見出し画像

私のこだわり 〜資格取得まで〜

2020年、上半期、私は焦っていた。
あと1ヶ月で退職。翌年には娘が幼稚園。
2年後には仕事をしたい。

でも私には何もない。そんなスタートでした。

この頃かな?給付金が10万支給されたこと覚えていますか?

私はあの10万円があったからこそ学びの第一歩が踏み出せた。

何か学んでみたくなった。診断?カラー?コーチング?
この学びに対する葛藤も相当あったので残しておこうと思う。

とても優柔不断な私は、人のプロフィールを見ては
資格を書いている人を見つけメモをして
ネットで徹底的に値段と内容を調べ上げるということをしていました。

ただ、大きな壁・怖さがあった…

■自分の中の怖さと向き合う


①なんの教育に対する実務経験もないから、肩書きや資格が必要だ。
経験ベースでしか話せるものがない。
②人生が普通すぎる。こんな人に私は魅力を感じてもらえない
③子どもと自分の時間のバランス

出るわ、出るわ。劣等感や罪悪感や怖さや不安。
これらに向き合うことをまずしました。

まだ頭でしかわかっていなかったけれど

ママを数年やったからこそ共感できることがあるはずだ。
資格は生かしたいが子どものため、自分のためでもいいじゃないか。私の普通は、他の人の普通ではないはずだ。
普通だからこそ、共感できることがあるんじゃないか。

「ない」「できない」理由を並べていたけど
何かをやってみたい!その意思はある。

ある」「できそう」な理由をたくさん並べてどうしたいか考えた。

やりたい意思は固まった。
どの学びを具体的に始めようか

■学びを覚悟するまで

学ぶことのメリット・デメリット
学ばないことのメリット・デメリット
を徹底的に書き出しました。

例えば最終的にはおいくらでトータルいくらかかかって内容的に
どうなのか?徹底的に調べ上げて、値段と内容が許容される内容なのか
(あくまで私の物差しね)

それはそれはとてもシビアに見ていました。

これほどまでに
私にとっては学び・資格に「投資をすることはとても怖いことでした

資格を取れば安泰、手に職を持っていたほうがいいという価値観の元
育ち、幼小免許をとっているのに、自分のこだわりから辞めたことに
いつの間にか親に対する罪悪感を持っていた。

先生になりなさいとは、言われたこともないのだけど
親の期待を裏切ったという想いが大きくて
自分で自分のお金で、自分で自分の期待を裏切るのが怖かった
のだと思う。

●値段的にアウトなものは除外。
●内容が浅そうなものは除外。笑
●たくさんの人が取得している人は除外。
(同じ都市エリアで資格をとっている人が多いものは競争に勝てない)

何か興味のあるものに飛びつくなんてありえない。
勝算、損得…何枚も表にして、うーんうーんと考えていました。

InstagramからNOTEを見に来てくれた方は
びっくりするでしょうか?笑
とても現実的で、損得をシビアにシビアにみていたのです。

そしてこの考えで生きてきた。自分の価値観こそ正解と当時思っていたし大きな失敗をしないことこそ、当時の大事な価値観でした

そして、最終的に残ったのが
コーチング、カラー関係、診断系の資格だった。

ここからも
●協会ビジネスは嫌い と拘りを発揮して省いていきます。笑

カラーに興味を持ったものの
「この色はこんな色でーーー意味があるよ。こんな部分ってある?」
こんな気分なのかな?何か誘導をされているような気にもなって
カラーセラピーは資格取得を辞めた。

(今思うと自分のことが分からなさすぎて
色の意味を補助的に教えてもらえたのは助かったのですが)

診断も生年月日で出す先天的なものより
後天的でもいい。変化があるもの、自分の物差し
なるようなものはないかと探していた。
項目に答えていくような診断を探していた。

そして資格を取るまで、どの方から受けるかを決定するのも
3ヶ月くらい悶々と考えた。

コーチングに関しても
自分が引き出す云々の前に私は「傾聴」を学びたい。

数々のこだわりの中から、学んでみようと思ったのが
「色育」「カラーコミュニケーション診断」でした。

色育は、色の解釈は個人の経験を一番大切にしていて
一切の分析をしない。対話を大切にできるツールだなと思い
子どもたちの非認知能力を伸ばしてくれる。

カラーコミニュケーション診断は4色で価値観の診断ができる。
価値観なので場面場面で変えていける。

自分の真面目さ、自分の厳しさ(人に対しても)を緩めたくて

少しでも「自分の中で」決めつけが生まれそうなものは辞めていった
のでした。

ここまで書いていて
本当に私変わったなと思うのですが

この時はこの考え方が必要だった。

そしてこだわりにこだわったからこそ
「自分の大切な価値観」がきちんと見えたのでした。

縛りつけて生きてきたからこそ
自由で広がりのあるものに惹かれたし、
自分も人を自由にしたかったのだと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?