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あうんとあわん

あうんの呼吸というものがある。
文字通り、息の合う人や相性のいい
人との関係性を説明するときによく言う。
イエローハットの鍵山秀三郎さんは著書
の中で、あうんの呼吸というものがあります
けれど、それの反対はあわんの呼吸ですね。
とユーモラスに語っておられたが言い得て妙
とはこのことだろう。というのも最近、
叔父と会う機会があった。弁が立つ
人だ。けれどモーニングで
外食していると、横でワイン
一本飲むアルコール中毒者である。
議論好きで、
相手の急所を突くのが
生きがいのようなところがある。
僕は少々にがてなタイプであった。


けど、生きていると
自分の好みではない人とも付き合う
必要もしばしば生じる。それが
世の常、そのとき、合わん人
が目の前にいると、ああ、鍵山さんが
おっしゃられていたあ・わんの呼吸が
やって来たと思わせられる。いや、今は
書いてるから思い出してるだけで、その時は
そんな余裕はないか、、。しかしその時は
できる限り、相手の話を聞こうとするのでは
なく相手の呼吸に合わせるようにしている。
話なんか耳に入ってこないからだ。
相手の話が確信を突くモノならなおさら、
感情が煮えたぎり、このやろうと思うのが
人情というのものだ。

その時、大事なのはその感情を捉えることだ。
感情を押し殺すということはナンセンスだと
思う。むしろその感情を捉え、どのポイントで
その感情が生じたのか、と自問していると、
以外と相手の言うことも一理あるかもな、
とある種感情という「象🐘」がおちついた
時にふと冷静になれることもあるものだ。
なかなか以前はそのようなことすらも思えず
その叔父と会うことすら長年避けていたのだが
まあ、僕もいくぶんなりとも年季を積むことが
出来ている、途上なのだろう。


嫌だなあと思った人が目の前に現れた時
それはある種、その人と向き合う、
というより、自分と向き合う
チャンスなのかもなとも思う。
そういう時にジョークのひとつでも
返せれば上の上だが、まだまだ・・
ただひとつ思うこと。それは
耳が痛いことはたいてい真実(事実)
である場合が多いということだ。
ダンボの耳じゃ、何も入って
来ないですもんね。

さてさて、、
『向き合う』はシンプルですが
むつかしい。


✳︎感情と心の象については竹林正樹さんが
TEDでいい講演を行なっておられる。
とても感動するスピーチだ。
機会がありましたらぜひ。

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