倶楽部サピオセクシャル日記107:「自分大好き」「自分スゲぇ」は毒か薬か今夜は承認欲求を語ってみるルーム
本日は1月13日。タイトルのルームを開いてから、ずいぶん日がたってしまった。
年末年始があり、茅野で開かれた某企業の会議に参加し、といったバタバタが続いており、すっかりまとめを書くのを失念していた。
というわけで、走り書きのメモと記憶を頼りに昨年開催したルームのまとめを書いてみたいと思うのだが、どうなることか。
◆ファーストペンギンと知りたがりの動機
今回のタイトルを作ったのはぼくである。ちなみに「自分大好き」は相方、「自分スゲェ」はぼくの自己認識として設定してみた。まあ、当たらずとも遠からず。ヤバい部分を押し隠しているモデレーター2人である。
ルームの中で相方は「ファーストペンギンになること」で、自己承認欲求を満たしている、と語った。その話を聞いてぼくが思い出したのは、テレビで見たある光景だった。海外の著名な経済学者が日本で行った講演の様子をその番組では紹介していた。
ぼくが特に気になったのは、講演の後に設けられた質疑応答において、誰も質問しようとしなかったことだった。しばらく間があり、ようやく1人が手を挙げると、その後は堰を切ったように質問が相次いだ。
相方のつよぽんさんなら、そこでいちばんに手を挙げることで、自己承認欲求の充足という報酬を得るのだろう。
ぼくの感覚はかなり違う。その講演を視聴して、ぼくの頭の中にはいくつもの質問が浮かんだ。たぶんあの場にいたら、手を挙げずにいられなかっただろう。何番目かは重要ではない。知りたいから手を挙げる。そんな風に考えるのはやはり、幼少期から今にいたるまで、集団に属せないぼくの性なのだろう。
◆「承認されたい」は飢えか欲か
承認欲求は万人が持つもの、という前提で設定したタイトルだったが、ある方は最近「自分にそんな欲求はない」という人とたびたび出合う、と教えてくれた。
SNSがこれほど興隆を極めていることでもわかる通り、承認欲求は本来、ホモサピエンスにとって非常に強烈な欲の一つである。古来、ヒトは群れを作って暮らしてきた。
文明を築き、経済を回すようになると、それぞれに異なる役割が生じ、それをまっとうすることにより居場所を確保するのがヒトの生態となった。役割をちゃんと果たす有用な人間である、と承認してもらうことで、生きる権利を獲得してきたのだ。
承認欲求は生存に直結するものであり、食欲や睡眠欲に類するもの、とすら言える。したがって、持っているのが自然であり、持っている認識がないのなら、そこにはなにがしかの歪みがありそうだ。
ただし、人によって欲の強さは異なるだろう。食欲と同じく、満腹の人は承認されること、あるいは自らを承認することにそれほどこだわらないだろう。逆に、日常生活の中で、あまり褒められたり認められたりするシーンが少ない人は、「飢え」に苛まれるものと容易に想像できる。
ルームを開いていると「飢えている人」がときどきやってくる。概して、彼らはとてもよくしゃべる。
◆瓶の底が割れている人 癒やさせてあげる人
前述した「飢えている人」にはよくしゃべる以外にもう一つ、褒められても素直に受け取らない、という特徴がある。そんな心の有り様を「自己承認欲求の瓶が割れている状態」と語った人がいた。
これは言い得て妙だと思う。自己承認できるようになるもっとも簡単な方法は、他者から承認してもらうことだ。たくさん褒められたら、自分に厳しい人であっても「あれ、もしかして自分はけっこうすごい人なのかも」と思えてくる。
ところが、「自己承認の瓶」が割れていると、他者からの言葉はその人の心に貯まらず、流れ出てしまう。いつまでたっても自分で自分を認めたり好きになったりできないのだ。
今回のルームでもう一つ、心に残ったのが「癒やさせてあげる人になる」という言葉だった。ぼくには自己完結してしまう癖がある。困ったり、感情のバランスが狂ったりしたときも、自分で解決しバランスをとる。
他者を頼らない自分を誇ってきたが、裏返すと「他人に役割を与えない人」「癒しすら求めない人」なのである。そういう人間にとって「癒やさせてあげる」という立ち位置は新鮮に感じられた。
上から目線で誠に申し訳ないのだが、そういうプレイに付き合ってくれる人を探す必要がありそうだ。
◆まとめ
ルームでも語ったが、ぼくが持つ自己承認の瓶は底が分厚く、他者からもらう褒め言葉はまったく漏らさない。「すごいですね」と褒められたら「そやろ」と返すことにしている。
「知らんけど」の次に流行らせたい関西弁である。
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