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豊かな生活ってなんだろう

労働から解放された土曜日、早めの風呂に入り、お気に入りのパジャマを着て、ベッドの上で「豊かな生活ってなんだろう」と考えている。
というのも今日、「あ〜、なんか引っ越そうかな〜」という軽い気持ちでマンションの内見に行き、一時的に心動かされたのだが、いまよりも上乗せされる家賃や初期費用のことなどを考えると「そもそも引っ越す必要あるんだっけ?」というスタート地点に戻ってきてしまったからだ。

周りには、徐々にマイホームを購入し始める友人らもちらほら出始めるようになり、「持ち家か賃貸か」みたいな永遠の二択も頭をかすめる。しかし、そもそも自分には“持ち家”を購入するだけの軍資金があるわけではないことに気づき、取り越し苦労というか、劣等感にも似た情けなさを顔前に突きつけられた気持ちになった。

20代の頃は、特にお金が大事だとは思わなかった。というか、“お金”を第一優先(ではなくても高い優先度で)に物事を選択している人を、ちょっと軽蔑したりもしていた。(具体的に言うと、メガバンとか、商社や優良大手企業に行った同級生たちのことです。すみません。)それよりも「やりたいことをやる」のが何よりカッコいいことだと思ったし、自分もそういう風になりたいと思った。でも、いま、あの時の同級生たちが、あるいは正論で諭してくれる親たちが、どうしてあんなに「お金」を大切に考えてきたのか、ようやく私も少しは理解し始めている。そうやって、かつて「つまらない」と感じた方向に自分自身が変わったのは、私が確実に歳を取った証なのだと思う。

改めて豊かな生活って何だろう、と考える。広い家。大きなお風呂。できれば庭でガーデニング。大型犬を飼うのも夢だ。手に入れたい豊かさは際限なく広がる。だからこそ、自分が最も欲しいものを見極める目と、それ以外を割り切って諦められるしなやかな強さが必要なのだろう。それは、かつての自分が「妥協」と呼んだものなのかもしれないけれど。

人と比べがちな自分は、すぐ惑う。そして世の“普通”に合わせるために無理をする。「周りではなく自分なんだ」。思春期の頃から、大岩が削られるくらい何度も刻みつけたこの警句を、手の平で優しく抱えて胸に充てる。

8畳に満たない小さな部屋の中を見渡すと、買ったばかりのスタンドライトが堂々と発光している。窓の外からは、一定のリズムで雨だれの音が聞こえる。静かな夜だ。外側ばかりを眺めるのではなく、いま自分が持っている豊かさにもちゃんと目を向けないと。

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