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「クサクサも愛」日記|小野寺

年々押し付けられることが無理になっていく。早く楽になりたい。そりゃそうだ、昭和の価値観と平成〜令和の価値観が一緒なはずない。向こうの譲歩ではこちらは足りない。輝きたい。考えたくない。親や家のせいにしたくない。すべきじゃない。誰のせいにもしたくない。私は私のせいで死にたい。ずっとかっこよくいたいだけなのに。もうずっとかっこよくないってわかってるから苦しい。
私はずっと一人で自分と戦っているので、その分世界を見れていない。これは私を小さく小さくしていくだけで、もっと世界を見たい。見れる体力が欲しい。苦しい。

というようなことを下書きに書くくらいに、先月のPMSは酷かった。ピルを飲んでも早寝しても食生活に気を使っても、毎月15日を過ぎれば強迫性に駆られてカッカぐちゃぐちゃげんなりしてしまう。これは女だから、と諦めてはいるつもりだけれど、だったら本当に男に生まれたかった。ガシガシ洗えるTシャツみたいな人間になりたかった。できないこととできることがある不条理さを、私はいまだに恨んでいる。


というようなことを、おそらく大人は、言わない。言っても仕方ないこと、悲しくなるから、立ち止まっちゃうから、言わない。いいなぁって言っても仕方ないじゃんね。だから代わりに言いました。あなたがもしかしたら「いちいち言わないだけだよ」って思ってること、恥ずかしげもなく言いました。
こういうことを考えていたクサクサした時間も、全部正しくて愛なので。忘れないように言いました。

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