごめん」と笑って家に帰って行った。

たしかに、実家の台所には大きなカゴにキュウリの山があった。これだけ食べるのも大変そうに思えた。

「せっかく持ってきてくれたんだから、もらっておけばよかったのに」
父は母に言った。お裾分けを断るのも悪いという気持ちと、キュウリなら漬物にでもして大量に食べれるんだから、近所の従兄弟にでもあげたらいいやんと思ったらしい。

父からそう言われてとっちゃんのお母さんに申し訳なく思った母は、
地元で美味しいと有名のお豆腐屋さんの豆腐を2丁とっちゃんのお家に持って行った。「キュウリを持ってきてくれたのに、もらえなくてごめんね〜。ありがとうね〜」

すると今度は夕方、とっちゃんのお母さんがうちに、お菓子を持ってきてくれた。
「いやいや、こちらこそ気を遣わせてごめんね〜」

なんじゃこりゃ…と父と母と一緒に笑った。

田舎の一軒家では、だいたい庭か家の隣あたりに畑を持っている。
みんなが季節の野菜を育てるので、品目もかぶるのだ。

せっかくなら、みんなで手分けして違う種類の野菜を育てれば、おすそ分けも楽しみになるのではないかと思った。採れすぎた大量の野菜は、無人販売のような形で集める場所を決めておけばいいのではないか。
そんなことを考えた。

まだ私が小さかった頃、ある日学校から帰ると玄関に大きなスイカが一つ置いてあった。誰が持ってきたのかもわからない。でも、きっと近所でスイカを育てている人がおすそ分けで置いていったのだろう。誰からのスイカかもわからないけど、私たちはそのスイカをありがたくいただいた。

ずいぶん時間が経ってから、スイカを置いていった人が誰なのかがわかった。
名も名乗らず、スイカを置いていくという行為は
見返りを求めず一方通行な行為だと思う。

社会人になって暮らしたワンルームのマンションの玄関に、ビニル袋に入った板チョコが一枚あった。上の階の人だった。「声楽学んでおり、毎晩歌がうるさくてごめんなさい」とメモ書きが入っていた。

ところが、これまでに上の階から歌が聞こえてきたことは一度もなかった。
ちょっと怖かったので板チョコは食べずに処分した。

今暮らすマンションで、畑で採れた野菜をおすそ分けすることがある。
純粋にご近所さんにというより、関係のできた友人へのおすそ分けとなる。日頃から顔を合わせるわけでもない環境下でのおすそ分けにはやる方も、やられる方も勇気がいる。断られるのもちょっと怖いから、気もつかうし、体力もいる。

余計な摩擦を生じさせないために、だんだんおすそ分けもへの気持ちも遠のいてしまいそうだ。

残念だ。
できれば、おすそ分け文化の中で、皆で食料を分け合いながら生きていきたい。


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