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倶楽部サピオセクシャル日記113:今夜は子供の頃の思い出を語るルーム。自分語り上等! ポロポロもポロリも大歓迎!

こんばんは、つよぼんです。

昨日2024年2月24日(土)のサピオセクシャル部屋のまとめを書こうかと思う。

今回のテーマは、「今夜は子供の頃の思い出を語るルーム。自分語り上等!ポロポロもポロリも大歓迎!」

このテーマを挙げたのはわたしだ。
わたしの職場(知的障がい者の通いの施設)で今度、利用者と職員が自分の子ども時代の写真を持ち寄り、どれが誰かを当てるクイズをすることになった。

それで、わたしもアルバムを押し入れから出して見ていた。
すると、遊園地のレストランでホットケーキを頬張る自分、映画あしたのジョーのパンフレットを胸の前に抱えて笑顔の自分。
様々な自分の子ども時代の姿を見た。

あの頃は矢吹ジョーに憧れていたなあ。
ホットケーキ大好きだったけど、いまでも好きなだな。

そんな色んな記憶が蘇ってきた。

すると、なんだかみんなの子ども時代のことも聞いてみたい、という欲求が浮かんできた。
それで、今回のテーマを設定させてもらった。

ちなみに、いまは、日曜日の夕方。
石油ストーブの前で正座をしながら、友人から勧められた『LISTEN』(ケイト・マーフィ著)という本のまえがきを読んでいる。

そこにはこんな文章がある。

「感情の深みを育むには、相手の声が自分の中で共鳴する必要があります」

それで言うと、昨日参加した皆さんから聞いたエピソードや、皆さんの声を自分の中で共鳴させながらまとめを書いていけたらいいなと思いながら、スマホのメモ帳を開きました。

耳を傾ける上での理想は、相手の話によって、感情的にも、知的にも、動かされるということ。

参加者の一人がこう語った。

懐古主義、ノスタルジアには良い面と悪い面がある。
過去を良いものとして、思い出話に終始してしまい、いまを生きない、となってしまうと悲しい。

そこで大切なことは、過去に執着するのではなく、過去の自分を探求することだ。
そこにこそ価値がある、と言ったのはカール・ユングだ。

これには、わたしも共感する。

九州大学の高松里先生の著書『ライフ・ストーリー・レビュー入門』という本で言われていることは、過去の体験を誰かに語ることで過去の記憶についての「記述を厚くする」ことの大切さを提案している。

厚い記述(thick description)という表現は、文化人類学などで用いられる言葉ですが、単に何が起きたのかという事実のみではなく、その出来事の前後に何が起きたのか、文化や社会との関係はどうか、その出来事が人生に与えた影響は何なのか、という「物語」や「意味づけ」といった「文脈」を伴ったものです。(P24)

過去を語る言葉が豊かになること。
そして、過去から現在へのストーリーにある種の首尾一貫性が感じられた時にわたしたちはもっとも心が安定する、という考え方だ。

うまく表現できないので、高松先生の言葉をそのまま借りてみる。
なぜなら、そのほうが読者の助けになると思うからだ。

(抜き書き)

この本の基本的な発想は、「人は一貫したライフストーリーを持つ時に、心理的に安定している」というものです。生まれてから現在までの、自分のライフストーリーを振り返った時、普段思い出すことがなくても、思い出そうとすれば思い出せるし、人に話すこともできる、というような感じでいるときに、人は気持ち的に落ち着けるのではないか、ということです。

(抜き書きここまで)

わたしはこの首尾一貫感覚、SOC(センス・オブ・コンヒレント)を高めることに関心があるということを昨日、いや、このまとめを書いている最中に思い出し、心が軽く小躍りしそうな気持ちだ。

これを提唱しているアントノフスキー氏の本が読みたいのだが、そういえば、探せていない。

そこで調べた。

すると、『「首尾一貫感覚」で心を強くする』という舟木彩乃さんの著書がヒットした。
以前から読んでみたいと思いながら読めていない本だ。
読みたいけど、読めていない本はたくさんある。
こうして何度も出会ううちに読む機会が訪れるのだろう。

今回、参加者さんたちがそれぞれに子ども時代の思い出話をしてくれた。

鍾乳洞で転んで転落しそうになり死を覚悟した体験、弟と比べられ父親に人見知りの烙印を押された瞬間、サッカーのチーム分けでの思い出などなど。

また、香りや匂いにまつわる記憶は何ですか?という問いが参加者の一人によって運ばれてきた。

・祖父の部屋の石油ストーブ、たばこ、薬品、本の匂い。
・雨上がりの香り(ペトリコールというらしい。雨が降ったときに地面から上がってくる匂い)。
・3月の暖かい日の春のにおい。
・シッカロール(ベビーパウダー)の香り。

みなさんの思い出が香りと共にまた違った趣きでわたしたちの元に運ばれてきた。

過去の記憶を人に語ることでわたしたちは過去を解釈している。
人からの質問に答える。
すると、人が自分とは異なる解釈をしてくる。
そういった出来事を通して過去の解釈に変更が加えられていく。

他人と過去は変えられないと言われるが、この解釈の変更によって、過去はある意味変えられるのではないか、とわたしは考えている。

そんな過去の再解釈について、最後の方でみなさんと共有できた気がする。

もちろん、これはわたし個人の解釈なので、違う考え方もあるだろうと思う。

そんな考え方の違いについても、またどこかの機会でみなさんと話せたらいいなと思っていることをお伝えして、今日のまとめは終わりにしたい。

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