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ともだち論

 私は物心ついた頃から、人にもらった手紙はどんな内容でも捨てずに取っておくようにしている。小中高大と生きてきてもらった手紙はとうとう菓子箱の蓋が閉まらないくらいの量になった。今でもたまに読み返すのだが、小学生のときに母がくれた手紙にこんな1文があった。

「これからもお友だちを大切に、みんなとなかよくしてください。お友だちとやくそくをしたら、お友だちをまたせないようにしようね。しゅくだいをきちんとして、じかんわりもきちんとやったら、いっぱいあそんでいいよ。せいふくをきちんとかけて、せんたくするものはちゃんとせんたくかごに入れておいてね。(ママからのおねがいです。)」

これだけで私がどのような子どもであったかだいたい想像がつくというものである。声を大にして言うことではないが、今でもほとんど変わっていない。友だちと遊ぶ約束をして「いま電車に乗りました」と言いながら実際は家を出たばかりだったり、朝慌てて準備をするせいで一限のノートを忘れて家に取りに帰ったりする。服は「どうせすぐ着るんだから」とハンガーにかけずそのへんにテキトーに積み上げる。残念ながら母の願いは届かなかったようだ。

しかし驚くことに、こんなだらしない人間にも愛想を尽かさず仲良くしてくれる友達はいる。

ここが本当に嬉しくもあり我ながらよく分からない点である。私は本当に人を気にかけるということが出来ないしどこまでも自分本位な人間なのに、それで周りから孤立するということはなかった。いじめや嫌がらせにあわなかったわけではないが、そういうものにだいたい我慢がならない子どもだったのでだいたい先生を巻き込んで大事にするか、どう相手を返り討ちにしてやろうかと考えていた。これも自分勝手な人間であるが故だ。穏便に済ますとか耐え忍んで転機を待つという思考がない。

とりあえずいつもどんな状況になってもだいたい数人は周りにいたし、宅浪という1年間の引きこもり期間にも、私の存在を忘れずに連絡をくれたり外に連れ出してくれる友達がいた。私はこの人たちになにか特別なことをしてあげられていたのだろうか。私ばかりこんなにも恩恵を受けていいのだろうか。有難いと思う嬉しさと共に、少し不安になるのだ。本当に私なんかの何がいいのか分からない。バランスのとれた食生活を送る人でもたまにはジャンクフードも口にしたいなと思うとか、そういうことなんだろうか。友達づきあいって多分そういうものなんだろうな。同じようなものばかり食べていると飽きてくるし、得られる栄養も偏る。だからみんな無意識のうちに気分に応じて食べたいものを選び分けている。当たり前のことなんだろうがこれなら私の需要にも納得が行く。私は脂質と糖そのものなので。


 Instagramのストーリーを見ていると毎日誰かが誰かと会っている。特に同じ高校の人たちは、何をそんなに会って話すことがあるのかと思うくらいの頻度で高校の友だち同士で会っている。私が人と会わなさすぎるだけなのかもしれないが、その時間と金銭の余裕はどこから来ているのか不思議で仕方がない。そんな私も昨日は高校の友達と1年ぶりに会ってお洒落なご飯を食べてきた。記事に挿入されているふわふわオムライスがそれである。チーズソースとデミグラスソースが半分ずつかかった夢のようなオムライスだった。流行に疎い私の代わりに友達がお店まで連れて行ってくれた。また恩恵を受けてしまった。とってもおいしかった。

隠れ家的なちいさなお店だったので、食べ終わるとすぐにお店を出てカフェに向かった。そこも友達が調べてくれて、Instagramでカルボナーラが有名なお店らしかったが、私はおなかいっぱいだったのでアイスカフェオレを頼んだ。飲み物1杯で600円もするなんてすごい世界だと思ってしまう。周りの女の子はみんな運ばれてきたカルボナーラを撮っていた。食べていた。

本当にいろんな話をした。バイトの話、恋愛の話、就活の話、共通の友達の話。お店は空いていたが「いい加減出ていけよ」とお店の方に思われないか心配になるくらい長い時間話し込んでしまった。私も友達もよく話す方だったので、相乗効果で終始楽しい話ばかりだった。

最近気がついてきたのだが、私の友達は話し上手で聞き上手な人が多い。独居老人のような生活をしている私なので一旦会話にエンジンがかかると止まらない。しかしそれでもしっかり聞いてくれて話してくれる人がすきだ。私の場合「遊びたい」は「話したい」なので、別に楽しく話せたら場所もご飯も選ばない。お酒もいらない。極端な話サイゼリヤでミラノ風ドリアをつつきながらドリンクバーで乾杯するので十分なのだ。本当に楽しい友達と会うことにお金はかからない。お金をかけなければいい歳の大人として恥ずかしいというのは分かるのだが。 

「私と会ってくれたあの子は楽しかったかな」
人と会った帰り道はそんなことを考えている。

「選ばれたのは綾鷹でした」とはならなくとも、ある時ふっと顔が浮かぶような誰かの友だちでいたい。数ヶ月ぶり数年ぶりでもいいので。それこそミラノ風ドリアが食べたくなったら誘って欲しい。なんでも見境なく頼めるサイゼリヤは最高。しかもおいしい。

しかし私もそろそろ500円以上するソフトドリンクにも抵抗なくお金を出せるような余裕のある大人になりたい。お洒落な大人の金銭感覚にはまだ慣れない。今日もこつこつバイト頑張ります。


それでは。



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