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【アーユルヴェーダの瞑想をちょっと体験】ゴールとアウトカムの関係に なるほど〜

2022年9月17〜18日、東京・高尾のイベント「ゾンバヤム・チベット祭り」に参加しました!

私は、アトリエパユルのアクセサリーや布小物、謎のぬいぐるみなどの販売で出店しました。やさしいエネルギーに満ちたイベントで、心身ともに癒されました。

イベント2日目、スリランカ出身のアーユルヴェーダ医師 ガーマゲ・モハンさんによる瞑想のワークショップで気づきがあったので、感じたことをシェアしてみます。

「瞑想すること」は可能なのか?

ワークショップでは、瞑想の実践ではなく「アーユルヴェーダ式の瞑想とはなんなのか」の説明がメインでした。

冒頭、モハンさんはこう投げかけました。

私たちは、瞑想することができるのでしょうか?

え、これって、瞑想の体験会であるわけだから、瞑想ってできるよね?

と思った私。モハンさんは説明を続けます。

私たちは、普段の生活でマインドを意識して用いていない。マインドに対して無意識に生きているのならば、それは、運転免許を持っていて運転席に座っているのに、車を運転していないことと同じ。自分達のマインド(車)を意図して操れるようになろう。

なるほどなるほど。

この説明の後、自分の感覚を操る練習をしました。

目を閉じて視覚を遮断し、聴覚にフォーカスします。
すると、雨の音、子供達の声、ドアが閉まる音、自分の呼吸音、隣の人の呼吸音、誰かの足音……普段は聞こえない音が聞こえてきます。

どこにフォーカスするかを決めてそこに集中している状態なので、そのような変化が起こるわけです。極めていくと、自分の心臓の音さえも聞こえてくるそう。

アーユルヴェーダの瞑想では、この一瞬一瞬、一点に集中することに重きが置かれるとのこと。

モハンさんによると、

一瞬一瞬、自分が集中したいことに集中する。
そのゴールを達成していくことのアウトカム(結果、成果)として「瞑想できた」という結果が得られる。

つまり、アーユルヴェーダにおける瞑想とは「瞑想しよう」と思って行うものではない。「瞑想することは不可能」では?

ほおお。

意図して「瞑想しよう」ではなく「今ここに集中する」しかできないんですね。これは面白いです! 面白くないですか?

ちょっとこの考え方が新鮮だったので、noteを書いてみた次第です。
もう少し考えを発展させてみます。

※これは私の解釈が入っていますので、アーユルヴェーダでの瞑想の考え方や実践方法は、ぜひ正式な情報を参考になさってください☆

私にとってのゴールとアウトカムを考えてみた

この考え方がしっくり来たので、瞑想ではなく私が普段やっていることに当てはめてみます。

私は、自分のブランド「アトリエパユル」のアクセサリーを作っています。この時は、

<ゴール・フォーカスすること>
・デザインする時に集中
・素材を選ぶ時に集中
・製作時に集中
・イベントで販売(発表、自己表現している感覚ですが)時に集中

<アウトカム>
・すばらしい作品ができる
・イベントで楽しい思い出ができる
・人に買ってもらえる
・売り上げが得られる
・幸せが得られる

こんなところでしょうか!

ただ作る。
ただ販売する。
ただ発表する。
ただその場を楽しむ。

ひと刹那ごとに集中する=瞑想状態になることで、自然と結果がついてくるのだなあ。

ついつい意識が散漫になりがちなので、自分の車で心地よくドライブできるようになりたいです!

フォウ〜〜〜

どうでしたか?(雑)

最後までお読みいただきありがとうございました◎

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