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「東京の生活史」プロジェクト

『断片的なものの社会学』の岸政彦先生監修の、「東京の生活史」という東京にいる人、かつていた人100人の聞き書きプロジェクトに聞き手として参加している。このプロジェクトの面白いところは、聞き手も公募なので、プロアマ含む100人の聞き手がそれぞれ自分の好きな相手に話を聞いて残し、編集まで自分で行うことだ。

私は、今は鳥取に住んでいるけど、かつて東京に住んでいたことのあるおじいちゃんに お話を伺った。産前(3ヶ月前)にインタビューし、ようやく文字起こしを終え、編集している。赤子がいるとなかなか思ったように作業が進まない。

岸先生とちくま書房の編集者の柴山さんがとても丁寧で、何度も質問会をzoomで開いてくださっている。先日私もようやくその会に参加。せっかく捻出した時間、ようやく参加できた質問会なので編集で行き詰まっていた部分を質問してみた。

高齢男性あるあるかもだが、高齢男性のお話は立派な話になりがちだ。東京時代、営業でいかに良い成績を出したか。どれだけ名門の大学の人と一緒に働いたか。など。自分としては、そういうお話よりも途中にちらっとつぶやかれた「実は…ほんとは違う職業になりたかった」という部分がとても面白いと感じ、そこに注目して編集しようと思うがどう思うか、というもの。

そこでの岸さんは

「おもしろいところは、本人が決める。本人の話すままに残したらいい」

とバッサリ。
さらに、東京だから東京の話ばかり聞いて残さねばと思っていたが岸さんは

「10年ちょっと東京にいたけど、そのあとはずっと鳥取にいるんでしょ。それならその人はもう鳥取の人だよ。俺なら帰った後の鳥取の話も聞きたい」

と。

そうか、そうだよなとえらく納得した。ちょっと目を引くような面白いものにして爪痕残したいじゃないけど、そういう気持ちが若干あった自分に気づく。

これじゃあ自慢話をしているよくいる普通のおじいちゃんじゃん、って思ってしまったけど、そういう普通の人の話を残すことこそがこのプロジェクトの目的だった。何度も文字起こしを読み返していると、一見立派な話に聞こえるエピソードもじわじわとその方らしさが滲み出てきて愛着が湧いてくる。

「男児郷関を出ずれば焉んぞというわけで、ちゃんとした立派な人間になって、という、お祖父さんとお祖母さんのお見送りを受けながら、汽車に乗って行きました」


こういう文章とか、ものすごくこの頃の時代背景が表れている。こういう時代を生きてきた方なんだ。

ということで、素直に素直に編集することにした。
どこに注目するか、余計な意図や解釈で、いくらでも見え方が変わってくることを逆に怖いと感じる。
断片的なものをそのまま拾い上げる。訓練中である。

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