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バチが当たるという考え

やほーこんにちは。
最近、食中毒にあって胃痛と熱で寝込んでいた。この季節のお弁当は本当に怖い!!

私には具合が悪かったり、悪いことが起きると考えがちなことがある。「バチが当たったんだ」という考え。
これ、嫌いだ。私はクリスチャンだし、誰かに悪いことが起こった時にそう思うことがないのに、自分の身に何かが降りかかると、このような考えが沸き起こってくる。それもすごい想像力で色々な事柄を思い出し、バチだ!と思うのだ。

いつかものすごい大病を患った時に、この考え方の癖に陥るとかなり厄介になるのではないかと恐れている。
だし、災害や社会の中で弱くされた人たちについて、神の制裁だ、バチだなどという人々がいるが、このような考えとは常々闘いたいと思っているので、まずは自分を責めないところから始めたいと思う。

ちなみに今回の食あたりでは、この食あたりは不摂生が祟ったんだ、仕事がうまくいかないのはこれまでへらへら働いてたからだ、あのような人と出会ったのは真面目に働かなかったからだなど、ぽんぽんと出てきた。困ったもんだ。

ということでバチ当たりということについて考えてみる。

2020年の読売新聞世論調査によると、日本の人の7割は「バチが当たる」を信じているらしい。
この割合は昔よりも増えているらしくて、若者の社会への不満の表れゆえとも言えるようだ。

社会への不公平感からこのように思ってしまうのも、無理もないかなと思う。だけど、この考えの奥には他者への処罰欲求もあるようで、バチがあたれ!という言葉は恐ろしいなと感じる。

元々のバチが当たるの意味は、仏教の仏の教えに背いた人に起きるということらしい。えんま様のいる地獄に落ちるとか、子どもの頃よく聞いたっけかしら。元々は宗教的意味だが、この言葉における宗教性は薄れてきているという。

あるお坊さんがこんなことを仰っている。

私たちの「生き方」と「与えられた事」は異質なのです。このことがわからないと、少しでも自分の価値観の合わないことを見つけ、「バチ」と言う言葉で脅し脅されることになります。

(https://fukushi.kyoto-np.co.jp/column/dan/dan200616.html)

そうだ、人生に起きうることの一つ一ひとつは超異質なんだ!!!!!異質、かっこいいじゃないか。それを引き受けて生きていきたいものだ。


私はクリスチャンなので、聖書の世界観にも少し触れておく。

何千年も前の聖書の時代も、このバチに似た考えがある。障がいなどがあることはその家族の犯した罪によるという考えや、神の呪いみたいな話が出てくる。こういう考えに抗ったのがイエス・キリストなわけだ。かっこよすぎか。(軽)聖書の言葉にこういうのがある。

キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。『木にかけられた者は皆呪われている』と書いてあるからです

(新約聖書 ガラテヤ信徒への手紙3:13)

キリストは全ての人の代わりとして、神の呪い、罰を受けたと。
神は災害や戦争で人を裁かない。これを強く信じようと思う。
ちなみにある牧師さん曰く、悪いことを行なった人に神が行うのは、自分に立ち返りなさいという呼びかけらしい。なんか心がほっかりとしてくる。

こちら、そのYMCA関係の牧師さんのブログ。今回の罰当たりについて考えているときにすごく助けられた。 (https://bokushiblog.hatenablog.com/entry/2018/07/11)

ということで、 何か悪いことが起きた時、社会の中で弱くされている人がこれはバチだなと思ってしまい、もっと弱められる状況、そういうものと闘っていきたいと思う!いつか、それはバチじゃなくて、むしろあなたは愛されていますと伝えられる人間になりたいものなり。

長くなってしまった。
ばいばーい。


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