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20211009

瞑想、ストレッチ、呼吸。
植物たちを感じる。エキナセア‘ふみ’(わたしは、植物に愛称をつけてかかわっています。)は、葉がシワシワして、元氣がない。しかし、新たな葉っぱは顔を出している。パラダイス酵母を吹きかけて、陽がほどほどに当たるところへ移動する。芽が出てシワシワになった新生姜は「もうそんだけ伸びてるし土に還る!?そうする?」と植えてみる。
蒔いた種からは双葉が出てきた。
トゥルシーは、種をとったのでまた、来年種まきしようね。葉っぱはまだまだ繁っている。かぼちゃサラダに、クリームチーズを和えて、りんご、トゥルシー、バジルの葉をちらしたら、なんだかもう、酸味と甘味と香りがほわほわ〜っ相まって、握手してハイタッチしてはりました。よかったねぇ♨

もう幾年も右側で食べ物を噛み噛みしていない。なぜなら、治療中のまま、そっと見て見ぬ振りをしていたから。さすがに、もう辛抱切れて、治療を再開することに決めた。なので、口内環境を整えている。食後、歯間ブラシと歯磨きを直ちにしている。(一日2食なので2回)整ったら、型取りして、銀歯にする。保険の使える治療だと、神経を抜かれてセラミック樹脂または、差し歯で治療するところを、保険をかけず神経を抜かず、治療してもらう。腹を決めるのに時間を要した。時間というのは、実に尊い。




ぶーん

蜜蜂さん、再々訪問でありました。
また窓のあたりを飛んでらして、「また来てくれたの!ありがとう。お空はあっちだよー」なんて声掛けたりして。大空へ羽ばたいていかれました。
会えるの、うれしい。何だろ、なんでもいいや、愛らしい。

足が痒くなるのも、昨日身体中が湿疹になったのも、何をどうするにも、意味も理由もない。
いろんな世界があることを知って、闇も光も同時に感じるし、同時にあって。正義、正論だとか、あるんかしら。ただ、それぞれがそれぞれに、世界を生きている。世界は人の数だけあるんかいね。
結局、何を知っても、いかなる状況であっても「自分は、今、この瞬間どう生きたいのか」ただ、それだけ。明快で、シンプル。

きをつけたいのは、きもちよさ、心地よさのベクトルは、どうなってはりますか?と、今、自分に問うときやな、と。
無意識なところで感じる苛立ち、怒り、悲しみ、フラストレーション、他人軸など→爆音ロックで晴らす、甘い物で晴らす、ヘヴィーなライフヒストリーまたは憧れるライフヒストリーに触れるなど。身体に信号が出る→自愛する。そのきもちよさ、心地よさ、ちょっと癖になってないか、と。ほんでそれ、もう遊びになってないかって。いやぁ、癖になる心地よさや、きもちよさも、あるんやなぁと、きづきました。
方向、大きさは、意志から行動へGo!耳を傾けよう。
きづきは、自己ヒーリングやなぁ。
面白いですね、人間って。

森の暮らしが、静けさで心を満たしていることにふと、きづくことも増えました。みたことない虫は多いし、朝晩寒暖差激しいし、植物植えても共に生きる生き物たちと分け合いっこやし。わたしとしては、新しい環境、場所、暮らしに慣れるのにこれまた時間はかかったけれど。
街と森、どちらも面白い。
ただ、あることの、かけがえのなさ、豊かさ、ありがたさが、じわりじわりと沁みてきて、愛おしく感じる。 

いやぁ、生きるって、面白い⚪





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