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国連キャリアがやっぱり厳しいと思った話

サルタックゆるふわブログへ今日もようこそ!イトウネシア杏子です。

私は現在、ユニセフインドネシア事務所の教育チームでJPO3年目の任期を終えようとしているところです。4年目の延長の話も最後まであったのですが(これだけでも別記事書けます苦笑)、結論オフィスの資金不足で叶わず、現時点他国連正規ポストも見つかっていない状況です。

この3年間、得られた学びも多く、今後のキャリアに繋がる経験を得られたことは事実ですが、正直に言うと、やはり国連でキャリアを築いていくのは容易ではないことを痛感したことは事実です。この状況は勿論今に始まったことでは無くとも、今回はあくまで私の個人的な体験、視点から感じた無理ゲー感をお伝えしようと思いました。

難その1 求められる資質、経験が高すぎる問題

まずは圧倒的な語学力。英語はネイティブに近いレベルが普通、そんなネイティブレベルの英語も十分では無く、他国連用語など複数言語が出来て当然の世界。特に、畠山理事の過去記事にもある通り、教育分野における仏語の重要性は極めて高いです。

更に、単に語学が出来るだけではなく、それを使ってガンガン話す、主張する、欧米的な積極的な姿勢が常に求められます。日本でも特徴的な相手の話をまずはしっかり聞いた後に、話すのでは遅いことは多々あります(アジア圏では逆にその文化も重要なので、ナショナルなどと仲良くするにはダブルスタンダード的なところはありますが)。パブリックスピーキングが評価される傾向があるので、弁が立ち、全く実の仕事をやっていない!なんて職員を見かけるのも常です。日本的に実直に仕事をしていても、結果や昇進に中々繋がりにくい文化です。国連機関におけるリーダーシップも従来の外交的なタイプから、内向的でobservantなタイプが今後評価される方向性の様ですが、実際にそこに辿り着くまでは遠く感じます。

職員の職務経験に関して、バックグラウンドは様々であるものの、ユニセフや国連勤務経験が既にある程度ある人が多く、一般的なToRに書かれている要件は遥かに越えている人たちばかりな印象です。日本のJPOはP2ポストに配属されますが、実質P2ポストは現在ほぼ皆無で、目指すべきはP3レベルとなりますが、例えば私のチームのP3ポストには500以上の応募があったり、現在その選ばれしポストにいるのは元自国の教育省の国家公務員で、ユニセフナショナルスタッフとして自国で経験を積んできたもうリタイアも近い超ベテラン選手。果たして、こんなギャップにどうやって戦えば良いのか分かりません。勿論、インドネシア含めた東南アジアは他地域と比較して人気がある且つインターナショナルのポストの公募が非常に少ないため、特に競争が激しいのですが。。そんな経験豊富な他候補者と年々減っているインターナショナルのポスト獲得競争が繰り広げられています。特に、P3などエントリーレベルに入るのが最も難関と言われています(その後はローテーションで組織に守られることも多いため)。専門性も勿論重要で、問われますが、やはり同機関内や国連などパブリックセクターでの特有の知識や経験を求められている場合が多いと感じます。

また、他機関は分かりませんが、世界180以上の事務所を持っているユニセフでは一つの地域に長くいるより、様々な地域や事務所(国、地域、本部)での経験があった方が高く評価される印象です。そのため、職員やその家族のモビリティーが問われます。。

上記に加えて、勤勉&ワーカホリックな人が多く、不断の努力が求められます。ラーニングなどは勿論良い面だとは思いますが、ワーカホリックな点は時代の流れに反している感もありますし、個人やその家族のことを考えるとあまり良いとは思えません。バランスを自分で取れる人なら良いですが、多くの職員がそのバランスに苦しみ、メンタルをやられている人も実際少なくないです。インドネシアでもこの状況なので、緊急性が高い地域に行った場合、その状況は容易に想像出来ます、、また上に行けば行くほど、激務と重責にかられている印象です。更には、激務に加えて、勿論積極的なネットワーキング姿勢も求められます。中にも外にも自分を常にアピールする姿勢、労力が問われます。もう、本当にエネルギーお化けです。

難その2 構造的、組織的問題

上述の通り、まずは応募出来るポストが限られていることが最大の難点かと思いますが、これには様々な背景が影響しています、例えば、ナショナルスタッフの割合が増え、インターナショナルの割合が減っていること(これ自体は良い面も多い)、所謂正規ポスト(Fixed term)を削り、短期契約(Temporary Assignment)やコンサルなどの契約の増加など。また、プログラム国(援助を受けてきた国)出身の職員を増やすポリシーもあります。

また地域の影響も大きく、一般的に緊急性の高い地域やプログラムに資金が行き、開発教育などの分野は厳しい状況が続いています。ここ数年はそれでも、コロナで一時的にもらえていた資金もありましたが、今年からはほぼ打ち切り。インドネシアなど上位中所得国に入り、今後ますます資金獲得が困難になる可能性があります。実際、今年の教育プログラムへの予算だけでも昨年の半分以下の規模になっています。

そもそも上記全て組織全体の資金不足に起因するものですが、資金使途が広い通常予算なども減るどころか完全にカットされたり、相当に厳しいです。また、開発課題も多様化&複雑化していて、従来の資金提供の流れが変わっていると感じます。先進国も自国の経済成長が鈍化し、対応しなければいけない国内課題も増え、コストが増え続ける中、ODA資金の提供が厳しくなっています。更には、インドネシアなどの大国は政府や民間企業の力も強く、国連機関の立場(財力)が他途上国と比較して小さかったり(世銀などは別だと思いますが)、そもそも国際協力のプレイヤーや構図に変化が生じています。

ここまで全て何が言いたいのかと言うと、圧倒的に私の様な、先進国出身、語学最低限の(英語、中国語ほんのかすりレベル、インドネシア語)、国連経験ジュニアレベル(年齢はそれなり笑)、小さい子どもと民間畑の夫(専業主夫は検討外)のことを考えると、応募条件を満たさない又は足りない、またはそもそも応募出来る(したい)と思えるポストも少ない状況です。特に一番大きなポイントは地理的な要素です。まずは家族同伴可能な地域(緊急地域ではない)、英語圏となりますが、この時点で恐らく可能性は半減以下。更に、これまでの自分の職務経験や家族を考慮すると東南アジアがベストですが、そんな贅沢思考はほぼ通用しません。

難その3 内面的問題

上記の様な環境で働き、自分のキャリアや家庭を含めた暮らしを考えた時、沢山の疑問や違和感を感じました。

何と言っても不確実性が高すぎるキャリア。翌年のこと、むしろ数ヶ月先のことが分からないことが当然です。いつまでここにいられるのか、次は何処に行くのか、そもそも仕事があるのか。先のことが自分も誰も分からないので、家族内の計画も立てられず、常にその場その場の後手後手対応笑 夫のキャリア、家族の形態(家族一緒にいられるのか、いられない選択を取る場合どうするか)、息子の成長に合わせた環境作り(ベッド、おもちゃや生活用品など激しくニーズが変わっていく)、第二子が欲しい場合どうするかの家族計画まで、場所やタイムラインが分からない状態で何一つ計画が立てられません。勿論これは国連に限った話ではないものの、例えば、少なくとも私が経験してきた民間企業やNGOと比較しても、キャリアに置ける安定感、また自己決定レベルが極めて低く、運や状況など外部的要因が大きく影響すると感じています。例えば、私が勤めていた民間企業やNGOと比較しても、まずは根底に安定した契約形態(基本永年雇用)があり、その上で自分の希望や関心がある部署、事務所、地域などを考慮して、マネジメントと協議の上、自分のキャリアをそれなりに構築してくることが出来たため、自分で舵を取る感覚は強かったです。

また仕事自体も、やり甲斐を感じにくく(自分でなくても良いのでは)、どれほど実際に社会に貢献出来ているのかと疑問にと思う瞬間が結構ありました。組織の性質上仕方ないものの、やはり官僚主義であり、膨大な資料作成、いつまでも出来ないナレッジマネジメント、各部署やマネジメントからのなが〜い合意/承認プロセス、極めて非効率なアドミンプロセスなどなど枚挙に暇がありません。アクションしかない外資系IT企業出身からすると、極めて対照的な仕事の仕方でした。またその全てを必死にこなしたところで、自分が社会に結局のところどれだけ貢献出来ているのか、、私にはまだ3年間という経験の中では感じにくいものがありました。

更には、そもそも自分は組織に属する働き方自体が合っているのか、自分が求めているものなのかも疑問に思ってきました。組織側に効率的な週5定時勤務から始まり、組織内の意思決定はトップダウン。全ては上次第です。裁量権の大小は組織やポジションによって差がありますが、何れの場合もそれなりのポジションに就かないと(特に国連では)、自己決定出来ることが少ない様に感じます。また、常に他人との競争、上を目指し続け、パフォーマンスを出し続け、果てしない自己能力強化を続け、上へ上、もっと、もっと、、と終わらないレースを走り続けている感覚にも襲われます。常に付きまとう先への不安。将来のために、今を犠牲にしてエネルギーや時間を投資し続け、、目の前の大事なものに気づけなくなったり、、実際に、上を見ても人生のバランスが上手く取れている人が少ない印象で、ロールモデルが中々見つかりづらいと感じました。

また、暮らし方そのものに関しても、一時的に他国に住み、また他地域へと転々としていく駐在という暮らし方が自分に合っているのか、またその都度大量のモノを処理し買い換えする行為も含めて環境に優しいのか、など疑問を持ち始めました。

そんな終わらない問いを波はあれど、この3年間悶々と感じながら過ごしてきました。

なので、今回の任期終了と共に、今後の人生をしっかりと歩むためにも一旦止まって考え、感じる期間を作りたいなと思っています。年齢的にも、アラフォーという節目に当たり、自分の心身状態や生活もどんどん変化する中で、人生を調整する良いタイミングかなと。勿論、一旦キャリアを失う様な恐さ(実際に失う訳ではないのですが)はありますが、今後の人生をより良いものにする絶好の機会だと思っています。

まとめ

ここまで、相当なネガディブな内容をつらつらと書いてきましたが、ユニセフや国連キャリア、また自分のJPO3年間を批判したい訳では全く無いです。むしろ、最高でした。最高の上司、同僚に恵まれ、家族やナニーさんにも助けられ、インドネシアに魅了され続け、本当にこの国も人も大好きになりました。仕事も大変なことが特に最初の一年、また産後は多かったですが、3年目はむしろひたすら上昇してきて仕事も楽しい!と思える瞬間もありました笑 ただごく冷静に、客観的に考えてみるとあれ?と思うことも多く、その一面に今回はフォーカスして書きました。あくまで私の経験に基づいた感想であり、人によりそれは大きく変わると思います。ただ、こういった一面もあることも知っておくと、国連組織への過度な期待や幻想を抱きすぎず、現実的なキャリア形成が出来ると思います。

むしろ私も、この様な現実はあれど、今後も積極的に国連含めた国際キャリアを後世にお勧めしていこうと思っていますし、自分も縁があれば貢献出来ればと思っています。

今は任期終了に伴い、様々な感情がジェットコースター状態ですが、、何よりも悲しいのは、もうすぐ2歳になる息子とナニーさん二人との別れです。二人にも離れなきゃいけないことを伝えたら、ひどく悲しみ、休みの日も働いて息子と残りの時間を過ごしたい、とまで言ってくれました。まだ小さい息子はどこまで覚えているか分かりませんが、この幼少期に異国で、血の繋がっていない他人にこれほどに溢れる愛情で育てられたことは彼の生涯の財産になるだろうと勝手に強く信じています。

さて、残りのジャカルタ生活!やることが多過ぎて、恐怖ですが、がんばります、、

そして最後に、お知らせです!来週末10月22日にJICA地球ひろばで、また11月5日にはJICA関西で、ユニセフネパール事務所の教育チームより現地職員が来日して、日本語で!お話ししてくれる超貴重なイベントが開催されます。畠山理事との共同発表で、ユニセフや国連、教育分野(特に幼児教育)、ネパールに関心がある方など是非奮ってご参加ください〜

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