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肉体仏像 金粉ショーについて

 「金粉ショー」というのを聴いたことがあるだろうか。肉体に金粉を塗ってまるで仏像のような容姿になる。その姿は映画「007ゴールドフィンガー」(1964年)に登場したので、一般の方でも見たことがある方はいると思う。
 その姿で「舞う」のである。その舞は神々しい、、、はずであるが、一昔前の深夜テレビではコントのように扱われていたこともある。男性タレントが金粉を塗り、驚かすのである。見た目のインパクトが強いので、「困ったときの金粉頼み」というような事も言われていた。

 その金粉ショー。海外での方が始まりは早く1909年(明治42年)にはヨーロッパでのショーの記録があるようだ。

 しかし実際に日本人が金粉ショーをしたのは、戦後、ストリップショーが登場してからのことで、橋本与志夫著「ヌードさん」(筑摩書房)に、1950年(昭和25年)10月新宿セントラル劇場で「全身にダイヤ粉を塗って命懸けピカピカストリップを披露」と書かれていた。
 「ダイヤ粉」とは何だろう。ダイヤだから金粉では無いだろう。銀粉かもしれないし、スパンコールを砕いたようなものかも知れない。いずれにしろ特殊な肉体美の舞が初披露されたのだ。

 そしてグランドキャバレーでも正統派ダンスショーではなく、セクシー(トップレス)ダンスショーが盛んになり、ストリップ劇場に出演していた踊り子が小遣い稼ぎで出演するようになると、金粉ショーも組み込まれるようになった。
 この振り付けには、のちに土方巽氏が有名となる「舞踏」の始まり、ドイツへ留学し舞踊を学んだ津田信敏氏が始めたのではないか、と思われる。

 その後、ストリップショーは性的な方向でハードになっていき「ダンス」は後からついてくるようになるが、1960年代〜1970年代。日本で新しい舞踊の形「暗黒舞踏」が歩み出していくと、本公演のための資金稼ぎで、舞踏ダンサーたちが、ストリップ劇場やキャバレーのセクシーダンスショーに出演するようになる。彼らはあくまでも「ダンサー」なので、踊りメインで演出を考える。そこで「裸のようで裸でない」金粉ショーが盛んになっていったのだ。

 先に書いた津田氏が開設していた「津田信敏近代舞踊学校」は「アスベスト館」となり代表は土方巽氏となる。1970年代はそこから独立した「山海塾」「大駱駝館」「白虎社」などがこぞってメイン公演以外でのショーに力をいれ、独自の演出で「アダジオショー」「金粉ショー」「SMショー」を
作り上げていった。

 さて、「金粉」自体に疑問を抱かれた方もいるだろう。金粉ショーの宣伝で「3分以上は生命に危険があります」などという触れ込みがあった。全身テカテカな姿は、もちろん体に良くなさそうだな、と思うが、一体何を塗っているのだろう、と。
 「金粉」はもちろん本物の「金」ではない。実際は粒子の細かい「銅粉」である。「銀粉」はこれまた粒子の細かい「アルミ粉」だ。これを油で溶く。初期の頃は食用油、のちにベビーオイルとなった。

金粉ショーの素、銅粉
粒子が細かく画用紙でも簡単に金色になる

 私も金粉ショーをやったことがある。千葉県船橋「若松劇場」で「ストリップ50年史」という興行をやった時だ。通常金粉ショーは体がきついので、2、3日、せいぜい5日(10日間興行の半分)ということを聞いていたので、そのように申し出たが、「金粉ショー」を売りにしたい、どんな形式でも良いから10日間やってくれ、と言われた。しかも限りなく初期の形で、という注文だ。
 若松劇場とは深い付き合いなので(いずれその話も書くが)、むげに断る訳にもいかず、色々考えた。まず初日から5日間は初期の舞踏派スタイルをやる。先輩の舞踏家を紹介頂き、昔の金粉ショーの再演を願った。

 初顔合わせの舞踏家O氏と、1、2回稽古をする。「金粉は仏像で神々しいものです。動きは抑えて」というアドバイスを頂いた。曲構成は彼が昔やっていたものをそのまま再演。
1、ゴッドファザーのテーマ
2、ピアソラ「オブリビオン」
3、キングクリムゾン「エピタフ」
1曲目O氏のソロ。2曲目私のソロ。3曲目アダジオ。3曲で約15分。
しかし私は、もともと踊りが大好きだったので、今まで自縛で踊れなかった分、つい踊ってしまう。記録ビデオを撮っているが、アダジオでの自分のダメさ(動きが多い)にがっかりしてしまう。舞踏家O氏は「50(歳)を超して金粉ショーをやるとは思っても見なかった。やっぱりきついね」と話していた。

 そして後半の5日はパフォーマンス友達のK氏に頼み、ちょっとだけ今風にしてみた。もちろん曲も変えて。
 しかし5日を過ぎた頃から明らかに皮膚の変化が訪れた。劇場では1日4回公演のため出番が終わるごとには落とさず、軽く拭いて、出番のたびに塗り直していた。終演後はボディタオルを使ってゴシゴシと油分を落としてさっぱりしたいのだが、塗り固められた皮膚はそう簡単には落ちず、数回ゴシゴシを繰り返す。結果、肌荒れが起きる。ましてや異物が毛穴に詰まるので、落ちきれなく、徐々に痛痒さが増していく。背中はワニ皮のようにひび割れ硬直し、痛痒さが続く。7日か8日めだったか全身に蕁麻疹ができ痛みが襲った。薬品に詳しい友に連絡し、アレルギーの飲み薬をもらって、その日は白塗りにラメ粉を振り誤魔化したが、私の体の限界だった。

K氏との金粉ショー。男性は銀粉となる

 何とか10日間を乗り切ったが、その後も皮膚ケアには苦労が続いた。連日サウナへ通い、汗をかくようにして毛穴に詰まった異物(金粉)を出す。汗と共に出てくる金粉は、チクッと痛みを感じる。皮膚が楽になったのは10日後位からだろうか。それでも何となく全身が光ってい、完全に落ちるには1ヶ月以上かかったかと思う。

 そんな苦労をしていても「もう二度としない」とは思わないのだ。何かチャンスがあれば「金粉ショー」をやりたいと思ってしまう。この思いは自分でも不思議だ。「仏像」への憧れであろうか。体の辛さよりもヌラヌラと光る体、その姿を再び、と脳が記憶しているようだ。

 今でも金粉ショーは、若手の舞踏家たちに継承されている。神々しい姿を一度は見てもらいたいと思うが、現実はなかなか厳しい。身体中オイルまみれなので、控え室も十分なスペースが必要であるし、照明も最低限必要である。また、ステージも汚れやすいので、理解がある小屋主でなければならない。そして何よりも体は辛い。死にはしないけれど健全な皮膚に戻すために時間がかかる。この点を理解した上でオファー頂ける主催者がなかなかいないのが現実だ。
 私ももう一回だけ、金粉やってみたいなぁ、、、、。


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