実録 ドラキュラ菜園に立つ 3

座学派堂々巡り

(※ちょっと遡ってお届けしています)

4月1日までは畑に入れないということなので、ではその前に十分に予備知識を蓄え、準備しておこうではないか。と、本屋や図書館で家庭菜園の本をいくつか物色する。ベランダ園芸も無農薬派だし、せっかく自分で作るので菜園もできれば無農薬派でゆきたい。という方向性で素人向けの菜園の指南書をいくつか読んでみた。ここにそれらの要点をまとめる。

●堆肥や肥料をあげすぎると作物は脆弱になる。ある程度甘やかさずに育てるべし。

●しっかり深く耕して有機堆肥をふんだんに入れ、フカフカの土にすべし。

●あまり深く耕すべきではない。地面が乾燥がちになり、酸素が入りすぎると有機質の分解が進みすぎる。

●雑草はある程度生やしておいたほうがいい。

上記3つは相反する主張である上、4番目は役所のおじさんとの約束に反している。あまたある情報の中でどれを信じたらいいのか、まったく現代社会は複雑である。読んだ情報の中には不耕起栽培などというラディカルスパルタ派もあって、ズボラーには大変魅力的にも感じられる(多分認識を間違っている)。しかしどの道を選んでもメリットデメリットはあるもので、判断が難しい。結局は自分の性質との兼ね合いで、向いていそうな方向性を目指すべきなのだろう。また、わたしには市民農園を借りると決めた時から気になっていることがあった。それは、どの菜園ガイド本にも必ず「連作は避けましょう」と書いてあるのだが、果たしてわたしが借りた菜園の前回の借り主は何を育てていたのか、知る由もないではないか。ということである。ナスなどに至っては一度育てたらその後5年ぐらいは植えられないという。前の人が前年にありとあらゆる野菜をすでに育ててしまっていたとしたら、それはもう呪われた不毛の土地なのではないか。そんな無慈悲な。しかし救済はあるもので、そのような前に何を育てていたか分からないような場合にはとりあえず天地返しなどをして有機物を入れて育てるがよい。ともいくつかの本には書いてあった。じゃやっぱり耕さなきゃダメじゃん。というわけで耕す派と耕さない派ではわたしの中ではどうも耕す派に傾きつつあるが、自分のずぼら体質には「自然の力に身を委ねる派」のほうが向いているような気もする(それと「放ったらかし」は全くの別物である、というお叱りの声が聞こえるような気がするが...。)

連作を避けるには輪作もせねばなるまいし、まず始める前に「何を育てるか」をきちんと計画するのが筋だろう。ここは理想と現実の兼ね合いが大事である。すなわち、「何を育てたいか」と「何が育てやすいか」の中間地点を探るのだ。素人はつい自分の実力に反して過大な夢を抱きがちなものである。理想はめずらしい色とりどりのハイカラな野菜が育つおしゃれなポタジェでも、現実は虫だらけでうどん粉病やべと病にまみれ貧相なひねこびた実が2、3個しか取れない惨状になってしまっては困る。ベランダ園芸17年、農薬なし、手間なしで植物と平和に付き合うコツは「平凡でも丈夫なものを育てる」である。調べてみるに、難しそうなのはメロン、にんじん、白菜、キャベツなどらしい。キャベツは分かる。ベランダで育てている葉牡丹にも一時期モンシロチョウが産卵し青虫だらけになったことがあった。園芸では別に食べるわけでなし、むしろモンシロチョウの巣立ちを楽しんだ(ある朝一斉にモンシロチョウが十数羽旅立った姿は美しかった)のだが、菜園ではそういうわけにはいかない。また、人間による受粉が必要なものは基本的に除外である。このわたしが早朝に受粉に行ったりできるわけないのである。

しかし、かといって実用一本やりもちょっと味気ない。少しは冒険もしてみたい。ロマネスコとか。アーティチョークとか(いや、アーティチョークなんて食べたこともないけれど。どこを食べるんですか?あれ)。ビーツとか。ルバーブとか。コールラビとか。本当にそれ、わたし食べたいのだろうか。もはやそれすらも分からぬ域に達し、いろいろ考えていると面倒臭くなって、あーやっぱり案ずるより産むが易し、出たとこ勝負で育てたいものを育てるか。という一番ダメな方向性に傾きつつある。(つづく)

とりあえずベランダで種まきしてみた。しかしその後雪が降っていた。大丈夫だろうか。


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