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人の生くるしは直し。これをしいて生くるは、幸いにして免るるなり。


タイトルは、孔子の論語。

論語は、孫さん、まもなく1万円札の顔になる渋沢さんの愛読書。

孔子って、

ぺらっとしか知らないと、

「人として当たり前のことを言ってるだけ」


と思いがちだけど、

孔子の思想って、
今も残っているほど、

人間として大切なことを教えてくれていて、


当たり前のことを当たり前に出来ない人々だらけの昨今では、

孔子の思想は、当たり前ではないです。


なんでもすぐ知ったかする軽率勢は、

「知ってる」で、すませるから
身にならないし、使えもしないけど、

知ったか勢の愚かさについても


孔子の論語には明確に記してあります。


つまり、

人生が冴えないし、詰んでいる人は、
「当たり前のこと」だと知ったかするけど、

これが出来ていないから、
あんたの人生は冴えないんですが。


ってこと。


【人の生くるしは直し。これをしいて生くるは、幸いにして免るるなり。】


は、


人が生きていくには、真っ直ぐであることが大切。

この真っ直ぐさがなくても生きているならば、
それは、たまたま助かっているだけのこと。


という意味ですが、

庶民道徳により、たまたま助かっているだけです。


真っ直ぐな人って、少数派ですから。



【これを知るを、これを知ると為し、

知らざるを知らざると為せ。

是れ知るなり。】


意味は、

はっきりとわかっていることだけを、

「知っている」とし、

よく知らないことは「知らない」と言う。

知っていることと知らないことの間に、
明確な境界線を引けることを、

本当に「知っている」という。


つまり、

知ったか勢は、

「知っている」すらも、知ったかしているんです。

そもそも、自分を知らないくせに、

知ってる気になっているし、

境界線を引けない。


立場をわきまえず、YouTubeライブにコメントする
ゴキブリたちは、人と人との境界線すら
知らない。

人間のコミュニケーションを知らないから、
ゴキブリなんです。


この世には、知らないことばかりってことを、
孔子は教えてくれていると、
私は思います。


私が、易経が大好きなのは、
孔子の思想に満ち溢れているから。


当たり前のことが、当たり前じゃないこと、
出来ていないことを再確認させてくれる。


易経を学ぶと、私の未熟さに、
胸が痛くなることだらけ。


先生も、

「あ〜、耳が痛いな〜、全然出来てないわ」って
おっしゃいますが、

こうやって、素直に、
自我ジャッジなく学べる時点で、

易経を学ぶ価値はあまりに大きい。


そもそも、九星気学をペラペラにしている人って、
易の教えを知らない。

九星気学をいくら学んでも、生活に落とし込めない人は、

生きる姿勢、態度が変わっていない。


学びながら、

胸が痛くなった時なんて、

私を知る大チャンス。


だって、出来ていない姿勢そのものであり、
潜在的に、その姿勢が必要だとわかっているんだから。


とゆうか、

易経は、

めちゃくちゃ楽しい🌹

「気高い人の真髄」に触れることが、
楽しくてたまらない。


「こんな在り方、できないよ〜」という在り方を、
易経は、要求してくるんだもん、

楽しすぎて、沼🌹


易経って、

非常に徳の高い君子の
物の見方や考え方に触れ
人間力を磨く学問です。


庶民道徳勢に不足している思考しかないです、
易経は。

自我なんて要らない、
傲慢になるな、慢心するな。

ということを何度も教えてくれるし、

覚悟と勇気、受容、生み出すこと、

自分だけじゃなく、全体をみることも教えてくれている。


そして、

気の流れ、人生の流れ、物事の流れが

必ず「自然であること」がわかる。


易を立てると、私は心が安らぐ。




学んで思わざれば、則ちくらし。

思うて学ばざれば、即ちあやうし。


意味は、

外からいくら、情報や知識を得ても、

自分で考えなければ、物事の本質は
理解できない。


逆に自分で考えるだけで、

外から学ばなければ、独断的になってしまう
危険がある。



孔子の論語、

SAORI YAMAMURAか!!

と、思うでしょ?笑

私もそう思う。


庶民道徳を疑い尽くし、

庶民道徳勢とは合わない、社会不適合だと、

自覚した人は、

みんな孔子の思想を持つんです。


それを、大昔に知っていた孔子は、天才🌹


当たり前のことが、出来ないんだもん、
庶民道徳勢は。


社会不適合の友達と、久しぶりに会ったら、

「言い訳ばっかりして、めんどくさい人がいっぱいで
嫌!!

中年になればなるほど、頑固になるのはなんでなん?」

って言って爆笑したんだけど、

ほんとそれ。

学んでいないし、考えていないからです。


学び続けていたら頑固になりようがないもん。


学びをやめた人は魔物になる。


頑固ジジイは、魔物です。


時代の流れに合わせて、
自分を変えられない魔物。


流れを見ることが出来ない思考。


九星気学は、必ず流れが存在する。


今月の運勢に一喜一憂する勢、

あんたに先月はなかったんか?


だし、

今年の運勢に一喜一憂する勢、

あんたに、去年はなかったんか?


だし、

気は、ずーっと流れている。

生き様もずーっと流れてきたもの。


生き方、生き様を棚に上げて、
今年の運勢にのぼせている人は、

気を感じない不感症です。


ずーっと恋愛失敗しかしてない生き様で、

相手が変われば、恋愛失敗しない

と、思っているオッサンと同じ。


恋愛失敗しかしない生き様を変えない限りは、
ずーっと恋愛失敗です。


プライド🦍は、

易経に辿り着けない。


なぜか?

自分の冴えない、不様な人生を
「学問」に、明確に突きつけられることに
耐えられないからです。


すなわち、未熟だから。


易経は、特別なことを言っていないけど、

簡単にできることも言っていない。

胸が痛いし、耳が痛いけど、
背筋が伸びる。

っていう、

素直な姿勢がないと、学べないから
辿り着けない。


庶民道徳思考で、暗記する学問じゃないし。

自分で受け取り、自分で活かすもの。


状況を日常に入れるもの。

めちゃくちゃ面白い🌹


ちなみに、庶民道徳勢は、

いつも「天地否」

私、占ってこれが出たら目眩がするわ。

もちろん、出ません。


天地交わらない、最悪な状態。

ですから。

天地交わらないから、万物は生まれない。


今の日本がこれ。

👓と国民、交わらないもん。

反抗、反発しあっているし、お互いのことを
考えていない状態。


夫婦不仲、親子不仲も、まさにこれ。

なんなら、
女性性と男性性が死んでるのもこれ。

易経では、天地否の次の流れがありますが、

日本の多数派は、一生かけて、天地否。


ちなみに、六白金星は気をつけないと、
この卦を受け取る運勢が必ずきますからね。

今年も、来年も、ずーっと。

なんなら、1年の運勢でも受け取る年があります。

反抗している場合じゃないです。

小さく生きると、天地否です。


無料勢のいきったオバハン、自称六白金星ですが、

天地否やってる六白金星に価値はないです。


天地否をやっているから、

貧乏人なんです。


豊かさを生み出せない状態が、天地否です。

南無阿弥陀。


可愛い♥️

最後にもうひとつ、孔子の教えを。

【これを知る者は、
これを好むものに如かず。

これを好むものは、
これを楽しむものに如かず。】


意味は、

学びにおいて、知っているだけでは
好むに及ばない。

学問を好む者は、楽しむ者に及ばない。


努力は、夢中に勝てないってこと。

楽しむ人には、なにをしても及ばないってこと。


楽しめる生き方が、なにより大切ってこと。


だから、暗い人、笑わない人は、
誰と比べても及びません、なにひとつ。

YouTube知ったか勢が、なにを言おうと、

私には及びません。


楽しむ人には、及ばない。


なにが?

輝きです。

人生の輝き。


大人が輝いていないと、
子どもは輝く未来を描けない。

親は、輝くことが義務。

ご飯、洗濯??

輝いてから、やって。

以上です。


輝いていない親が、何を言っても寝言。

人生を楽しんでいない親は、邪魔なだけ。


学びをやめた人間は、魔物とは、こういうこと。

輝く生き方を知らないくせに、

輝く生き方を学ばないなんて、

本当に傲慢で、慢心のかたまり。


ま、他人事だから知らんけど。

孔子が言っていますから。

【如之何、如之何といわざる者は、
われ如之何ともすること末きのみ】

と。

「これはどうすればいいか?」と、
真剣に考えない人は、

私にはどうすることもできない。


ってことです。

孔子の線引きは、鵜呑みにしなければならない。

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