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できない生徒は、できません

「塾に通っているのに成績が上がらない」

家庭教師として一番相談を受ける内容です

安くない授業料を払い、大量の宿題を消化し、週の半分以上も塾に通っているのに成績が上がらないとは不思議な話です

この原因はどこにあるのでしょうか?

今回のnoteでは「塾の限界と先生たちの正直な思い」「中学受験における伸びしろの限界」について書きました

小手先の成績向上のテクニックではなく、現実をありのままに述べた内容になっています

特に大手塾の下位クラスで伸び悩んでいる保護者の方に、読んで欲しい内容です

私自身の意見だけでなく、友人の塾講師や家庭教師にもインタビューも踏まえて書いています
保護者の方だけでなく、塾講師の方もぜひ読んでください!

【↓こんな人にオススメです↓】
・塾講師をしている
・転塾を考えている
・塾に不信感を抱いている
・塾の先生と上手くいっていない
・塾に通ってるけど成績が上がらない

※ここではマイナスの塾講師像や中学受験の負の側面を中心に述べています。しかし、多くの先生方は生徒のことを第一に考えていて、尊敬すべき方ばかりですし、中学受験も素晴らしいシステムだと思っています。

※私が過去に所属していた、また私の知り合いが所属する塾や講師に対する批判ではないことも強調しておきます。


・塾講師の視点:できない生徒はできない

「塾に通っているのに成績が上がらない」
この悩みに対して塾の先生たちはどう思っているのでしょうか?

塾講師になる人は、多かれ少なかれ教育への熱意を持っています

「お金を稼ぎぎたいから」「楽だから」という理由だけで塾講師を始めた先生に、私は出会ったことがありません

しかし、周囲の講師や保護者の方に聞いてみると
「成績が上がらないのは仕方がない」と諦めている先生
なんと、成績の低い生徒を馬鹿にするような先生すら存在します

なぜこのような講師が存在するのでしょうか?

順を追って見ていきましょう

誰しも、新人講師の頃は熱心に指導します
予習にも膨大な時間がかかる上に、慣れない授業で生徒の対応にも四苦八苦
それでも、生徒のためだから全く苦ではない、、、

1年目の予習は知らないことばかりで本当に大変です
業務時間外であろうと、教材研究に時間を費やします

保護者に対しても生徒に対しても、熱意を持って接します

熱心すぎるほどに熱心です

周りのおじさん講師を見て
「ベテラン講師たちは、なぜこんなにやる気がないんだろう」
そんな憤りも感じることでしょう

しかし、2,3年目の終わりごろに思うのです

「なぜ、こんなに熱心に指導してるのに成績が上がらないのだろうか?」
「自分の努力量が足りないからなのか?」

さらに努力しようと、なかなか思うような結果を出せません

成績上位の生徒は固定され、下位の生徒が上がってくることは少ないです

それでも熱心に指導し続けるでしょう

しかし、ある時、気づきます

「できる生徒はできる。できない生徒はどれだけ熱心に指導しようとできないんだ」

こう思ったとき、講師は無力感を感じます
自分の今までの努力が否定されたようなものです

※もちろん、生徒に熱心に指導することは意味のない行為ではありません
現時点で成績の向上に結び付かなかったとしても、大人が自分のためを想い一生懸命になる姿は、将来的に子供の心に大きな影響を与えるでしょう


集団授業で偏差値を上げることは本当に難しいです。

みんなが同じテキストを使い、同じマニュアルに基づいて指導を受けていれば地頭の良し悪しによって成績が固定されるのは当然の結果です

クラス変動の激しい大手塾であれば、いくら自分が熱心に指導しようと数か月後には別の先生の授業を受けているのだから、成績に及ぼせる影響もたかが知れています


そうなると、できない生徒に時間を割くことは非常に効率が悪い行為です

こんなことを書くと
「教育者が効率などと言うな!」
というお叱りの声が聞こえてきそうです

しかし、商売である以上、効率的に現場を回すことは必要ですし、授業以外の雑務も多くあります。ノルマの厳しい塾であればなおさらでしょう

できない生徒には冷たくして、できる生徒に優しくするというのは言い過ぎかもしれません

しかし「プライベートを潰してまで、効果が出ないのに成績の悪い生徒のために時間を使うの、、、」と考えてしまいます

伸びない子は伸びないという現実や、ノルマからそうなってしまっているのです
決して、悪気があるわけでも、生徒のことが嫌いな訳でもありません

ただ、経験と立場からそのような接し方になってしまっているだけなのです

気づけば新人時代に憤りを感じていたやる気のないベテラン講師と同じようになってしまっているのは皮肉なことです。

※ベテランでも指導に熱意があり素晴らしい先生は沢山いらっしゃいます。あくまで一部にこのような先生もいるという話です。
どんな生徒であっても教育者として真剣に向き合わなければいけないと強く思います。

・カリスマ講師は存在するのか

伸びしろに限界があると書きましたが、以下のような意見もあるでしょう。

「カリスマ講師に習って成績が伸びた例だってあるじゃないか!」
「本当に指導力があればどんな生徒の成績だって伸ばせるだろ!」

本当にそうでしょうか?


例えば、ビリギャルで有名になった坪田先生はどうでしょうか?

カリスマ塾講師と落ちこぼれ生徒が逆転合格を果たすストーリーですが、あれは完全なるマーケティングです

公立中学出身で、勉強の素養がない生徒を1年で慶應に受からせたのなら本当に凄いことです

ビリギャルの出身校は愛知淑徳学園高校ですが、愛知の有名な進学校です
元々、中学受験で愛知県のトップクラスの学校に受かるほどのポテンシャルを持った生徒を受からせたのだとしたら、見え方は変わりませんか?

あのストーリーは
「地頭の良い生徒なら、ちょっと必死に勉強すれば慶應くらい受かるよ」
という身も蓋もないストーリーとも捉えられます

少なくとも「誰でもどこにでも受かる」というように思えてしまう見せ方は、少しやり過ぎだと思います

中学受験業界にも「御三家中学〇年連続合格!カリスマ講師〇〇先生!」のような方がいますが、もともと偏差値の高い生徒だけを選別して受け持てば簡単に達成することができます

本当にカリスマで指導力に自信があるのであれば、毎年偏差値の推移を公表して欲しいです
しかし、合格実績ばかりが強調され、そのような先生は少ないです

何が言いたかったというと、誰でもどこにでも受かるというのは塾業界の嘘で、伸びしろに限界はあるということです

・認知機能の限界は伸びしろの限界

私も新人講師の頃は、いわゆる熱血に近い講師でした

家庭学習のチェックや、声かけ、学習アドバイスなど自分の時間を削ってでも行いました。教材研究などの授業準備にも時間を惜しみません
塾の仕事が終わった後は、深夜の公園で模擬授業をして、録音してひたすらそれを聞き直していました

それで成績が伸びた生徒も大勢います
新人時代の経験は自分が指導する上で大きな財産になっています

本当にやって良かったと思っています

新人講師の頃は「受験勉強レベルでは才能なんて関係ない!頑張ればどんな学校にも受かる!」そう思い熱心に指導していました。

ただ、どれだけ一生懸命指導しようと、そこまで伸びない生徒もいました

私には不思議で仕方ありませんでしたが、気づきました

塾講師は伸びしろまでその子を伸ばすことはできますが、その子の伸びしろ自体は変えられません
伸びしろが10ある子がいたら、10までは伸ばすことができます
しかし、そもそもの伸びしろが20や30ある子には勝てません

それが今の集団塾の限界です

「努力でどうにでもなるんだ!頭の良さなんて入試レベルでは関係ない」
と豪語する塾講師の方を稀に見かけますが嘘です

経験が浅く勘違いをしているのか、マーケティングのために言っているとしか思えません(私も最初はそう思っていましたが、、、)

スポーツ・芸術・数学など様々な分野で才能があるのは明白なのに(どれだけ練習しようと、私たちは100Ⅿ10秒で走れないですよね)
勉強にのみ、それがないというのは暴論でしょう

では、伸びしろとは何なのでしょうか?

「中学受験においては」認知機能の発達だと私は考えています

さて、子どもの認知機能の発達について2つの例を通じて考えてみましょう

※発達心理学のnoteではないので、かなり簡単に述べています。そのため、専門家の方からすると疑問に思う部分もあるかと思いますが、ご容赦ください

就学後に獲得する認知機能に「保存の概念」と「形式的演繹」があります

・「保存の概念」

これは7~11歳までに獲得する概念とされています

それぞれが同じ容積の、底の面積の小さい細長いグラスと、底の面積の大きい太いグラスを用意します
メスシリンダーとビーカーをイメージすると分かりやすいです

細長いグラスから太いグラスへと水を移し替えた場合、水の量はどうなりますか?

当然、グラスの形が変わっただけなので変わりません
我々大人であれば、移し戻すことができるのだから、同じ量だろうと簡単に答えを出すことができます

未就学児(前操作期)では、奥行きに目がいかず、背が低くなった部分にのみ注目し「量が減った!」と答えます
逆もまた然りで、背の低い容器から背の高い容器に移すと「量が増えた!」と答えます

・「形式的演繹」

これは11歳以降に獲得する概念とされています

水を半分ほど入れたビーカーを用意します
その中に丸めた粘土を入れます
水面が上がるので、その部分に印をつけます
粘土を取り出します(当然、水面は下がります)

さて、丸い粘土を平べったくして、ビーカーの中に再度投入したらどうなるでしょうか?

私たち大人からすれば簡単で「最初の印の位置まで水位は上がる」ということになります
しかし、粘土が平べったくなったことに目が行き、水位は下がると答えるお子さんも多いです

「印の位置まで水位が上がる」と結論を出すためには「水の量が保存されている・粘土の量も保存されている、だから同じ推移になるはずだ!」と推測すること(形式的演繹)が求められます。

また11歳以降から、抽象的な物事や仮説についても十分な思考が可能になります

塾のカリキュラムでも11歳(小学5年生)以降から、抽象的な概念や形式的演繹を求めるような問題が増え始めます


〇~〇歳、〇歳以降に獲得すると書いたように、認知機能の発達というのは個人差があります

以下は有名な「ケーキの切れない非行少年たち」の表紙です。

最初は表紙とタイトルだけを見て、欲張りで自分の取り分が多くなるように右側を3等分しているのだと思っていました

しかし、読んでみると、真剣に3等分しようと試みて、上図のように3等分していると知り本当に驚きました。しかも、ケーキを切った少年は特段発達に問題があるとは認識されていませんでした

中学生になってもケーキを3等分できないお子さんもいます
一方、早熟なお子さんであれば、早くから「保存の概念」や「形式的演繹」を獲得します

知的障害とされていない人の中でも、認知機能の発達の差はこれだけ大きいのです


中学受験においては「形式的演繹」(論理的思考力)や抽象の概念を運用することが必須です

認知機能が十分な発達段階に達していない中で理解・運用することは可能なのでしょうか?

もちろん講師が説明すれば「一定の理解」は可能でしょう
しかし、御三家のような難関中学では非常に高いレベルで論理的思考力や抽象化力が求められており、一定の発達段階に達していなければ戦うのは難しいです

「どこでも受かりますよ!」と夢を見せることは簡単ですが、伸びしろに限界はあると知っておくべきでしょう

・最後に

同じテキストを使い、同じ先生に指導を受けているのに
「なぜ自分の子だけ成績が伸びない?」
こんな風に悩む親御さんは多いのではないでしょうか

ついつい、お子さんの努力不足のせいにしてしまいがちです

私自身も生徒のせいにしてはならないと思いつつも
「なんでこれだけ言っているのに覚えてくれないんだろう、、、」
と思ってしまうこともあります
「厳しく言い過ぎてしまった、、、」と後悔することもあります

人間的にまだまだ未熟だと痛感します

私たちだって、国語算数理科社会を置き換えてみて
一週間でヤコブソンの言語の多機能性と、ε-δ論法と、電子軌道と、ブルデューの社会階層論を学ぶとなったらどうでしょうか?

できる人はできるかもしれませんが、無理な人はどれだけ頑張っても無理ですよね

程度は違えど、小学生に同じようなレベルのことを毎週強いているのです
無理な人には無理です

認めたくないことですが
成績には一定の限界があることを認めましょう

そのうえで中学受験に臨んでください

某大手中学受験塾で講師をしていた際、身の丈に合わない授業を受けている生徒を見るのが辛くて仕方なかったです

中学受験という発達度合いによって大きく左右される勝負に、臨むのはもう少し慎重になった方が良いと思います
また「みんなが通っているから〇塾へ」と決める方を散見しますが、レベルの高い中学受験塾に通うのであれば特に慎重になって欲しいです

課金してどうにかなるにも、限度があります

向いていないなら向いていないなりに、身の丈に合った受験をしましょう

子どもに幸せになって欲しいと思って始めた中学受験のはずなのに
そのせいで辛い思いをしてしまっては本末転倒です

無理に中学受験戦争に放り込んで子どもが傷つくことだけは、あってはなりません

あの河野玄斗だって開成に落ちています
中学受験で成功したから、必ず東大に行けるわけでもありません

誰が悪いわけでもありません
ただの発達段階が遅いか早いかの話です

少しでも多くのお子さんが中学受験を通じて幸せになることを願っています

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