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矢沢永吉と小川淳也。

小豆島町で「なぜ君は総理大臣になれないのか」の上映会があったので行ってきました。高松のイオンで既に観ていたので2回目でした。

若かりし頃の矢沢永吉は「俺、50までロックやるから」と言ってました。それは明確に目指したというよりも、自分にハッパかけるというか希望的な意味合いだったと思うんですが、逆にそこまでやるともどこかで現実的には思えてなかったように思います。しかし70歳を過ぎた今、ご存じの通りバリバリです(笑)。

この矢沢永吉と、小川淳也。
僕の中ではなんとなくダブるんですよ(笑)。

その要素は何かなと考えてみると、

・純粋
・人にやさしい
・自分に負けない人間力

そんなとこかなと。考えたら僕が好きな人はみんなそんな人なんですが。

で、小川淳也。

僕と同じ年齢なので49歳。昔は50歳で政界引退と言ってました。あ、今日の上映会はこの映画の大島新監督と、小川淳也本人もいて、上映後に質疑なんかがあったりしたのですが、お客さんからの質問で、50歳引退は撤回してください、みたいな話もまさに出てましたけどホントにそうなんですけど、その前に、じゃあなぜ、50歳まではやるって言ってた永ちゃんは、50過ぎてもやってるのか、ってことがわからないとやろうって感じにならないですよね。

あくまでここからは僕の考えなんですが、簡単に言うと、実は50歳からが本番なんじゃないのかなと。50歳までに人は一通り見てくるんだと思うんですよ、いろんな事を。で、50歳になった時には、自分は何が好きで、何が嫌いで、ってことが明確になってる。そこからはもう迷いもなく、それまでと例えやってることは同じことでも、やる理由が「自分が好きだからやる」ってことに変容していくんじゃないかと。自分の為に政治やって良いし、好きだから政治やるってことで良いし、逆にそれじゃなきゃ、そこからは誤魔化せないし、走れないと言うかね。私利私欲っていうのとは違う、自分の魂が喜ぶ道って言うのかな、ある種我がままにやりたいようにやれるのが、実は50歳からなのかなと。

 で、政治家の70歳過ぎはあんまりパッとしないけど、永ちゃんはカッコいいじゃないですか。生まれ持った容姿じゃなく、滲み出てるものが。それって、好きでやってるやつじゃないと出せないカッコ良さなんじゃないかなーと。だから、そんな感じで70代だけどカッコ良い政治家でいてほしいと思いますね。

選挙だとか、政治とか、その辺は僕は案外二の次で、もちろん小川淳也の政策には賛成だしあんまし異論もないですが、それよりも単にこの人がおもしろいなと思うので、これからも応援はしていきたいと思います。永ちゃんのライブに行く感覚で(笑)。

 あと、ふと思ったけど、人の役割って、自分が思ってもみないところで果たすってことも多いわけで、小川淳也って人は既に、「小川淳也」としての役割を果たしてるんじゃないかなーと。どんな役割かっていうと、人に希望を与える、政治家の中にもまともなやついるんだな、って思えることでちょっと人の心に火が灯るというか。活力を与えるって言うんですかね。小川淳也のお母さんも映画の中でそんなような事言ってたけどw

今の総理大臣、名前知らない人、または読めない人、多いんじゃないですかね?現職の総理大臣よりも映画になった「小川淳也」の方が一般の人の心に火を灯すという意味では影響力はむちゃくちゃあるわけじゃないですか。

 永ちゃんも曲とか歌で評価されたいでしょうけど、それ以上に永ちゃんを有名にしたのは、やっぱり矢沢語録なんだと思うんですよね。思いもしなかった「ベシャリ」で役割果たしてるw

 小川淳也のキレッキレの国会での質疑とか、やっぱり見てて痛快です。
 
それこそ矢沢永吉が総理大臣やった方が、とか、北野武が総理大臣やった方が、とか、思ったりしたこともあるけど、現実はそうならないじゃないですか。でも、政界には小川淳也がいるんですよ。

そう思えるだけで少し希望がありますよね。
 
・・・と、同時に自分も頑張ろうと。
そんな風に思わせてくれる政治家いないですからね(笑)。

大島新監督、よく映画にしてくれました。そんで絶妙のタイミングでの公開。ありがとうございました。そして続編も楽しみです。

 

 


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