見出し画像

「人間関係をサボらない」日記|小野寺

合うとか合わないとか好きとか嫌いとか許せるとか許せないとかそんな単純な言葉で人間関係を語ることなんてできない。
先の見えない暗い川のような悲しみが目の前に横たわっていて、怒りの炎で焼けた喉から言葉がでない、胸に鉛を抱える夜だって、単純な言葉に甘えずに明日の朝飯のために米を炊く。

台所の包丁を持ち出して、感情のままにこの人を刺したら一体どうなるのだろう、とわざと考えてみて、そうじゃないよ、と思う時もある。
それは「この人なんかのために人生棒に振るのは嫌だわ」という選択をしたわけではなく、傷つけるなんて選択肢がハナからない。
ペースが狂うから正直苦手だと思っている人も、私を嫌ったり疎んだりしている人もいて、それでもその人たちを憎んだことはない。いいカッコしてるわけじゃなくて。「私とは違う人生の中で、どうか幸せに暮らして」と、言葉通りいつも心から祈っている。

うまくいく関係が大事なのではなくて、人間関係自体が尊いものだと思う。ウザいしダルいしメンドくさい、生気を抜かれてぐったりする、それでもやーめた、とはならない。パズルのようにハマればいいけれど、そんなおいしい関係そうそうない(あったら一等大事にしたいね)。生まれも育ちも違うあの子。単純な言葉で自分を締め付けているあの人。学びたいこと反面教師にしたいこと、相手への敬意は忘れずに、自分なりに話をするつもりでいる。

「私頑張ってますよ」みたいなダサいことが言いたいわけじゃない。諦めたら、関係なんてすぐに終わってしまう。食べたら、冷凍してあった3合分だってすぐになくなる。生活は続く。
「じゃあ私のことは誰が褒めてくれんのよ」と野蛮な幼さに屈しそうな瞬間も、私の29年のうちにはあった。
バカ。褒めません、誰も。人間、褒め言葉で腹は膨れません。褒められたっていらん欲がでるだけ。知って、見て、諦めないでいてもらわないと、空腹感で寂しい。これがよくない。これだけが、よくない。あなたのことは私が、知って、見て、諦めないでいるから、明日もそれぞれの生活を満たすために、思考の工夫をしましょうよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?