ナポリ語と私


これはアドベントカレンダー「言語学な人々」25日目の記事です。

方言研究者のみなさんは地元の方言とどんな関係かな。

今日は少し地元の方言と私についてだらだら書きます。落ちは特にありませんが、みなさんが地元のことばについて考える機会になれるといいと思います。

読者に知らない人がいるかもしれないので、ちょっと自己紹介です。
私はイタリア人で、日本で方言研究をしています。国費留学生として来て、博士課程を出て、今大学で言語学を教えてます。

専門は沖縄語で、特に伊平屋島で話されている伊平屋方言について研究しています。ちょっと宣伝ですが、こんなものも運営しています → https://odjl.net/ 日琉諸語のオンライン辞書です。宣伝終了です、すみません。

私の地元はイタリア南部にあるナポリという町です。紀元前4世紀にギリシャ人によって作られた植民都市で、長い歴史を持つ街です。

みなさんオーソレミオや、ソレントへ帰れなどという曲、聞いたことあるのかな。

https://www.youtube.com/watch?v=jzRg8z82yoM&ab_channel=IlijaAgutin%28%D0%98%D0%BB%D0%B8%D1%8F%D0%90%D0%B3%D1%83%D1%82%D0%B8%D0%BD%29

イタリアのそういう歌は実はイタリア語ではなく、ナポリのことばで書かれたものだ。ナポリ語は正書法が決まっていませんが、歌、演劇、詩など、文芸で使われてきて、国境を超えて外国に渡りました。
ヨーロッパの童話集といえば、グリム童話が有名ですが、実はその前よりも書かれたものがあって、それは17世紀にナポリ語で書かれた「ペンタメローネ」という童話集があります。グリム童話に含まれているもののより古い形のものもあります。当時の言語の貴重な資料でもあります。

文芸で使われるというのは、強い権威につながると、言語社会学的に期待されるけど、イタリアでナポリ語は権威の高い言語かと思ったら、そうではない。

これはまた別の社会的背景があります。イタリアはまた強い地域差別があり、主に南部人がより経済的に発展している北部の人から差別を受けます。ナポリ人が特にそうです。ネットで地元について何か書かれていることがあれば、だいたい嫌なコメントが多く見られます。

残念ながら、日本でもかなり嫌なことを言われます。初対面の人に地元の悪口を言ってどうする?という、嫌な気分とともに驚きもあるが、これはさておいて、話を続けましょう。

地域差別とともに、言語差別もあります。南部の方言話者は低く見られ、「訛っているから面接で落ちた」という話を、まだまだ聞きます。
私は地元で育ったので、外の人と接触するのが後になるが、たびたびテレビでそういう扱いについて聞きます。そういう見方があるなかで、地元のことばをどう思うようになるのでしょう。

ナポリ語の現状をいうと、子供を含む若年層でもよく使われ、メディアでも使われます。決して危機言語ではありません。

私についていうと、まわりでよく聞いていたし、習得しました。だから話せます。が、全力で話すことはありません。ただし、私の話すイタリア語は、ナポリ語の影響を受けたイタリア語に違いないです。

日本もそうだが、イタリアも伝統方言と「標準イタリア語」の間に中間言語があります。イタリア語ではItaliano regionale「地域的イタリア語」と言います。ちなみに標準イタリア語は、実際話す人はおそらくテレビのアナウンサーぐらいしかいません。イタリア語の起源はトスカーナ州なのだが、現代のトスカーナ州の方言は非常に違っていて、そこで標準語が聞けるわけではない。イタリア人はみんなある程度地域的なイタリア語を話す。認めない人が多いが。

具体例を見てみよう。

ナポリ語にはDifferential Object Markingがあり、有生性の高いものに普段与格形式として機能するaをつけます。これはスペイン語など、他のロマンス形の言語でも見られます。ナポリの地域イタリア語でも、これをよく使います。1)はイタリア語で、2)はナポリ語です。私の話す地域イタリア語では、3)で見られるように動詞をイタリア語でいうが、対格形式を使います。つけないと気持ち悪いです。

1) 標準イタリア語
Jiro ha      picchiato     Taro.
次郎 AUX.PRS.2SG 殴る.PRT.SG.MSC 太郎
「次郎が太郎を殴った」

2) ナポリ語
Jiro  ha      vattutə      a=Taro
次郎 AUX.PRS.2SG  殴る.PRT.SNG.MSC ACC=太郎
「次郎が太郎を殴った」

3)
Jiro ha      picchiato     a=Taro
次郎 AUX.PRS.2SG 殴る.PRT.SNG.MSC ACC=太郎
「次郎が太郎を殴った」

(2=2人称、AUX=補助動詞、PRS=現在、PRT=過去分詞,ACC=対格、SG=単数,MSC=男性形)

他にも色々ありますが、本題に戻ります。

何故全力でナポリ語を話さないのだろう。

嫌だからではありません。何故話さないか、自分でも、特に方言研究をしはじめてからよく考えます。

上に差別の話をしたが、それが言われるから嫌になったということは、まずありません。言語コンプレックスを持ったことはありません。イタリアにはそういうのはあまりないです。日本ほど「地方」と「都会」の強い区切りがなく、首都であるローマや、経済の中心地であるミラーノにあこがれなど、そういうのはありえません。ことばに対してもそうです。そしてみんな自分が話すことばが標準的で正しいと思い込んでいます。特に北部で。
昔付き合ってたトスカーナ人に「ナポリ語が好きじゃないから話さないで」と言われて、「は?」と思ったこともありました。ちなみにその人は方言を話していたから、何故あなたが話していいのに私は話してはだめだろうと思いました(そもそも話さなかったし)。そのあとしばらく経ったら別れました。

今思うと、本人にとっては自分のことばを「標準的」に思っていたのでしょうかね。

そして、比較的最近のこと。
「自閉症の子供は津軽弁を話さない」という、自閉症と方言使用についての研究をまとめた本の出版について聞いて、衝撃を受けました。

本はまだ読んでいないので、詳しいことは言えませんが、考えるきっかけになりました。
私は自閉症といえるかわかりませんが、子供のころからコミュニケーションが得意ではないことは確かです。
友達があまりおらず、特に中学生のときは友達ゼロで、だいたい家でゲームしたり漫画を読んだりして過ごしていました(日本のゲームをしたり、漫画を読んだりしていたから、興味を持ちはじめた時期はまさにこれです)。結果的に地域的な特徴もありながら、自分の言語は標準語寄りでした。
実は小学生のときにいとこ達とよく遊んでいましたが、共通の趣味がある人でも、私より社交性があり、友達のグループを作り、結局一人になってしまいました。今はなかよくしていますが、その時期は距離ができていました。
当時も思ったことですが、そういういとこたちが子供のころは方言を話さなかったです。だが、中学生になってから、というか青春期に入り、いきなり方言を話し始めた。当時も話し方が変わったなと思った記憶があります。
社交性があり、グループに入っていた彼らには、ナポリ語を話すということは、グループのアイデンティティを強める一つの手段だったかもしれません。特にグループに入ることに関心がなかった私は、そういう手段も不要で、ナポリ語を話し始めるきっかけもなかったことが影響しているのでしょう。
高校生になり、ネットで共通の趣味を持つ友達ができました。その中に二人ナポリ人がいて、今もよく話す人で、親友です。
そういう二人も当時ナポリ語を話さなかったです。自分と似た背景を持つ人だから、同じく「ナポリ語を話し始める」きっかけはなかったでしょう。もちろん彼らもナポリ語が嫌いなわけではありません。
今はどうだろう。自分とナポリ語の関係について考えはじめてから、少しずつ意識的に地元のことばを使うようにしています。
国外に住んでいるからこそ、自分の言語文化の保持のために特に重要だと思います。今もよくネットで話すナポリ人の友達とも、できるだけ地域的に話すようにしています。
なかなか時間が取れないが、ナポリ語を日本の言語界隈で紹介する機会を設けたいですね。だらだら書いただけで、特に結論はないが、皆さんにも地元の方言との関係について考えるきっかけになったのかな。

それでは

Buon natale!
良い クリスマス

「メリー・クリスマス!」


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