見出し画像

#90 KAN さんの置きみやげ 〜ビートルズ Let It Be と共に〜

友達の人数は、全ての人にとって必ず有限だ。無限の人数の友達がいる人はいない。同時に、人間が生涯で、あるいはある期間に親しく付き合える友達の人数も、限られているだろう。人によって、常に100人くらいと連絡を取り合っている人もいれば、親友一人だけという人もいるはずだ。

上はシャンパンのフォイル部分の写真で、離れても関係を保つことを誓ったロスチャイルド家の紋章だ。1,000円以下のデイリーワインでも、ロスチャイルド家のワインには必ずこの紋章が入っている。


友人関係の新陳代謝

僕は、どちらかというと常に付き合っていられる友達の数が少ない方だ。どの状態を「友達付き合い」とするかは難しいが、「少なくとも年に一度は話したり食事したりする」あたりを基準とするならば、おそらく10人もいない。そして、友達のキャパを仮に10人とすれば、新しい人に出会って付き合いが始まれば、自然と会わなくなる人も出てくる。友人関係にもどうしても新陳代謝が起きてしまう。

*     *     *

Let It Be の歌詞を英語屋の視点から

こんなことを考えた時にいつも頭に浮かぶのは、ビートルズの名曲 Let It Be の歌詞の次の一節だ。最近は2009年のリマスター版が聴かれることが多いようだが、今日はオリジナル版を引用したい。

この曲の歌詞は日本語に訳してしまうと意味が損なわれるというか、失われてしまう箇所が多いが、今日取り上げたい部分は訳しても大丈夫そうだ。引用する。

For though they may be parted, there is still a chance that they will see
(たとえ引き離されることがあっても、また会える可能性はあるから)

ビートルズ『Let It Be』より

最初の For が分かりづらいが、これはその後の文全体に対して、「〜だから」を意味する従位接続詞で、Because と置き換えて理解しても大丈夫だ。“they may be parted” の部分は、「離れ離れになっても」というような対訳をよく見かけるが、それでは意味が違ってしまう。
 ここは受動態になっているところにメッセージが込められているはずなので、「(意思に反して)引き離されても」に近い感じだ。英語ネイティブは能動体・受動態のニュアンスの違いにはうるさいので、メロディにあてはめるために「たまたま受動態にした」とは考えづらい。そして「また会える」の部分は、“still a chance” とある。“chance” とは「偶然のめぐり合わせ」の意味で、「意志の力が及ばない」「可能性は非常に低い」という含意がある。

合わせると、「意思に反して引き離されても、(もし運が良ければ、可能性は低いが)また会えるかもしれない」というような意味だ。諸論あるだろうが、僕は上の歌詞の they はビートルズの4人のことだと考えている。それを示すかのように、上の行の最後から3語目の “they” は、手前に長6度の跳躍を伴って非常に強調して歌われる。そのことにも意味があるだろう。
 対訳ではなく解説するならば、「いろんな理由で、不本意ながら解散せざるを得ないビートルズだが、生きていれば、ひょっとすればまた集まれるかもしれない」という意味に、僕は理解している。そして、彼らのその夢は叶わなかった。


KAN さんの旅立ち

11月12日に、音楽家の KAN さんが亡くなった。KANさんならきっと、「歌詞がなければ、ラララララララで歌えばいい」(『よければ一緒に』より)と同じような調子で、「悲しいならば、その気持ち記事にすればいい」とでも歌いそうだと思ったので、下の号外記事を書いた。
 そしてなぜか思いついて、記事の中で KAN さんのある曲が好きだった昔の友人にふれ、記事を投稿した後に、長年連絡が途絶えていたその友人に「お久しぶりです。もしよければ。」とだけ書いて記事の URL を送った。

その友人は、「友人関係の新陳代謝」でかなり前に付き合っている人の中から外れてしまった人だった。同時に、親しくしていた頃に僕がひどく粗末に扱ってしまい、傷つけてしまった人でもある(ほぼ同年齢の男性)。もう今後彼とのやりとりが復活することはないかな、上の歌詞でいう “a chance that they will see” は難しいかな、そう思っていた相手だった。でも、そう思うということは、僕は彼をとても尊敬していて、またやりとりしたいと思っていたということだ。

*     *     *

KAN さんの置きみやげ

記事の公開後、その彼から連絡が来て、なんとこの note のアカウントもフォローしてもらえた。交流が復活するには日本とドイツで距離が離れすぎているが、少なくとも細い糸がまたつながった。その糸のまわりに丈夫な糸をぐるぐると巻いていけば、また会って話せる日が来るかもしれない。これは、KAN さんの置きみやげだ、と思った。おそらく日本全国に、KAN さんの話で盛り上がり、古い友情が復活した人たちが他にもいたのではないだろうか。

彼から連絡をもらった瞬間に頭に浮かんだのが、上に引用したビートルズ Let It Be の歌詞で、「あの歌詞が本当になった……」と感動した。実は、“though they may be parted” な人は他にも何人もいる。そのうち何人に、また会って話せる日が来るのだろうか、と思いを馳せた。

そう言えば最近、中くらいの太さの友情の糸がどんどん細くなって切れかけた時に、また中くらいに戻った友人がいる。まずは今回の彼と、その友人を大切にすることからはじめようか、と思う。本当によかった、しあわせだ。KAN さん素敵な置きみやげを、ありがとう。

今日もお読みくださって、ありがとうございました🎹🧶
(2023年11月23日)

この記事が参加している募集

思い出の曲

この経験に学べ

サポートってどういうものなのだろう?もしいただけたら、金額の多少に関わらず、うーんと使い道を考えて、そのお金をどう使ったかを note 記事にします☕️