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ベーシックインカムの国民投票から7年、人間社会の未来は?

あれから7年


バーゼルのメインステーション、BIS(国際決済銀行)がある出口の反対側におりたつと、ずっと工事中だったところが巨大な複合施設のビルになっていた。ランダムに窓がある立方体を積み上げたような、ずいぶんと凝った外観で、まずはその存在感に圧倒される。

駅から住宅街にまっすぐのびる通りを数分歩くと、定宿だったホステルがある。
ここに初めて泊まって以来、私はバックパッカーになった。この宿は、キッチンとリビング・ダイニングのつくりがとてもいい。いつも駅のとなりのスーパーで買った食材をここで簡単に調理して、世界のあちこちからやってくる若者たちとおしゃべりしながら、ビールを飲んだ。夜は、ドミトリーの二段ベッドで男女混ざって寝る。そんなの嫌だと思う人は少なくないだろう。でも、真っ暗な部屋のあちこちから人の寝息が聞こえるのは、なんだか生きてる実感があって私は好きだ。あれから、いろんなホステルに行ったけど、ここよりいいところはなかった。

何年かぶりに訪れた宿は、オーナーが替わって名前も変わり、施設もかなりリノベーションされている。新しくバーカウンターやオフィススペースが設けられ、部屋もいろんなタイプのものがある。日本からヒントをえて、カプセルホテルのエリアまでできていた。厨房から現れた人に声かけると、その人がオーナーだった。「何年か前は、ずいぶんとここに泊まったんだ」と言ったら、嬉しそうにして、パソコンに向かって、彼らの取り組みをプレゼンしだした。今では、チューリッヒ空港にも自分たちでデザインしたカプセルホテルのコーナーがあって、かなり好評のようだった。

そうやってオーナーと話していると、入り口にサミュエルの姿が見えたので、大きく手を伸ばした。

あれから、もう7年になる。もう、そんなに経ってしまってるんだよ。

ベーシックインカムの国民投票の日、運動の拠点だった、スイスで一番大きいカフェの裏にある広場でパーティをしていた。そこで日本人をみつけて話しかけてきたのがサミュエルだった。地元のシュタイナー学校をでて、レストランで働いている彼は、日本が大好きで、休暇をつくっては、日本にやってきた。やがてスイスでたこ焼き屋をやりたいと思って、たこ焼き機を買ったから、誰か、たこ焼きのつくりかた教えてくれないかな?といった。それが彼との出会いだった。

ラウンジで、再会の乾杯をした。
「今、何やってて、これからどうしたいの?全部聴かせて」

サミュエルは、ついさっき、スイスのイタリア語圏であるティツィーノ州から戻ってきたばかりだった。「ヘルマン・ヘッセがアーティストたちを誘って、そこでコミュニティをつくっていたのを知ってるか?」というので、「聞いたことはある。ジョージ・オーウェルも少し関与してたと思うよ」と答えた。アーティストのコミュニティをつくりたいと彼は考えていた。以前、ラーメン屋をやる話が前に進まなくなってから、彼は、大学でアートを学び出した。今は、卒業して、美術館でアルバイトをしながら、スタジオを借りて製作に打ち込んでいる。ネットでいくつか作品を見せてくれた。いろんな素材をつかった壁に飾るようなオブジェだった。

しばらく宿で話してから、サミュエルが予約したラーメン屋に向かって歩きだした。

そう、あるとき、バーゼルの街を歩いていて、ああ、ラーメンが食べたいと、しみじみ思ったんだ。あの頃、バーゼルにはラーメン屋と呼べるようなものはなかった。

小さな街を10分くらい歩いてたどり着いた店は、外からは、高級レストランにしか見えない。これは、金持ちの家に生まれたあるアーティストがやっているんだとサミュエルが教えてくれた。開店にはまだ時間があったので、バーゼルの街を歩くことにした。

「ウンターネーメン・ミッテ、どうなってるかな?」
「ダニエル・ハニは今でもあそこにいるよ。彼の娘は俺と同じクラスでアートを学んでいる。そういえば、あそこでラーメン屋やろうって話もあったよね。でも、コロナ前に始めなくて本当に良かったと思うよ。あの頃始めたレストランはみんなたいへんだったから」。

たどり着いたあのカフェは、銀行を改築した大きなホールに人がごった返していて、何も変わっていなかった。ただ、ハニと一緒にベーシックインカムのイニシアチブを立ち上げ、私たちが何度か日本に招いたエノ・シュミットは、もうバーゼルにはいない。シュタイナー系の著名な事業家、ゲッツ・ヴェルナーがフライブルグ大学につくったベーシックインカムの研究講座の事務局をやることになり、結局、エノはバーゼルを離れた。

そういえば、かなり前に、スイスで他のグループがベーシックインカムをもう一度国民投票にかけるために署名集めを始めたと聞いたが、今回の訪問で、それが話題になることはなかった。結局、うまく署名が集まらなかったのかもしれない。7年前の国民投票は、結局のところ「大増税が避けられないから反対」という政府/国会の見解が投票に大きく影響した。もう一度国民投票をやっても、その課題がクリアされない限り、結果もさして変わらないだろう。

「ベーシックインカムはどう?」
サミュエルがいう。

「うーん・・・
結局、ベッぺ・グリッロとはずっと繋がっていてね。ようやく彼らに俺のつくったTシャツが届けられた。次の経済危機が来たら、ベッぺは、俺のTシャツ着て、フランクフルトの欧州中銀までマーチ(行進)をしてねって頼んでるんだ。ちょうどガンジーやMLキングが行進したようにね。ベッぺは選挙のキャンペーンで、シチリア海峡を何度も泳いで渡ったりしているんだ。それに比べたら、ジェノバからフランクフルトまで歩くなんて、景色もよくてまったく快適で問題ないって秘書は言ってたな」。
「わお、Tシャツってどれ?俺もそれ来て一緒に歩くよ」。
「ははは、今度日本に来たら、あげるよ」。
スマホにあるTシャツの写真をみせて、書いてあるメッセージを読み上げた。

夢はベーシックインカム
すべての人をお金の奴隷から解放し、
私たちの世界から貧困を根絶するために

私たちが本当に必要なのは、単純でヒューマンなひとつのルールだけじゃない?
中央銀行はすべての人に生きるためのお金を直接支給する
普遍的に
無条件に
そして恒久的に
物価を安定させながら


一緒にテキストを読み上げたサミュエルは、すぐにその内容が腑に落ちた様子だった。

そもそも、市民が考え出した法案のテキストに賛同の署名を集めて、国民投票で成否を決めるというのはスイスの人たちの3ヶ月ごとの日常だ。そのまま憲法に盛り込めるようなシンプルな原則のテキストに慣れているんだ。考えてみれば、私だってスイスに通って、イニシアチブの関連資料を読み込んで勉強して、結局、そんなテキストをTシャツに入れたんだった。

スイスでは、個人が思い立って憲法改正の発議ができる。自分の提案に、10万の署名を集めれば国民投票にかけられ、過半数をえたら、そのルールが憲法に盛り込まれる。その一連のプロセスは10年くらいかかる。だから腰据えて取り組むために、ここでラーメン屋やろうと思ったんだった。普通の市民たちが、遠い未来を見つめて、なんら目先の利益にならないことに、長い間情熱を注ぎ続ける、その姿に驚いて、私は、何度もスイスに通ったんだ。そしてコロナがあけたら、性懲りも無く、また来てしまった。

そう、ルトガー・ブレグマンも言ってた。国民投票は否決されたが、あれをきっかけに、ベーシックインカムに対する世界の空気は一挙に変わった。世界のあちこちでパイロット・プロジェクトが行われたが、もちろん、ネガティブな結果はない。「ベーシックインカムをほどこすと、人間が怠惰になって社会がダメになる」という根拠のない通説をいまだに唱える人がいるだろうか?ロンドンでのホームレスへの現金支給の実験は、真逆の結果を示した。どんなサポートをしても定住しない彼らに、さじを投げるように現金を渡してみた途端、彼らは前向きに生き始めた。お金の無駄遣いは一切なく、生活再建に投資された。実は彼らはマトモだったんだ。
国民投票直後のフランス大統領選挙では、社会党のブノワ・アモンがベーシックインカムを公約にした。これは、まったく腰砕けに終わってしまったが、アメリカの大統領選挙では、アンドリュー・ヤンがベーシックインカムをコアに見事な選挙キャンペーンをやって一大旋風を巻き起こした。彼はまだ運動を続けている。次の選挙も挑戦するだろう。ヤンは著作の中で、ヘリコプター・マネーで有名な元FRB議長ベン・バーナンキと会った際のエピソードを紹介している。ヘリコプター・ベンは、「事前に準備してさえおけば、FRBは緊急時に全国民に5分で送金することができる」と言った。緊急時だけじゃなくて、毎月やればいいんだよ(笑)

リーマンショックから15年

「真の改革は、危機的状況によってのみ可能となる」
ミルトン・フリードマンの言葉だ。ナオミ・クラインは、『ショックドクトリン』を書いて、惨事に便乗して新自由主義を拡大させる彼らを糾弾した。新自由主義者たちは、人びとが放心状態で、抵抗できない時に、理不尽な制度を無理強いしてきた。恐怖は人を萎縮させ、行動をとめてしまうからだ。

しかし、私は、危機の時こそ、人は、固定観念から解放されて、より人間らしいあり方を目指せるに違いないと思ってきた。大きな津波のあった翌々日の朝から震源地に一番近い現場に入って、被災者たちと一緒に避難所をつくった。全部水に流された人たちが、開き直ってゼロから再出発するようすには、清々しいものがあった。中学校の体育館に、囲いをつくらずに布団並べて一緒に寝た。災害の時にお互い無条件に助け合うというのは、人間がもつ普遍的な性質だと言うのは、ブレグマンが『ヒューマンカインド 』で指摘していることだ。

そして、マスメディアは決して報じないが、前回の経済危機の中で、世界のあちこちの市民が立ち上がり、大きな進歩を成し遂げてきている。

経営危機に陥った民間銀行の救済に莫大な公的資金が投じられる状況を見たスイスの市民たちが、「諸悪の根源は、民間銀行の信用創造だからそれを廃止して、中央銀行だけが通貨を発行するようにしよう」と言って10万の署名を集めて国民投票にもちこんだ。業界の人以外ほとんど知らないことこそ一番の問題なのだが、実は、世界のほとんどのカネは、中央銀行じゃなくて、普通の商業銀行がつくってる。それも、誰かに貸付をするとき、その通帳に金額を印字した瞬間につくられるんだ。もちろん「無」から。そのことこそ、私たちの社会の最大の問題なんだ。同時に、あらゆるマネーは誰かの負債として発行されるが、そうあるべきではないし、そうする必要もない。彼らは、マネーは、必要に応じて中央銀行が行政や個人に、直接発行できるという条項を改憲案に加えた。マネー循環の適切なポイントに投入すればいいんだ。

この市民の提案に対して、政府は「前例のない実験でスイス社会を危険にさらすべきではない」と言って反対を表明した。投票前には、スイス国立銀行までが「政治に介入しない」という中央銀行の不文律を破って反対声明をだした。しかも、声明の中で、現在の金融システムは、安定していて問題ないと言い切っていた。本当かよ・・・。
国民投票は、予想より前倒しで行われたが、政府が投票を急いだのは、次の金融危機がくる前にやってしまわないと、結果が厄介なことになるからだろうと言われていた。
そう、クレディスイスが危機に陥って、金融システムの不安定さが露呈した今、あの国民投票をやったら結果はひっくり返っていたに違いない。そして、いまや当局は、民間銀行の救済に「公的資金」を投入できなくなった。確かな進歩と言っていい。

今、あらためて思う。
「中央銀行が国民の暮らしのために直接通貨を発行して、それで経済をまわそう」と言う提案に対して、スイスの政府と国会はなんて言うんだろう?ぜひ、聴いてみたいものだ。今のところ、この提案に対して、説得力がある理由をもってノーといった人には、出会ったことがない。
市民のイニシアチブで国民投票ができるのは、お隣の台湾も同じだ。初めての市民イニシアチブでの国民投票が行われたすぐ後、もう一度台湾を訪れて、NPOがアレンジしてくれたミーティングでプレゼンをした。それに参加していた台湾大学の経済学の教授は、確かに目を輝かせて「なるほど、いけるなぁ」と言った。でも、それっきりになってしまっている。

20世紀初頭、クナップが看破したように、マネーは法の産物、つまり、私達の決め事に過ぎない。もちろん、そのルールも時代とともに変わってきた。だが、私たちは、おカネのルールの取り決めに参加したこともなければ、合意した記憶もなく、そもそも、ルール自体がちゃんと明文化されていないために、問題意識をもつことができなかった。経済学は通貨発行について何も触れないし、アダム・スミス以来、通貨は、物々交換の不便さを解消するために自然に生まれたものといわれた。「神の見えざる手」に委ねられた経済と同じように、マネーは制御が簡単じゃない自然物だと刷り込まれてきた。しかし、それは真実じゃない。今では、貨幣経済を経験しない人間は、物々交換もしないことを文化人類学が明らかにしている。

そう、マネーが真の公共財になっていないことこそ、一番の問題なんだ。
私たちの社会が生き苦しいのは、人間がもつ本質的な欠陥のせいじゃない。アダムとイブが禁断のりんごを食べて堕落したからじゃないんだ。ブレグマンが指摘しているように、つまるところ、人間はまともで善良な存在だ、そういう学術研究がいろいろ出てきている時代だ。私たちが生き苦しいのは、単に私たちの社会のルールがイビツだからなんだ。何とかしてほしいって、神様に祈ったって、神様は困るだけだ。長い間、私たちは、「この掟は、神様のおつげだ」と言われていろんなルールを押し付けられてきたが、そんな様子をみて、神様は嘆き悲しんでいたかもしれない。「必要なものはすべて与えているというのに、いったい、どうしてこうなるんだ?」と

「この世の中、変えたい!」と思っている人は少なくない。本当は半分以上かもしれない。まずは、何を変えたらいいのかを知ることだ。
マネーを真の公共財にするには、どうしたらいいのか?どういうルールがいいのか?
それこそが人間社会の最大の課題だ。それなしに、ヒューマンな社会は創造できない。断言していいだろう。

そう、リーマンショックの頃、私は、(まったく、たまたま出来たものだったが)『金融崩壊後の世界』という本を出して、起業して資金つくって、ベーシックインカムを主要政策にして総選挙にでた。2009年9月のことだ。政党は腐りきってて、ラチが開かない。あの時、ベーシックインカムは、生きている間に実現できるとは思えなかったが、今の社会のほとんどの問題を解決する真のソリューションなのは、まちがいない、だから、言うんだ!そんな思いだった。(当時、ベーシックインカムの原資は「政府紙幣」と言っていた。 あの頃の私の知見ではそれ以上のものがでてこなかった。本当は、中央銀行が発行するほうが、マネーサプライの調整がしやすくていい。また、二重通貨はさけるべき)。

実は、その直後、10月4日の聖フランチェスコの日にイタリアで五つ星運動が始まっている。やがて、イタリア国債がデフォルトの危機に瀕し、緊縮財政で多くの若者が失業する中で、運動は急速に広まった。彼らは、インターネットの中で、およそ15万人のメンバー全員参加で政策を議論し、選挙の際は、誰でも予備選挙に立候補できて、オンライン投票で候補者が選ばれる。そして、議員の任期を2期に限定、選挙で選ばれた議員はネットでのメンバーの決議に従う義務がある。高額な議員報酬の半額はマイクロクレジットの基金に組み込まれ、貧しい市民に貸し出された。彼らの目標は、憲法を変えて、スイスのように国民が直接立法できる制度をつくること、そして、社会から貧困を根絶すること。この世界最先端の政治運動は、設立からわずか9年後の総選挙で35%を得票して第1党になった。ファウンダーのベッぺ・グリッロは、私たちとのインタビューの中で「お金を使わずに政権をとったのは、歴史上初めてだと思う」と言った。総選挙に使う費用は寄付で集めた総額数千万円にすぎない。それで余ったお金は他所に寄付していた。そして、数百人の議員がいるから当然もらえる巨額の政党助成金も拒否して受け取らない。もっともキリストのように行きた人間、「神の道化師」とよばれたイタリアの守護聖人である聖フランチェスコのスピリットを、イタリアで一番有名な道化師、ジョーカーが具現化したわけだ。

しかし、選挙には勝ったものの、おそらく当時は唯一の選択肢だった極右政党との連立政権は、難航を極めた。五つ星は、極右の移民排斥パフォーマンスに振り回され、マスメディアの非難にさらされる中で、大きく支持を落とし、危機的状況が続いた。当然、分断工作もされて、幹部が造反する・・・私がベッペとの2ショット写真をつかうようになったのは、同盟との連立が破綻した時、なんとか運動が崩壊しないでほしいという願いを込めてのものだった。そんな状態が続いても、ちょうど国会議員定数の3分の1にあたる345人もの削減を成し遂げ、貧困層への所得保障制度を実現させた。統計によると、おかげで100万人の人々が貧困から逃れることができた。私は、なし崩しになるだろうと予想していた議員の任期制限も、結局、ベッぺが強くいってそれを堅持して今回の総選挙に臨み、結果、予想を大きく上回る得票をえて、第3党にとどまった。その後も、極右政権の野党として支持率をあげている。つくづく、大したもんだと思う。極右政党は、つまるところ国民のための政治をすることなんてないから、支持は長く続かないだろうし、典型的な既存政党の民主党が国民から大きな期待を集めることもありえないから、五つ星は、次の総選挙でもう一度第1党になる可能性は低くないだろう。私がサン・セバスティアンで講演を聞いて衝撃を受けて、彼が1期目の議員時代に日本に招いたリカルド・フラカーロは、その後、世界初のダイレクトデモクラシー担当大臣になり、民主党との連立では、コンテ首相を支える官房長官になり、そして当初から公言していたとおり、2期で議員を退いている。今はローマで代替エネルギーの会社を経営しているようだ。(もともとピザ職人でもあって、日本でラーメンを気に入って、一緒にイタリアでやろうか!って盛り上がったが、とりあえずお預けだ)。彼の在任中にダイレクトデモクラシー改憲までたどり着けなかったが、その機が熟する日も、それほど遠くない気がする。
そういえば、最近パワハラで話題になった料亭で、リカルドと某党の党首と一緒に会食したこともあった。五つ星がやってることをそのまま日本でやったら、支持を大きく伸ばすに違いないが、その先進的な取組を何1つ取り入れようとはしなかった。消費税をなくしても、貧困層にとっては時給が100円上がる程度の影響しかない。いまだにどこの政党も候補者の予備選挙をやらない民主主義国家って、日本の他にあるんだろうか?もちろん、これほど世襲議員ばかりの国は世界に例がないだろう。病に気づかないことこそ、もっとも深刻なことだ。

また、日本で大震災が起こってから2ヶ月後の5月15日、経済危機が深刻化するスペインでは、マドリードの中央広場プエルタ・デル・ソルに若者たちが集まってキャンプをしだした。インターネット時代、その占拠運動は瞬く間に、世界の2000カ所以上に広まった。最大のものが「オキュパイ・ウォールストリート」だった。亡くなったデビッド・グレーバーは、このムーブメントでwe are the 99%というスローガンを掲げて、ダイレクトデモクラシー、直接民主制を志向した。そもそも「選挙による代議制」は、古代ギリシャの知識人たちさえ、貴族政治を招くと危険視していた、そうグレーバーは指摘している。代議制の左右対立などフィクションで、私たちの利害は対立なんかしていない、おんなじなんだ。そういうメッセージだ。

このオキュパイ運動に成果はあったのか?

マスメディアでは報じられていないが、特にスペインでは大きな成果があった。各地でSNSで繋がった人たちが自然に湧き上がってデモや占拠をした後で、彼らは、地域ごとに政党をつくって選挙に出て、行政を掌握しだした。プエルタ・デル・ソルを占拠した若者たちは、毎日対話集会を繰り返してさまざまな試みを始めたが、やがて、プログラマー達は、スイスの市民による直接立法と、ブラジル・ポルトアレグレから始まった市民が直接自治体の予算をきめる制度をオンライン上でやるシステムを開発、マドリードの1億ユーロの予算の使い道を完全に市民に委ねた、そして、そのオンラインシステムを世界に無償提供している。

こうしたムーブメントがおこる原因は、いうまでもなく蔓延する貧困だ。私がまったく好きになれないSDGsだって、この世界の一番の問題は貧困だと言ってるくらいだから、きっと、それはもう世界のコンセンサスになっているに違いない。しかし、その対策として「貧しい人たちに教育、職業訓練を施す」というのは、実際のところ、この問題をずっと引き延ばすのだという意志表示だ。貧困はいつまでも続く。篤志家が施すフィランソロピー、社会貢献は、問題の固定化に貢献するばかりだ。

アメリカが繁栄を極めていた1960年代、貧困の根絶は国家目標だった。貧困は個人の問題じゃなく、国が解決すべきことだったし、解決可能なことだった。月に行く予算、ベトナム戦争の予算を考えれば、貧困層の所得を保障することくらい、さほど難しいことではないと考えられていた。JKガルブレイズは、左派右派とわず1000人以上の経済学者の署名を集めて、政府に所得保障制度の導入を進言した。もちろん、フリードマン一派だって署名に加わっていた。MLキングは、ナショナルモールを占拠して、所得保障が実現するまで居座ろうとした。だが、それを決行する直前に暗殺された。貧困のない世界こそ、彼の本当の夢だったんだ。ほどなく、大統領選挙で最有力候補だったロバート・ケネディも暗殺され、棚ぼた的に大統領になったニクソンは、所得保障政策を骨抜きにして貧困を放置した。それから、新自由主義が台頭する中で、「貧しい人は能力がないんだから仕方がない」という風潮がつくられ、世界中でそれが常識になっていった。彼らに必要なのは、教育、訓練ということになったが、もちろん、そんなことに予算がむけられても、効果があるはずもない。低賃金労働をなくさない限り、必ず誰かがそこに押し込まれる。問題なのは人間の能力じゃなく、社会のルールだ。人はみんな似たり寄ったりで、能力に大差ないなんてこと、少し俯瞰して世の中みてみれば、誰の目にも明らかなこと、なハズだ。


社会が臨界に達した時、人びとが自然に外に出て、変革を訴えだす


ちょうど、フランス革命の頃、日本では、天明の飢饉を背景に、窮乏した人びとが京都御所の周りを歩き始めた。わずか数名が起こしたこの行動は、10日後には7万人にも膨れ上がったと伝えられている。天皇はじめ公家たちは、歩く人たちに食べ物を配ってこの御所千渡参りをサポートした。

圧倒的に世界一高齢化し、人口が減る日本、若者からの税収で高齢者の年金を支えるのは、もはや不可能とばかりに、知識人/リーダー層が、「老人の選別」を言い出しては、糾弾されている。既存の情報の受け売りばかりしているから、そう言う発言をしてしまうのだが、ちょっと俯瞰すると、まるで違った実相が見えてくる。人類は呆れるほど過剰な生産力を手にしている。「無から印字によって生まれる」マネーも実体経済をはるかに超えて発行され続けている。問題なのはその印字された数字が、極端に偏在していることにすぎない。モノの値段は、経済学がいう「需要と供給」じゃなくて、人びとの購買力に合わせて決められているに過ぎない。コロナ/ウクライナで資源が高騰し、サプライチェーンがやや乱れたから物価が上がったといっても、世界の死亡統計に影響を及ぼすようなことがあったわけでもなく、実需と生産、供給力に大きな変化などあるはずがない。そして、経済における需要は、基本、人間にしかつくれない。(コンピューターだってロボットだって電気代くらいの需要はつくるが・・・)

コロナが始まる少し前、私は、イエローベスト運動の1周年記念デモにリヨンで参加して、幸運にも(笑)、催涙弾の洗礼を浴びた。あれを吸って内臓がえぐられるような貴重な感覚を体験させてもらった。そもそも、この運動はパリ郊外に住む名もなき女性が、change.orgで、化石燃料への増税に反対する署名集めを始めたことだった。やがてフランス各地で、毎週土曜日にデモが続いた。もちろん、歴史上なかったことだ。
「どうしたらこんなことがひきおこせるんだろう?」デモに参加した後、友人に聴いた。
「分かんないよ。俺も知りたい」

マドリードの副市長パブロ・ソトは、ローマでの講演で、スペインの2011年5月15日の様子を語った。
「参加した人たちは、今までにないとても大きなことが起こっていると一様に感じていた」。それは、確かに人びとの意識を変え、さらなる行動に繋がった。

韓国では、2016年秋、朴槿恵の辞任を求めて多くの人がデモに参加した。辞任するまでのおよそ半年間、厳冬のソウルで毎週末、膨大な数の人々がデモを続けた。ピーク時には1日200万人以上、延べ1700万人もの人が街にくりだしたと言われている。冬のソウルは心底寒いが、このデモは、単一テーマのものとしては世界史上最大と言える。2000以上のNGOが連携してデモの運営にあたり、リーダーレスを掲げ、政治家をステージに登壇させることをやめ、誰でも参加できる環境を整備して、完全に非暴力、平和裡に汚職の大統領を退任させた。日本の植民地を経て、軍事独裁の国になった韓国を民主化されるために、どれほど多くの市民の血が流れたことか・・・彼らは多大な犠牲を払って、強かに進化している。

そう、危機は確かに社会を変える。だけど、残念ながら、人びとは、まだ、根本的な問題の解決に向かおうとしない。それは、ソリューションが見えてないからだ。スイスの通貨改革の国民投票の後で行われた世論調査で、「スイス国立銀行はスイスフランの発行に責任を持つべきか?」という問いに対して、イエスと答えた人は8割にのぼった。ではなぜ、通貨改革に賛成する人が25%にとどまったのか?国民は、国民投票で何が問われているのかを理解できていなかった。まぁ、残念ながら、それが現実だ。

チャールズ・キンドルバーガーが発見、提唱した「経済危機10年周期説」だが、リーマンショックから15年経っても、次の経済危機がやってこない。
それは、あまりにマネーを発行しすぎて、あまりに生産能力があがりすぎて、もはや、経済危機はおこりえなくなったのか?
いや、もっと大きい危機のために、時間がかかっているのか?

ちょうど、バブル期に、土地と株の値段が下がるとは誰も思っていなかったように、二度と金利は上がらないとみんなが思っていることこそ、最大の落とし穴だろうと、私は、折に触れていってきた。一時流行ったMMTを支持する人たちは、金利や為替について何も言わなかった。食料自給率が世界屈指に低くて、輸入食料なしに生きていけない日本にとって、為替水準は死活問題だ。
日本政府は史上例がないほど借金を重ね続けている。そのカネは結局、どこにいったのか?何十年にもわたって、日本だけ賃金が上がらず、経済対策だといって借金しても、まったく経済成長をもたらさなかったのは、いったい、なぜなのか?
世の中でカネがダブついて運用先に困った金融機関は、安全だからとといって、わずかな金利を求めて国債を最高値で買い続けた。

そして、インフレを抑制するためだといって、各国が金利を急激に上げだした。金融機関は膨大な債権の含み損を抱えることになる。だから、日本だけ、金融緩和を維持するといっている。長期金利が1%あがったら、日銀がもつ国債の評価損は30兆円になると言っているが、ほとんど同じくらいの国債を民間の機関投資家がもっている。今、アメリカの長期金利は3.5%だ。こんな状況にハゲタカの巣窟であるマーケットは、どう反応するんだろう?暴落はいつも何の前触れもなく突然おこる。
すべてはカタストロフィーの準備だったのかもしれない。

シリコンバレー銀行とクレディスイスの破綻処理が済んで、これで終わったと思っている人は、いるんだろうか?実際のところ、もう、次の経済危機に入ったということだろう。

イタリアのソブリン危機にあたってベッぺ・グリッロは、「ベルルスコーニが勝手にリラを捨てて通貨をユーロにしてしまったことがけしからん。大事なことだから国民投票で決めるべき」と主張した。彼の言動は、ユーロの崩壊を招くかもしれないので「ヨーロッパで一番危険な男」と言われた。彼を日本に招いて1週間ほど一緒に過ごしたが、その間、私の活動についてあまり突っ込んだ話をしなかった。しかし、その後、「中央銀行によるベーシックインカム」という言葉を聴いただけで彼は「それは、グレート・エンスージアスムでサポートする」とすぐに返してきた。光栄にも、最高で世界9位にランクされ、ノーベル経済学賞のスティグリッツまで寄稿する彼のブログに折に触れて投稿させてくれた。そういうベッぺが、「ECBがすべての人に直接ユニバーサルベーシックインカムを配るんだったら、それが一番だ!」と言ってフランクフルトに向かって歩き出したら、どんなことが起こるだろう?やっぱり、今の世界では、彼が誰より適任だ。通貨統一は、統一ベーシックインカムとセットならば、最高の政策だ。価格差を求めたモノや労働力の移動が世界からなくなる。

クソどうでもいい仕事からの解放



グレーバーが遺作『すべての夜明け』で書き残したのは、そもそも自由、平等という概念は、西洋文明がアメリカン・ネイティヴと出会ったことから生まれたものだということだった。特に初期に新大陸にわたった宣教師たちの手記が書籍として広く読まれて、知識人たちに衝撃を与え、「そもそも自然状態のにんげんとは?」という疑問が生まれて、議論の土台になった。そこから自然法やデモクラシーという概念が育まれていった。アメリカの先住民たちは奪い合いをせず、富を得るために努力をするということがない。自分が気にいらないものには敬意を示す必要がなく、納得がいかない指示には従う必要もなかった。リーダーがいても強制的な命令はできない。一方、西洋人たちは、いつも社会のピラミッドの上部にいる人たちを怖がって怯えていた。ネイティブ・アメリカン達は、西洋文明を痛烈に批判した。確かに物質的には豊かだが、あなたたちには、人間としての豊かさがない。嫉妬深く、いつもお互いを誹謗中傷し、貪欲で、寛大でも親切でもないと。西洋文明の黒歴史としてブレグマンも紹介しているが、当時、ヨーロッパの女性たちは、男の所有物とみなされていた、そういう時代に、ネイティヴ・アメリカンの女性たちは性的にも完全な自由をもっていた。そして、助け合うことが当たり前、すべての人の常識となっている社会では、食うに困るということがなく、社会全体が安心に包まれている。そういう社会に出会ったヨーロッパの女性たちは、もう自分たちの社会には戻らず、そこに居続けることを選んだ。人が安心して生きていくために必要なのは、「財産」で、それを守るために法を整えようという考えの起源は、ローマ法に見られるとグレーバーは指摘しているが、どっちがまともだろうか?
グレーバーは、「人類が農耕を始めることで、定住が始まり、富が蓄積され、都市が生まれ、支配のヒエラルキーがうまれた」というステレオタイプな人類史観も、最新の考古学の研究成果を紹介しながら間違いだと指摘している。人類は、農耕が始まるずっと前から定住して平等に暮らし、一緒に巨大建築物をつくる叡智をもっていた。やがて、辺境から軍人貴族が生まれ、暴力で富と権力を独占、権威を誇示してヒエラルキーがつくられていったというのが実相のようだ。
ヨーロッパ文明は暴力と奴隷制と切り離せないものだった。しかし、特に北米には部族ごとに多様な社会制度があって、中には、戦争と奴隷が好きな部族もいたが、多くは、そういうやり方を拒否していた。奴隷に身の周りの世話をさせて楽をするより、自分でやった方が精神的にも肉体的にも健康でいられる、そういうコンセンサスがそれぞれの部族のなかでとられていたようだ。
人間社会のあり方は、実は、とても多様で、私たちはそれを対話、話し合いのなかで選択してきた、それを思い出して欲しいというのがグレーバーが最後に言いたかったことだ。

ケインズは、テクノロジーの発展で100年後は、週に15時間働けばよい時代になると言った。人類が途方もない生産力を手にした現在、もう、私たちは1日3時間働かなくても、何不自由ない生活がおくれるはずだ。だが、私たちの仕事の時間は減らなかった。ブルシットな仕事、クソどうでもいい仕事、クソ仕事がいっぱいつくられて、私たちは、マネーという鎖に繋がれっぱなしだ。時間だけみれば、私たちはかつての奴隷よりも長く拘束されているという指摘まである。グレーバーは、クソ仕事を定義、分類した。太鼓持ち:受付係、秘書、ドアマンなど、用心棒:ロビイスト、企業弁護士、テレマーケター、広報など、落穂拾い:出来の悪いプログラムの修正など、そもそもあってはならない問題の手直しをする仕事、社内官僚:パフォーマンスマネジャー、社内広報誌のジャーナリスト、休暇のコーディネーターなど、仕事製造人:中間管理職やリーダーシップの専門家・・・自分の仕事は本当は誰の役にも立っていないと感じている人は、今や全体の半分近くに達している。ただカネのために時間を浪費する人生。問題なのは、こうした仕事ほど高賃金になりがちな一方、本当に社会に必要な仕事の多くは低賃金で、不安定だ。時給が低いとより長時間働かないと生活がままならないから、将来不安におびえながら、結局、ただただ働きづめで一生終えてしまう。クソ仕事をする人と低賃金労働にあえぐ人との間に、能力の違いなどあるはずもない。子供の頃、少しばかり暗記ができたとか、親が少し経済力があったから、塾や大学に行けたとか、その程度の差だ。「いや、俺たちは優れているから高収入に値する」なんていう人は、そもそも洞察力が欠けている。差異や優劣ばかり強調される社会だが、よくみれば、人間、ほとんど変わらないなんて、あきれるほど明らかなことだ。働く現場にいけば、彼らはびっくりするくらい機転をきかせて、本当に一生懸命仕事している。頭いいなぁと感心する。どこぞのオフィスで、しょせん自分の食い扶持を確保するために、クソなへ理屈ならべているのとは、かなり違う。

私は、どうして人間が通帳の印字を信仰できるのか、どうしても理解できないが、その桁の多い人間が優れ、少ない人間が蔑まれ、自由が奪い取られる。レ・ミゼラブルだ。下卑た優越感で本当に幸せを感じることなど、ありえないというのに。
とりあえず、AIによって仕事をなくすのは、ブルーカラーより先にホワイトカラーだというのは確かなことだろう。

私は、大学でて大手商社に務めた時に、この現実に直面しておののいた。社会の理不尽さに、ただただ、ぼう然とした。一日中どうでもいいおしゃべりばかりしている人たちが、東京の真ん中のビルでタムロしている。着飾ったモデルのような女の子たちを眺めながら・・・それでこの国で屈指の高給(笑)もらっているんだ・・・。
秋田の山奥の寒村で育った私は、仕事とは、田んぼや山で、汗やほこりや泥にまみれて体を動かすことだと思っていた。年の離れた従兄弟が、幼い私が母親と一緒に黙々と田んぼの草取りをしているのをみて、ビックリしたと何度も話していた。私にはまったく記憶にない事だが、三つ子の魂ってあるようだ。貧しく荒れた家だった。商社に入って、どうしようもない違和感に苛まれた。それは罪悪感に近いものだった。

「働かざるもの食うべからず」という新約聖書の言葉は、もともとは「キリストが再び現れる話に惑わされずに、しっかりと日常生活をおくりましょう」という、まあ、他愛ないメッセージだった。それを引っ張り出しながら、労働は義務だと言って憲法にまで書いてしまったのは、紛れもなくレーニンだ。きっと、計画経済で人を働かせることの困難が思いやられたから、法で縛ってしまえと考えたのだろう。

もともとキリスト教世界では、肉体労働は、「アダムが神様が食べるなと言ったりんごを食べた罰」だった。だから、農奴に農作業をやらせて、なあなあにしていた。やがて、カトリックの腐敗に抗議した人たちが、「神様が与えてくれた仕事を黙々とこなせば、あなたは救われる」と言い出して、それがモラルとなって定着していった。ちょうど、エンクロージャーの頃、羊毛産業のために農地を追い出されて自給の手段を無くした人たちが、都市に集まって賃金労働をしなければならなくなった時代、奴隷制のモラル的なイノベーションが必要だったのかもしれない。

与えられた仕事を一生懸命やれば、あなたは救われる!
そう信じて日々を過ごしている人は、どれだけいるんだろう?

どうしてこんなにもイビツな社会になってしまったのか?答えはシンプルだ。人を時間拘束しておかないと、支配が維持できない。人に自由な時間を与えると、よく考えて、みんなで相談して人間らしい社会システムを構築しだすだろう。デモクラシーは、まだまったく不完全だが、もはやその価値を誰も否定できない。やがて阻止できなくなる。だから、カネと時間で人を縛って、クソどうでもいいことをやらせておくんだ。

とりあえず、自分が仕事だと思ってやっていることは、クソどうでもいいことじゃないか?って考えてみることは、ヒューマンな社会をつくるうえで、かなり大事なことだ。来る日も来る日も、クソどうでもいいことにかかずらって生きていいほど、私たちの人生は長くない。

トーマス・モアは、奴隷のいない世界を想像できなかったから、『ユートピア』には、やや待遇がよい奴隷が描かれている。カール・マルクスが「ユートピアをつくるには、暴力と独裁が欠かせない」と考えたのは、フランス革命の延長としてしか革命を想像できなかったからだ。マルクスが見落としたのは、「そもそも人間は暴力と独裁を忌み嫌う存在だ」という事実だ。結果うまれたのは、ディストピアだった。ベッぺ・グリッロは、おカネかけずに政権をとったわけだが、そんなことが可能だと考えられる日本人はいるだろうか?日本とイタリアの政治の腐敗の酷さは似たようなものだが、お陰で行動と結果がぜんぜん違う。

私たちは、すべての人が、時間拘束から完全に解放されて、自由になって、あらゆることを自分自身や人との対話の中で決めて行動できる社会が想像できるだろうか?

本当にヒューマンな社会をつくる上で、結局はそれが鍵かもしれない。

あらゆるグループに代表者やリーダーがいて、その人がいう通りにしないと生きていけない。愚かな人間たちを統率するには、優れたリーダーが意志決定を担うことが欠かせない。いたるところに権力のピラミッドが張り巡らされていて、上にいる人間が決めたことを下の人間が黙ってやるしかない。それが、人間社会の唯一のあり方だ・・・、人間社会を維持するにはそうするしかないんだ・・・それは、まったく真実じゃない。洗脳だ。

ジョージ・オーウェルが指摘したように、世界は茶番劇で覆われている。でも、私たちの内側から溢れてくものを大事にして、新しい世界を切り開こうよ、
ねぇぇぇぇぇ・・・・・


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