05あるもの、ないもの、どっちもある。(裸足のフーガ)
太田省吾「裸足のフーガ」を愛知芸術劇場 小ホールで上演すると仮定して舞台美術を考えてみる。
戯曲を読んで、「ないもの」の存在感を強く感じた。
ここでの ないもの(表記されてないもの)は「無」というよりは「混沌」としたもの。
混沌というと、自分的には様々な神話の最初のシーンにあるような、何かが無いのではなく、みちみちとしていて、スカッともしてる感じで、そこが魅力的に思った。具体的な作戦としては、劇場空間の中に色のついてる舞台と、それ以外のない部分があり、割合でいうと、それ以外の方が多い感じ
上から見ると左側が客席、それに埋まっていくような感じで花道と左側に部屋のようなスチールデッキで出来た小さくて床高1500mmの舞台。舞台以外の空間もアクティングエリアとして使ってもらう想定。花道は客席に向かって高く坂道になっている。
●シチュエーションは大まかに3つ
①女1と女2の道での会話
②(彼女らの)背後にのしかかるような部屋の中
③大勢の人
そしてそこに吹く風。
客席から見た景色↓
お客さんは見ることはないけど、舞台側からのスケッチ
照明があたっている所とそうで無いところのコントラストがあったパッキリあったほうがいいのかなあと思った。
緩やかだと、無いところが「闇」のように見えると思うので、「闇」ではなく「爽やかに満ち満ちた混沌」に見えるようになりたい。
以下参考画像
最初、白い空間でできないかなあ?と思って考えてみたけど、挫折した。
いつか背景が白いところで混沌とした劇空間をうまいこと思いつきたいなあ。
さて、混沌といえば、古事記には、混沌とした中から天と地がわかれ、世界ができてきたと書かれているけど、今も十分混沌としてるよなぁって最近思うわけです。もし作者の太安万侶と時空を超えたお茶ができるのなら、そういうおしゃべりをしたい。
久しぶりに書いた。
京都市文化芸術活動緊急奨励金に採択してもらえ他ので本をいっぱい買えた。
pinterestのボードで最近、参考画像をまとめてるので、それをシェアしてみた。
今日はお腹を下している
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