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「思ったことを言うな」日記|小野寺

「思ったことを言って何が悪いの」というスタンスの親のもとで、聞きたくない言葉を受け取ってきた学生時代だった。

私個人の考えとしては「思ったことをそのまま言うのは危険」である。何を危険に思っているのかというと、自分・関係者・それを見かけた他者それぞれすべてを傷つける恐れがあるので。私はできるだけ不要に傷つきたくないし、傷つけたくもない。それを危険なことだと思っている。

ペンは剣より強いことを、私もみんなもすぐに忘れる。言葉は柔軟に形を変え、剣より強い武器になり、盾より強い防具になる。剣の形をしたお守りにもなり、盾の形をした兵器にもなる。「かわいいね」「エロいね」「賢いね」「便利で助かる」「かっこいいね」「面白いね」「好き」「尊敬してます」。全て、伝え方と、相手との関係性次第なのである。(「推し」しかりね。自分の人生にいくら深く関わっていても赤の他人ですよ)

「思ったことを言って何が悪いの」などという人間は(一応書いておくが今更親を非難するつもりはない。母親には母親のスタンスと人生があるので)、自分の言葉の力を理解できていない。言葉が自分の想定以上に力を持っていて、それが一人歩きしてしまう可能性を、知らない。だからその先にいる生身の魂の感受性も、想像できない。

お世話になっているディレクターさんがいて、その方は私に一切、注意をしない。もちろん怒りもしないし、ネガティブな感情を1ミリも出さない。納品した文章に適切な赤は入るので、内心落胆なり、苛立ちなり、色々迷惑をかけているのだろうなと思うのだが。おくびにも出さず、いつもフィードバックの形でびっしりと赤字を入れてくれる(ありがたすぎる)。私はそのやり方が一番楽しくのびのび本気でやれる体質なので、「こんなにこちらの都合よくコントロールしてくださって本当にありがとうございます」といつも思う。しかし、その方は誰にでも穏やかな性格でもなくて、他者のコントロールを自覚的にやっていらっしゃるので、カメラマンやデザイナーには全く違う乱雑なやりとりをしていたりする。丁重に扱っていただいてる自覚はあるがおそらく特別扱いしているわけでも、反対に全く心を開いてくれていないわけでもない。時に漫画の話なんかもしてくださる。
「最適な伝え方で、最適な言葉で伝える」ことをやらざるを得ない状況なのでやっているだけ、と仰るが、とんでもない力である。大袈裟でなく、言葉を使う者としての模範的存在だと思う。

くどくど書いたが結論は、思ったことを思ったまま考えなしに口に出さない。自戒のために書きました。以上です。
伝え方を工夫したり言葉を言い換えたりするのは、けして本心を見せないということではない。私は言葉が好きで、件のディレクターのようになりたいので、もっときっちり頭と口と手をたくさん動かします。



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