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08ピザのように。出前で「R.U.R」

12月、新聞でキラーロボットに関する記事を読んだ、
キラーロボットは狙った人間だけを自己判断で殺すことができるロボット。例えばビンラディンを殺すために何人か犠牲者が出たが、これを使えばビンラディンだけを殺せる。といった内容の記事。
キラーロボット以前にこの記事が気持ち悪いものだった。
さて、ロボットといえば100年前に発表された、カレルチャペックの「R.U.R」を読んだ。

舞台は終始同じ部屋で。部屋の外で起こる反乱を部屋の中の人間が「わー!きゃー!」言いながら外で起きてるSF的世界を説明する。そのうちSF的世界観が部屋の中まで押し寄せてきそうになって、引いて、ちょっと未来で終わる。
役者が世界観をセリフで説明してくれるから、観客の目の前にある舞台上の部屋は無理な装いをしなくて良い。無理してない物は説得力がある。この方法さえあれば、どんな世界だってできちゃえそうですごいアイデアだと感心した。

劇中、観客は目の前の部屋の中での俳優たちの会話もとに、部屋の外に広がる世界を想像して楽しむ。
客電がついたら、舞台の外に繰り広げられていた想像の世界はどこにいくのだろう?
客電で夢が覚めるのは誰もがわきまえてるルール。
でも、今回はそこに疑問を持ってみようと思った
人生観が変わるかもしれないとドキドキ期待しながら観劇に行くため、帰り道の景色が変わらないのは、ちょっと物足りない。
かと言って何かが配置されていたら、きっと冷めた気持ちになるだろう。
では、いっそ帰り道をなくせばよいのでは?
帰り道ができない方法。。

それは、出前。
観客の家の部屋で観劇できたら帰り道は省略される。

何年か前にFAIFAIの大道寺梨乃氏が自身の一人芝居「ソーシャルストリップ」で演劇はどんどんミニマムになっていって、そのうち演劇の出前が始まるんじゃないかと、言っていた。
R.U.Rはそんな出前にぴったりの戯曲かもしれない。

部屋

例えばこれは私の部屋。

机でパソコン作業をやってる途中で思いついて撮影したため、洗濯物とか、後れ毛的な散らかり方をしているが、人の部屋とはそういうものだ。

そういうものを綺麗に片付けることはせず、その状態を劇中の部屋と見立てて行う。

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この部屋を簡単な平面図にするとこんな感じ。

以下、シーンごとにあるもの。(こちらは立面図のようにみてください)

グレースケールが薄くなるほどに重要度は低くなる。ないものは見立てるか省くかする必要が出てくる

RUR場面1

RUR場面2

一番重要なのが第3幕終盤、ロボットのボス「ラディウス」の立ち位置。彼は部屋の内と外、どちらともいえない立ち位置(に劇中ではバルコニー)に立って、見えないロボットとの会話をする。この立ち位置は全体の中でも部屋のメリハリをつける立ち位置のため、きちんと計画する必要がある。

RUR場面3


部屋の目の前でトンビがと鳴きながら飛んでいる。今日の気温は17℃。
なんだかまた、劇場じゃないところの計画になってしまった。。。

次こそは劇場でのプランを作ろうかな。

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