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題名 「自他の境界」

曖昧な境界線が存在する。
踏み出してはいけない世界に
自分と言う魔物が弧を描き
留まる心に後押しながら
追い討ちをかけていく。
隙間や空間を狙い
冷たき風が流れ込む。
ぽつんと淋しげに浮かぶ
やるせない
揺れ幅に戸惑う心は
自分を越えようと
他へしがみつき
そこから離れられなくなる。
発する言葉は
自身を掻き消すように
水面下は荒波を打つ。
歯車を狂わす禁断の場所は
越えてはならぬ領域。
そこへ立つ時
自他をゆっくりと見つめるように
受容の意を示していく。

           紗羅

自分が大切にしている思いです。

交わり、絡み合う線よりも
平行に、真っ直ぐ延びていく線
そんな関係を望んでいます。

自分に近い人であっても
遠い人であっても
そして自分自身のことも

客観的に見れるようでいたいし
親しき中にも礼儀あり
そのような思いを持ちながら

踏み入れたり
求めたりする
依存や馴れ合いではなく

切磋琢磨しながら
留まらないように先を目指していく

そうありたいと思っています。

少し合理的で
冷静すぎるのかもしれない。

そう考えたこともあったけど…

人の感情は
ちょっとしたことで変わるし

一人になりたいと思いながら
誰かと居たいと思ったり

昨日と今日で
真逆なことを言ったりもする。

しかも
それに気がつかない結末もあるように

正反対に入れ替わる生き物。

「自他共に一歩引いた目で
見るくらいがちょうど良い」

辿り着いた答えです。

境界線に踏み入れ
何かを言っても

その人は変わらないし
自分も変わらない。

自分の世界があるように
皆んなに世界は存在する。

人が皆違うなら
根本的には「共感」や「同意」
その言葉は存在しない。

その思いが活かされるとすれば

「自分と他人の受容」

他人の畑を荒らしに行かないし
自分の畑が荒れることもない。

曇りガラスのような
フィルターもかからず
ちゃんと視界は広がっていく。

自分はいろんな人達と
共存しながら生きている。

境界線はそのままで良い。

一人の自分は狭い中にいるけど
世の中はたくさんの人が溢れ果てしない。

それを心から受け入れる。

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