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「お金は必要だが重要ではない」では重要なのは?

タイトルの言葉を聞いたことが一度はあるのではなかろうか。要は「現実的に生活を営むのに必要だが、それ以外にも大切なことはあるよ」という意味だ。実際は生活をするのにお金はたくさん必要だし、金銭的余裕のある人の発言に思えなくもないのだが。

仮にそれが本当だとしたら、上手くいくのか問題点はないのか。思い出した話がある。私の今は亡き祖母が抗がん剤治療を受けた時のこと。髪の毛が抜け「カツラが欲しい」となったが、同居している息子に「1万円の(安い)カツラで良い」と言われてしまった。年金を受け取っていて自分のお金で買うのだから、その範囲で買うなら自由なはずである。反対されるのが嫌で、私の父(義理の息子)に車の運転を頼んで買いに行ったというエピソードだ。お金があっても「手段」がなければ、目的は達成出来ない。

高齢化にますます拍車のかかる現在の日本。ある日新聞を読んでいたら、なんと65歳以上の1/4が「買い物難民」らしい。過疎化により近くにスーパーがない、免許証を返納したため交通手段がない。日常に必要な食料が、自力で手に入れることが出来ないのだ。年金制度によりお金があっても、手段がないから食料に困る。そんな時代になってしまった。「絵に描いた餅」との言葉があるように、それを得るためのルートがなければ意味がない。歯がゆいばかりか、死活問題だ。

ところで世の中には「高齢者は要らない」と考える人がいる。これは障害者なども同じで、「社会の負担になるから経済的利益を生まない人は不要」との優生思想だ。経済的余裕がないのに援助が必要な人がこれだけ増えているから、その考えも理解は出来る。

当たり前だが大事なのは「今の状況が変わらない上で、どう対策をとるか」だ。もう長期的スパンで考えていくしかない。この様な状況がすぐに解決するはずもなく、だから上記のような考えが生まれるのだろう。苦しい状況の中での長期戦は厳しい。例えがおかしいかもしれないが、戦争中の1ヶ月は非常に長く感じるという。しかし平和な日々を送っていると、1ヶ月はすぐに過ぎてゆく。

「苦しい時こそ、その人の真価が問われる」という。日本はもう随分前から、その真価を問われているのだろう。冒頭に戻るが、やはりお金はかなり必要性が高い。加えて問題を解決するための手段、これを考えて実行出来ることミクロでもマクロでも大事なのだと思う。現実的にミラクルなんてことは起きなくて、やらなければもっと悪化していまう。重要で必要なのは「お金+手段」だろう。

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