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「賢くない人生の工夫ばっかり」日記|小野寺

つまんね〜書き出しで申し訳ないです。確定申告の書類をまとめ終わった!経理に強い友達に助けてもらったり、攻略本を読み読みチマチマ進め、なんとか去年よりも理解が深くなった。極めて低所得であるが、まぁいいだろう。

疲れた時には文字を書きたい。今も1日打ち込み作業やらなんやらをやっていて疲れた、さっさと風呂に入って横になりたい、でも本当は今日やれたら良かった書きたいことみたいなのが2つ3つあって、時間が足りている日なんてほとんどない。
とはいえ無駄に動画サイトに時間を溶かしたりもしてるので、カシコイ人生とは言い難い。

先日、父の実家である福島・相馬市に行った。父と二人、おばあちゃん、おじいちゃんにあたる方の墓参りに。おばあちゃんは会ったことがあるはずだがうんと小さい時なのでなんとなくの雰囲気しか覚えていなくて、おじいちゃんはまるきり知らない。

毎日スマートフォン越しに好きな世界の情報で心を満たす現代の私は、横浜を離れるたびに生きている感覚がするから、生活圏で毎日頭つんつるてんで生きてるんだなあと痛感する。都合のいい情報によるはげましで「自分は特別で原石で何者かである」みたいな気持ちになって、それで満足して尻を掻いて寝ている。

住まいを離れて顔をあげると、知らない街と人の生活があって、知らない悲しみとやるせなさ、怒りと喜びと豊かさが散らばっていて、なんともいえない気持ちになる。こう言う気持ちを「面白い」と表現するのは無責任。上述したとおり面白くないこともいろいろ感じとるので、遠出すると「知らない人生の味がして興味深い」。という気持ちになる。

こういう味を知る時、生きている感覚になる。体と心を目一杯使っている気になる。これからも体力があるうちにたくさん知らないものからショックを受けて、その中で鞣されたい。

ただ、最後に自戒のために書いておくが。遠くに行くことで知らない人生の味を知ることはまあ豊かなことだけれど、毎日の居場所でのーたりんな暮らしをしていることがそもそも問題なので、金や時間を使って物理的にしか成長できない人間のままで生きてるなよ。風呂の垢にも雲の形にも理由があって、寂しい時は寂しいでいいのに、何か気持ちよさそうなもので目を逸らして紛らわそうとしすぎる。賢くない人生の工夫で、自分をつまらなくしないでくれ。
と、他者視点で書いてみることで情けなさを軽減させる工夫をする人間だ、私は。もう寝る。

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