太宰治というダメ男

「死ぬ気で恋愛してみないか」
これは、共に入水自殺を図ることとなる山崎富栄を落とした太宰治の口説き文句である。彼はカルモチンの服毒で3度、首吊りで1度の自殺未遂をし、5度目の入水自殺で酒と芸術と女に溺れた39年の生涯を終えた。

彼は自殺をする時、何度も女性を道連れにしようとした。彼だけ生き残ることもあれば、共に生き残りそのまま別れることもあった。そして、最期は二人で晴れて死を成就した。しかしイトウが少なくとも確信しているのは富栄と共に玉川へ足を踏み入れた最後の瞬間も彼は結局孤独を抱いていたのだろう、ということだ。

端正な顔立ちに、名家の生まれ、東京帝国大学でフランス文学を学び家族もいた、子供もいた。川端康成や井伏鱒二、佐藤春夫などの文豪から才能を認められ多くの名作を生み出した。彼のスペックを並べて見ると、ここまで人生イージーモードに見える人もなかなか居ないな、と改めて感心させられる。ところが彼の人生がハードモードであったことは皆さんご存知の通りである。自殺未遂に始まり、実家との離別、離婚、薬物中毒、度重なる借金は彼を蝕み、その筆に深い影を落とした。彼が天から与えられた知性は自尊心と美しい文章へ、端正な顔立ちは多くの恋愛と女性への理解を深める為に使い果たされ、幸せの為にはこれっぽっちも残らなかった。

彼の私生活や人間性は長編よりも短編によく出ていると思う。なけなしのお金で不味い不味い、と言いつつ酒を飲む(酷い時にはお金すら持たず大将の顔色を伺いながらツケで飲む。) 酔ってくると調子に乗ってやたらとおどけてみたり、逆にむしろ真面目になり文学論を語ってみたり。その後、正体不明の前後不覚状態になり帰宅。さらに最悪なのが翌日だ。おどけていた事や、調子に乗って語った持論を思い出し恥ずかしさのあまり悶絶しつつ、人の目を散々気にする。酒なんぞ二度と飲まぬと誓うが、結局また飲んでしまう。これが宅飲みになったり、居酒屋になったり。バラエティ豊かな酒の失敗とそれに付随する芸術的な言い訳が綴られる。(イトウも思い当たる節が多過ぎて震えている)

彼は根本的に弱く、人を求める一方で常に人を少し下に見ている。一線を越えさせたように見せても決して本心には触れさせない。女についての描写そして求め方を考えれば納得行くだろう。何故彼はこんなにも不幸だと人生を罵りながら苦い顔をして酒を舐めなくてはいけなかったのか。そして、何故玉川に足を踏み込まなくてはいけなかったのか。

それは、そうなる事を彼が望んだからだ。

彼の文学は自己分裂と自己破壊欲求の二つが大きな軸となっているように見える。彼は生活においてある意味でヘラクレスの選択をし続けた。世俗的な幸せを掴まないような選択しか彼は選ばなかった。しかし、それこそが彼のアイデンティティであったし、孤独であること、満たされないことがあればこその太宰治であり津島修治だった。彼がスペック通りの幸せな人生を辿り老衰で亡くなったとすれば日本文学はどれだけ味気ないものになっていただろう。

満足な豚より不満足なソクラテス、というベンサムの言葉があるが彼は何を与えられても満足することはなかった。貞淑な妻、借金の返済、彼を真人間にしようと多くの人が彼に与えたものは何も意味を成さなかった。彼にとっては、むしろそれだけのものを与えられながらも不満そうに酒を傾ける、破滅的な私生活を続ける、周りを裏切る、その行動をとってしまう事自体に意味があったように見える。

彼は家族が居ながら愛人の金を使い込み薬物にハマり堕落的な生活を送っていた。しかし考えてみても欲しい。通常のダメ人間ではここまでのダメ人間にはなれない。そして何か価値のあるものを生み出す事も出来ない。結局文化的にも生活的にも中途半端で何者にもなれないままに、ただのだらしない人、自律心のない人として社会から排除されて終わって行くだけなのだ。

よく酒を飲むと自分のダメ人間さについて語る人は多数いる。そして基本的な慰め文句として「自分で気付いてるだけ大丈夫だよ!」という言葉をかけるし、イトウもかけられがちだが、自覚症状があるだけでは結局ただのダメ人間なのだ。太宰の生き様を見ているとやはりダメ人間の中にもすごいダメ人間がいるな…とダメ人間イトウはしみじみしてしまう。例え道化であったとしても、ここまで生産的で徹底的なダメ人間になりきれたところ、そしてそこを自分自身で皮肉りながらも自己愛の対象として居たところに彼の凄さがあると感じている。

一方で彼が最期まで孤独だったのではないかと感じたのはその点である。共に死のうとしてくれた人は恐らく彼と一線を画した、ただのダメ人間である。共に酒を傾けていたのもそうだ。恐らく彼にとっては文学へのインスピレーションは与えど誰にも顔なんてなかったはずだ。一方で文化的な生活を支援した友人達はダメ人間ではそもそもない有識者であった。彼は両極端な人間関係の溝に陥っていたように感じる。だからこそどちらに対しても道化を演じていたのだろう。そして、それをすればするほど細い神経を持った彼はすり減っていった。しかし、すり減る事に酔いしれていたようにも思う。

数ある作家の中で彼ほど自堕落さと知性をアウフヘーベンし、芸術へと昇華できた人物は居ないと思う。もしも彼と酒を飲む機会があるのであれば、たとえ顔のないダメ人間としてしか捉えられていなかったとしても「死ぬ気で恋愛してみないか」なんて言われてみたいと妄想してしまうイトウもなかなかのダメ女である。

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