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【親と介護と私】病気の母は、私に「私の未来」を考える機会をくれている

朝早くに電話が鳴り、寝ぼけて出ると母からだった。

弱々しい声で「腰が痛くて立てない、辛くてたまらない。病院に連れて行って欲しい、頼みます」と。

実は前日の夜は寝付けず、朝の4時くらいにやっと寝たので、朝早くの電話は頭が回らなかったけど、なんとも辛そうな声なので、「わかった」と慌てて支度をして行くと、

あんなに死にそうな弱々しい声で電話してきた「立てない」と言っていた母は、ちゃんと立っていた(笑)

よかった、さすがに50代で80代の歩けない母を車に乗せるのは無理なので。
本当に立てない、歩けないなら救急車を呼ぶしかないと思っていたから、なんとか母を車に乗せて病院に連れて行けた。


これはうちの母だからなんだろうか、病気が余計にそうさせているのかもしれないが、とにかく病気になってからいちいち「大げさ」だなと思う。

死にそうな声で「立てない」と言うから行ったら、立ってるし。
痛いのも辛いのも理解できるけど(この前自分が入院して身に染みたので…)、なにか動作をするたびに「あぁ、痛い、痛い、痛い」と口に出す。

座ってるだけでも、ハァ~とため息をつく。それも息をするように。

そのうち自分の状況にいら立ち、「あぁもう!!こんなんだったら死んでしまいたい!」と叫ぶ(本当に叫ぶのでびっくりする)。


辛いだろうな、と思うものの、あまりに頻繁だと一緒にいる私も、正直しんどいと思う。

でも、そんな母を見ていて思うのは
「いつか私も通る道」
ということ。

今、まさに「老いて病気になるということは、こうなるのだ」ということを母に見せてもらっている。

とは言え、同じ80代でもきれいにお化粧をしておしゃれをして、元気に毎日動いている人もいるんだから、私の80代はそうありたい。

ぶっちゃけ正直なところ、母のような80代にはなりたくないと思う。

ということは、母のような生き方(選択)を極力しないようにしたらいいのではないか?なんてことを思ったりもする。


そういえば、うちの娘が言っていた。

「お母さんは欲があるから大丈夫。あそこに行きたい、あれ食べたい、あれ欲しいって言ってるもん(笑)」

そう言われてみれば、確かにうちの母は
「出かけるのは面倒、旅行も面倒。外食は好きじゃない。欲しいものも別にない」
という人だ。


そうか。「欲」だ、「欲」。
私はいつまでも欲をなくさず生きていこう。

これも母が病気になって、色々な姿を見せてくれるから考えること。
ありがたいと思って、多少の「痛い、痛い、痛い」は右から左で流しつつ聞いてあげようと思う。
(でもため息は本当に勘弁してほしいけど)

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