【曲からチャレンジ】4日め②~ショート・ストーリー~花の名
もしかしたら、僕はあなたを待っていたのかもしれない。
ずっとずっと、生まれる前から。
母の胎内よりもっと前の、宇宙に近いところから。
そんなふうに、思ってもいいかな。
誰にも言わないから。
僕が学校へ行けなくなったのは、中二の一学期が終わるちょっと前だ。
理由は、ひとつには絞れない。いろいろ複雑なんだ。
進路の問題?うん、それもある。
人間関係?うん、でもそれだけじゃない。
大人たちが手を変え品を変え、いろんな検査やテストをして、僕から何か答えを見つけようとした。
でも結局わからなかった。
だって、僕にも理由がはっきりしないのだから。
なぜ、なぜ、と聞かれると苦しくなる。
正解をちゃんと出さないといけないのかな?
それって、誰が採点するんだろう。
靴箱の二年三組、というシールを見たら、そこから心臓がぎゅっとなる。そして、冷たい汗が背中をつたう。
なにか、見えないピアノ線でも張ってあるかのようだった。
しばらくは保健室登校をしていたが、やがてそれもつらくなった。
僕は父さんに声が似ている。
バレるまでは父さんのふりして学校へ欠席の連絡をした。三日しか保たなかったけど。
学校へ行くふりをして、となり町の河川敷まで行く。
外に出るのは好きだ。だから、ひきこもりではない。いわゆる不登校だけど。
音楽を聴きながら、家から持ち出したクリームパンの袋と、カフェオレのペットボトルをお供に、ここで昼過ぎまでぼーっとする。
本を読むこともあった。
学校の勉強にはついていけなかったけれど、本は大好きだ。
自分の本は全部読んでしまったから、父さんの本棚から適当に取ってきた。
「ナイン・ストーリーズ」バナナフィッシュにうってつけの日。
バナナフィッシュってなんだ?僕はスマホ検索する。魚。架空の。なるほどね。
ふうん、麻薬の意味もあるのか。
成績は悪いけど、こんな感じで僕は自分なりに世界を知ろうとはしているんだ。
でもこれって勉強とは言わないんだろうな。
「あんたも学校いってないの?」
振り返ると、ショートカットの活発そうな女の子が座っていた。
僕はびっくりして、クリームパンを落としそうになる。
「あ・・うん。あなたは誰ですか?」
英文の直訳のようなセリフを行ってしまった。
「あたし?スミレ」
「ああ、どうも。こんにちは」
僕は何を言えばいいかわからず、頭を下げる。
「このへんの人じゃないわね。ま、そうよね。家の近くでブラブラできないしね」
スミレはよく通る、ハキハキした話し方だった。
「あたしもいっしょ。制服だけ着てでてくるけど、夕方までここにいる」
「ふうん」
この辺じゃ見かけない制服。私立かな。
「ね、その本もう読んだの?」
スミレはナイン・ストーリーズを指差す。
「あ、うん。でもなんか難解だよ」
「へえ。難解なのが好きなの?」
「そうじゃないけど。父さんのだから」
そんな他愛ない話をしながら僕たちは夏の午後をそこで過ごした。
久しぶりに、尋問じゃない会話を交わした気がする。
「帰るわ」
スミレは急に立ち上がって、スカートの裾をパンパンと払った。
「ねえ、また会える?」
スミレは唐突に言った。
「うん。ここにくればいいのかな?」僕が食い気味で聞くと、あははと笑った。
「うん、また学校さぼってここに集合」
「わかった」
僕はぼーっとして、家まで帰った。まあ、正直にいう。すごく楽しかったんだ。
僕はその1日でスミレが好きになってしまった。
次の日は、スミレの方が早くついていた。
「おそいよ」
ぷうと膨れる。
「ごめんね」
僕は謝る。今日は母さんがパートにいくのが遅かったんだ。
今日は母さんの本を借りてきた。「悲しみよこんにちは」。これも僕には難解だった。
スミレは興味深そうに読んだ。僕はその間、スミレの顔ばかり見ていた。
そんなふうに、僕たちは朝から午後までの時間を過ごした。
日陰が運良くたくさんあったので、水分を取ってさえいればまったく暑さは気にならなかった。
「じゃあね」スミレはまた唐突に帰り支度をした。
「またあしたも来るよ」
僕が言うと、スミレはうれしそうに僕の顔を引き寄せてキスをした。
初めてだった。
顔がさあっと赤くなり、心臓がどきんどきんとした。身体中の血液が顔に集まったかとおもうほど熱い。
「その本、まだ途中だから栞挟んどいてね」
スミレは笑って、どこかへ消えた。
次の日。
ひどい雨だった。僕は「悲しみよこんにちは」にちゃんと白い栞をはさんでもってきた。
ざあざあと降り注ぐ雨のなか、ずっとずっと待った。連絡先も知らない。スミレに会うにはここにいるしかない。
途中で物置小屋の下の椅子に移動したが、いつまでたってもスミレは来なかった。
そう言えばスミレは、昨日は集合ねって言わなかったな。交わしたキスを思い出して、また僕はかあっと赤くなった。
僕はその日、ずぶ濡れになって帰ったせいか熱を出した。
母さんが学校に欠席の連絡をいれたせいで、僕が最近続けて休んでることがバレてしまった。
当然叱られた。学校を休んでもいいけど、もう外へは行くなと言われた。
熱があるときも、ずっとスミレのことを考えていた。会いたくて会いたくてたまらなかった。
切れ長の瞳が、笑うと優しく下がるのが好きだった。
細い指に触れたかった。
結局、僕があの河川敷に行けたのは、夏休みに入ってからだった。
はやく、はやくと気が焦った。
「スミレ!」
僕は何度も叫んだ。
いつも犬の散歩をしているおばさんが通りかかった。怪訝な顔をしている。あのおばさんはスミレを見たことあるはずだ。
「あ、あの、すみません」
僕が必死な顔で言うので、おばさんはどん引きしていた。
「あの、僕といつも一緒にいる女の子いませんでしたか?」
「女の子?」
おばさんは眉間にシワを寄せた。
「そんな子しらないよ。あんたはいつもひとりでブツブツしゃべってたじゃないの。変な子」
おばさんが関わりたくない、というように足早に去っていく。
「スミレ!」
僕はもう一度叫んだ。
白い紙が僕の足元に落ちた。本に挟んだ栞だ。
拾ってみると、真っ白なはずの栞に、紫の花の押し花があった。
あれからスミレには二度と会えなかった。
何かを失うと、何かが入ってくる。僕は二学期から、学校へと通えるようになった。
なぜかはわからない。
あのピアノ線の結界が外れたのだ、たぶん。
スミレの笑い声が、風の中に聞こえた気がした。
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