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3月30日、風を感じて大河に飛び込んだ。川の流れに身を任せていこうと思っていたら、さっそく、川底の大きな石に服が引っ掛かり止まってしまった。川の水は緩やかに流れている。自分は止まっているが、流れていく水の流れにあたっているのが気持ちいい。流れていきたくて、バシャバシャもがいていたら、服の一部がビリっと破れた。もがいても、もがいても、動かないのなら、その服を脱ぎ捨てよう。

身軽になった。動くために泳ぐために何を捨てたのだろうか。
「完璧主義」「これまでの自分」
前にどこかで誰かに問われた。歳を重ねるとは?
鎧をぬぎ捨て、着ていた服をぬぎ捨て、だんだん身軽になっていくことだと思う、と答えた。今もそう、思う。自分を縛るものはだんだんなくなっていく。死ぬときは、白い布切れ一枚をかぶって焼かれる。あれもこれも身につけていたところで、真っ裸だ。

泳ぎやすいように、重い荷物は捨ててしまおう。ごわつく服はぬいでしまおう。春にもなり、暖かくなってきたし。

何を得るかより、何を捨てて生きていくか。
44歳になったのだけど、気がつけばなにかを得よう得ようとしている。
本を読んで手放している。こうして書いて手放している。
音楽を聴いて、涙が出るのは、閉じていた自分が開いていくから。

たくさん、たくさん、抱えて生きている。
大事なものは持っていたいけど、本当に大事なものは持っていられるものではない。持っていなくてもあるものだから、持っているものは手放してしまっていいのだと思う。隠さない、自分の心を大事にしまっておかない。それを出して生きることが自分を生きることだと思う。

本当の自分を出したところで離れない。大丈夫。
みんなで川を流れているのだから、離れるもなにも最初からひとりだから。ひとりと、ひとりが、たまたま出会ってひと時を一緒に過ごすことの繰り返しだ。ずっと一緒にいたくても、ずっと一緒にはいられない。
だから一緒にいる時を大切に過ごすのだ。

家族も友だちも仕事でお会いする人も、出会い一緒に過ごすひと時を、大切にする。

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