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コミュニケーションの未完了 - そのたとえ話が、相手を黙らせる

これは昨年末に同僚から教わったばかりの考え方なのですが、知った瞬間にぴんとくるものがありまして、ディスコミュニケーションのさまざまな原因を説明できることに気づきました。以来、ことあるごとに取り出して使っています。

コミュニケーションの未完了

そう聞いて想像するのは、おそらく、相手の言葉に返事をしなかったとか、もらった連絡への対応をすっかり忘れていたとか、その手のことなんじゃないかと思います。たとえば、面接官を担当するときによく注意されることのひとつに、こちらがした質問に相手が答えたのにその回答への反応もなしに次の質問を重ねてしまう、というのがありますね。面接官も緊張しているのかもしれませんが、これが続くと候補者は次第に緊張の度合いを増していき、本来の能力やキャラクターを示してくれなくなりますので、避けるべきことだとされています。これなんかは典型的なコミュニケーションの未完了の例としてわかりやすいですが、それだけじゃない、というのがこのフレームワークのおもしろいところです。

・相槌が早すぎる
・返事が遅すぎる
・声が小さすぎる
・声が大きすぎる
・間がありすぎる
・同意を求めたところに評価が返ってくる
・意見を求めたところに問いが返ってくる
・目の前の話をしているのに、たとえ話が返ってくる
・アイデアに触発されてさらに抽象的なアイデアが返ってくる

などなど、これらすべてコミュニケーションの未完了です。返事の欠如や遅滞だけではなく、過剰さもまた未完了であるというところに、気付きがありました。

私の場合、ストレングスファインダーでいうところの「着想」が強めの人間なので、人の話を聞いているうちに、「それってつまりこういうことですよね」と早合点したり、「たとえるならこういうことですか?」と相手に通じないメタファーを思いついて得意げに語ってしまったり、触発されて思いついたアイデアを語りたくなってつい相手のアイデアに適切な反応をしないまま時間を奪ってしまったり、ということがよくあります。以前は、そうした創発が起こることこそ会話の醍醐味だろうと思って反省することもなかったのですが、いやいやそれはよくないことなのだと今では思っています。なぜか。コミュニケーションの未完了が起こると、話す気が失せて、エネルギーを奪われます。そんなものが創発であるわけがなく、単なるひとりよがりです。

コミュニケーションの未完了が起こるとどうなる?

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応用方法

誰かと(あるいは、誰かの)人間関係がうまくいっていないことに気づいたとき、コミュニケーションの未完了を疑ってみてください。そのときのポイントは、未完了は必ずしも欠如や遅滞としてあらわれるわけではないということです。会話が達者で話好きな人が、同意を求められているのに評価を下してしまっていたり、早合点して先回りした結果が相手の話す気持ちをくじいてしまっていたり、通じないたとえ話で相手を黙らせてしまっているかもしれません。そういう可能性に思い当たることができるというのがこのフレームワークのよさです。ぜひ使ってみてください。

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